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アンリ・マティス試論―懐疑を超えるもの

  ー無限のなかにおいて、人間とはいったい何なのであろう。
 これはニーチェが第一級の信仰者と認めたパスカルのことばである。きちがいのように「常識」を説いたと揶揄されたニーチェの、神なき信仰の「悲劇」に比べるなら、「パンセ」の断片は、神へと人間を導く、巧緻にして熾烈なる懐疑の「宇宙」であった。
 このパスカルの「宇宙」を近代の絵画の展開において、懐疑を超えて、簡潔にして犀利なデッサンと色彩との絶妙な調和の「宇宙」として、タブローという二次元の上に現前させたアンリ・マティスという画家に、二十世紀芸術の危機を超える類い希な人物を見ようとするのがこの小論の試みである。
 
 「パンセ」につぎのような一節がある。
 ー絵画とはなんとむなしいものだろう。原物に感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは(傍点筆者)。
 幻視者であったバルザックは、「永遠の傑作」の中で、絵画について同じような疑問を呈したが、徹底した懐疑のない信仰が現代では真に値しないように、このバスカルの根底からの冷徹なる絵画批判に、孤り孜々として絵画制作の現場から、この「懐疑」に応答していた画家として、セザンヌに継いでアンリ・マテュスを想起するのは、世に流布するマテュス絵画の「常識」からすると、あまりに奇異な企てになるのかも知れない。しかし、画家マティスのつぎのことばは、パスカルの批判に遠い谺を返しながら、にもかかわらずその深淵をまたぎ超え、画家の断固たる意志を指し示すものとして瞠目すべきものと言っても過言ではない。
 ー私たちの文明は画家を必要としていない。少なくともほんのわずかしか必要としていないのです。
 このような「証言」をする画家について、いったいいかなる判断をくだすことが可能なのであろうか。マティスという画家を考えるに際し、この「証言」は看過しえないフレーズと言いうるであろう。
 以下は画家という存在に関する、いわば「零度」からの省察である。

 このマテュスの画業について、新世代の画家マルセル・デュシャンは、気取った言葉使いでつぎのように語ったことがある。
「マティスの着想は、ヴァン・ゴッホ、セザンヌ、スーラの出現に直接続いて、絵画の物理学の新しい道を開くための巧妙な企てになった」と。
 しかし、このデュシャンの言う「着想」の内実を語ることほど困難なことはないであろう。マルセル・デュシャンとアンリ・マテュス。この組み合わせは一見奇妙に思われるだろうか。だがニーチェが、「哲学をばかにすることが哲学だ」と言ったパスカルの「嫡子」であるように、デュシャンその人がP・カバンヌとのインタビューで語った「マティスの発見」によって、絵画における「網膜的」なものへの反抗を開始する重要な契機になったとするなら、デュシャンもまたマティスの「嫡子」と言っても、決して過言ではないのである。
 しかしながら、マティスの西洋絵画における「空間」と「色彩」をめぐる思索と探求に比べるなら、デュシャンの「網膜」への反抗は、それ自体が「網膜的」な反抗として、両義的な境域にとどまるものだと言っても差し支えはないだろう。
 マルセル・デュシャンのあの意味深長な「遺作」の痛々しさには、なにかデュシャンという人間の、あたかも軽業師的な反抗(=犯行)を見られるのである。あの「遺作」は、「見ること」そのものへの暗喩と諧謔を示すものとしても、穴の開いた扉の内側に横たわり網膜に晒される裸婦は、もはや網膜を拒絶してはいない。むしろ、逆の事態をはしなくも暴露しているところに、彼の反抗の限界が露呈されているといっていいのであろう。あの扉の穴を覘く者の網膜は、横たわる裸婦へ向かい、いかにも猟奇的な欲望を促し、裸婦がそれを受け入れるがごとき通俗的な常習を、逆説的に懐古させることによって、まさに反語としてかろうじて彼の二十世紀絵画への「遺作」となっている結構を示しているに過ぎない。
 一体デュシャンは、マテュスからなにを「発見」したのであろうか。これは近代、いや現代芸術と絵画の歴史を展望する重要なる「鍵」になるほどのものである。
 かたや画家アンリ・マテュスのまえに立ちはだかった困難は、芸術に奉仕する手を信頼する一方で、それ以上に感情と理知とによる探求を重視すること。即ち、デッサンによる線と色彩の葛藤が引き起こす「不協和音」に躓きながら、その苦しい格闘の軌跡を果てまでたどること。そうしながらも、その苦々しい痕跡を残すまいとするエレガンスを最後まで失なうまいとすること。ここに「自己表現」と「絵画」との間に開いた深淵とパラドックスに、橋を架け難問を解こうとした近・現代絵画史の避けがたい課題を浮上させないはずはなかった。現代ではすでに隘路ともいえるこの芸術と絵画の王道にあくまで留まろうとするところに、マテュスの栄光と魅力の核心があったのである。
 このマテュスの隠そうとしたこの「不協和音」に気づいた最初の人物は、一九五一年に日本で開催された「マテュス回顧展」を見てまわった小林秀雄氏であった。氏はマテュスの絵画が途中から「苦し気」に見えたことをエッセイに記している。これはデュシャンの言う「着想」、言い換えれば、「絵画の物理学」の内実を直感する鋭い洞察にほかならない。このことは画家自身が、自分の作品が観客にとっての「安楽椅子」になることを意図した画家の夢に反するが、マテュス芸術の楽屋裏への透徹した一瞥として、刮目すべきことと言わねばならないのである。
 このことは小林秀雄氏が、この年から「ゴッホの手紙」を書き出していることに符節を合わしている。同じような文学上の課題を氏自身が初期の段階から抱懐していたことを思うと、絵画の世界に同質の問題をみたのも不思議ではない。つぎの一文を横目でみておこう。
 ・・・・ゴッホが、何年もの間、ひたすら自然から学ぼうとしていていた時、彼を支えていたものは、何を置いても先ず正確なデッサン、驚くべきミレーの描線であった。パレットから出発しようとして、彼が痛切に意識した自然という対象と、内部から創り出すものとの対立は、たゞあくせくやってみる他はない実際の技術上の、デッサンと色との葛藤とならざる得なかったと思われる。

 画家自身が「画家のノート」(以下「ノート」)で語った、「デッサンと色彩の葛藤」のことは、彼を論ずる者で知らぬものはないほど、見過ごすことのできない命題であった。だが画家の活動は、そういう簡単な図式ではかたずかない、「不透明」な難題をかかえて、マテュスという画家の上にのしかかっていたのである。

 ー私たちの文明は画家を必要としていない。少なくともほんのわずかしか必要としていないのです。
 再びマテュスのこの「証言」を引用するのは、なぜならばこれこそが、マテュスというより近代の芸術家の厳しい肖像を顕現させる貴重な証言はないと言ってもよいからである。
 ーどれも笑わせない似ている二つの顔も、いっしょになると、その相似によって笑わせる。
 これが「原物」を見るパスカルの眼だ。幾何学と繊細な精神を兼ね備えた彼パスカルの明察は、だれも覚えのある心理の陥穽を衝き、ここに余計な「懐疑」などは入る余地はないのである。ただ彼はものが関係の仕方によって、新しい構造と力をもつことに注意を促したに過ぎない。だがこの精妙な指摘には注目すべきものがある。
 ー人は精神が豊かになればなるほど、独特な人間がいっそう多くいることに気がつく。普通の人たちは、人々のあいだにある違いのあることに気がつかない。(「同」)

 こういう高度な「常識」を説いた数節後に、つぎのような有名な箴言を紹介すれば、読者は退屈するだけかも知れない。
ー人間は屋根屋だろうが何であろうが、あらゆる職業に自然に向いている。
 向かないのは部屋の中にじっとしていることだけだ。                                    (「同」)
 だがここに一人の人間がいて、日がな一日部屋に佇みながら、静物やら裸婦に向かい合い、その「原物」をキャンバスに描くことを、職業にしようとする人間がいたとする。これほど奇態な職業を、この世で想像することほど愚かなことはない。なるほど、一生で一番大事な職業の選択は、往々一偶然に左右されるものだ(「同」九七)。
 彼マテュスの場合も、二十歳の盲腸炎という病気がそうであった。だがさきの「証言」をした人物が、このわずかな画家の一人であり、その素描を海の息吹のような情感に定着し、自分の生涯とその連続性についてのはっきりとしたイメージを獲得し得た人間、その名前を「アンリ・マテュス」と呼ぶならば、この人物は注目に値すると言わねばならないのである。

 現代絵画は、自然の表現から始まり、フォルムの処理の内に示され展開される。このことは、絵画が「空間」をめぐる思考の歴史となることを意味した。かつて美術評論家の宮川淳氏は、「書くという行為そのものを思想と化する」新しい思想のあり方を語り、その延長上で「見る」ことの根源的な可能性に言及し、「描くこと、書くことを通じて〈見ること〉そのものが自己形象化される」と述べた。マテュスの画業こそその証明となるが、宮川淳氏の言説には〈身体〉への考察が抜け落ちているように思われる。なぜなら身体こそ、画家の言語機能の重要な要素であって、絵画とは何かという問いは、画家の身体とは何かという問いの中に埋め込まれているように思われる。
 このことは、「精神としての身体」(市川浩)ではつぎのように記されている。
「芸術家はいわば世界を自己の身体と化することによって、世界の内面に住まい、その両義的一元性を表現する道を模索する」と。この試論では、哲学的な身体論に深入りする気はない。しかし、市川氏のこの著書は画家という存在の構造を考察するに際し、非常に精緻にして有益なる一書であることをここに記しておきたい。
 三浦雅士氏は、「身体の零度」において、原初から近代に至るまでの、身体への呪術的な装飾を施し、変形を強いてきた人間の歴史を語り、その書物の末尾をつぎのことば終わらせていることは、画家と身体との関係性を象徴する銘記すべき洞察と思われる。
「舞踏は人類とともに古い。それは身体によって、宇宙における人間の位置を確認する行為だった」と。
 マテュスの大作「ダンス」や肉体から直接に誕生したジャズという音楽に、マテュス芸術のモチーフの源泉があるのは、この三浦氏とつよく反響しあうのは偶然ではない。
 かつて近代の荒れ地を彗星のごとく駆け抜け、
 ー俺は場所と定式を求めて彷徨った。
と詠った「呪われた詩人」の覗いた「地獄の季節」(ランボー)の一句を想い描かざる得ない「近・現代」という荒れ地に、マテュスの静穏にして明澄な探求は、かの天才詩人が「見者」として見た「幸福」を綴った「飾画」の一節を思い出させるものがある。

明るい休息だ。熱もなく、疲れもなく、寝台の上に、草原の上に。
友は、烈しくもなく、弱くもなく。友よ。.
愛人は苦しめもせず、苦しめられもせず。愛人よ。
尋ね歩く仔細もない空気とこの世と。生活。
ーでは、やっぱりこれだったのか。
ー夢は清々しくなる。

                         (小林秀雄訳)

 さて、画家であるマテュスは「装飾と表現は同じものだ」と、端的にこう言っている。装飾は無意識なまでの人間の本能のひとつなのであると。
 かつて美術評論家の宮川淳氏は、「マチスと世紀末芸術」において、「二十世紀の純粋造形が可能になるのはこの世紀末のメタフィジックが還元されたときである、この還元を促したものは、ほかならぬ装飾そのものの自己運動ではなかっただろうか。おそらく、ひとたび見出されたとき、自己運動を起こさずにいないのが装飾なのである」と言った。そして、アール・ヌーヴォーがマテュスの芸術に意識的に取り入れられるのが、フォーブ時代につづく一九〇八~一七年ごろとして、「赤の調和」や「コーヒーわかし、水さし、果物入れ」に装飾的モチーフの展開をみている。
 こうしたマテュスの思考が明確に本格化した作品のひとつに、ここで触れてみておこう。
 それは二十世紀美術の傑作(遠山一行氏)と讃えられた作品「装飾的人体」(一九二五~二六年)である。遠山氏によれば、オスカー・ワイルドは「装飾こそ芸術の親だ」と言ったそうであるが、ここでワイルドの挿絵画家のビアズリーがマテュスの三つ年下に過ぎないことは、不思議ではない。
 事実、作品「装飾的人体」において、裸婦は周囲の壁や床の敷物等の装飾的な物体と等価に描かれ、これらの自然の中にとけ込んでいるかのようである。辛うじて裸婦の腰から肩に走る垂直線が裸婦の頭部を支え、ほぼ水平に膝に乗せられた左腕と半跏趺坐像風の両足によって、初めて裸婦は人体として存在する格好である。これこそ「装飾」が「表現」そのものであることを例証した作品であろう。そして、宮川淳氏のいう自己運動する装飾、またその「還元を促したもの」が、ここでは非常によく整序され抑制されていることを、宮川氏のためにより強調しておくべきだろう。それはマテュスの理想が、詩人ボードレールの「豪奢と静けさと逸楽」の美でありながら、「整いの美」をそこに含んでいたからであったことにある。装飾はこのとき初めてマテュスという画家の思想として肉体化したといえるだろう。
 このことを「装飾的人体」の絵を直視するならば、人体から鋭角的に床に向かって突き刺ささって伸びた右脚は、自己運動化するタブローを左膝と相俟って、装飾の無意識の流動化をその足下で押さえこみ、揺るぎもない画面を描きだしていることに注目するべきだろう。
 この作品について、造形的意図が優先され、裸婦の表現がなおざりだという批判は、今述べてきたようなマテュスの理知の力、行き届いた目配り、絵画空間への絶えざる思索への無理解にもとづくものと言わざるえないものである。
 ー私のタブローの配置の仕方全体ー人体が占めている場所、それらを取り巻く余白の空間、釣り合いなど、そこではいっさいが役割をもっている。構図は画家が自分の感情を表現するために配置するさまざまの要素を装飾的な仕方で調える技である。
 これは一九〇八年にすでにマテュス自身が「ノート」で述べていることなのである。

ところでマテュスの特別に重要なキーワードがある。それは簡単すぎて明瞭なつぎのフレーズである。
 ー表現は人が全体として把握する彩られた表面から生まれる。
                                   
 先に二度引用した「証言」は、現代における画家の位置を示すものであるのに対し、このフレーズはより具体的に、画家が対峙するタブローのあるべき姿を表したものだろう。かつてマテュスは「ノート」の中で、「全体こそ唯一の理念である」と書き記した。だがこの「全体」とはいったいいかなることなのであろうか。
 この一見難解な概念を理解するため、つぎのような具体的な二つの場面を想定してみよう。
 ある晴れた日の真昼、海岸に立っている一人の男がいるとする。特別な障碍物がなく、男の目が正常ならば、彼の目は広い海を一望に見渡すことができるはずである。だがもしその男が、「海」の「全体」を見たいという渇望にも似た欲望を懐いたとしたらどうであろうか。これは奇態な欲望であり、不可能な思念である。通常私たちは海の一部をみて、「海」を見たという思いで満足している。だが厳密にいうなら、視野の限りに見える海といえども、海というものの「全体」ではない。それは男の視野の限りにしか見えない海であり、海の断片にしか過ぎない。だが海という自然には、男の欲望する「全体」は存在するが、男がその「全体」を視覚的に見ることは不可能である。地球儀に海は青色で表現されているが、海という自然の全貌を一挙に見ることはできない。男の認識への欲望には、充たされることのない苦渋が滲むであろう。ここにこそ「全体こそ唯一の理念」とする現代絵画の根本的な思想の核心が対応する。言語学的にいえば、海は「海」ということばによって初めて存在したという知見をソシュールは語るだろうが、男は「海」ということばを媒介に実在の海そのものを見たいのである。
 しかしつぎに、これと異なるつぎのような場合を想定してみよう。
例えば、映画「奇跡の人」でモデルになったヘレン・ケラーのように、見えず、聞こえず、従って言語活動の不能な人間には、「世界」はまったく失われている。彼女は触ったものが何であるのかを知らない、謂わば「混沌」の世界にいるのだ。娘の姿を不憫に思った両親はサリヴァン女史という家庭教師を雇うことになった。彼女は子供のヘレン・ケラーに手話を必死に習得させようとする。土が「土」であり、木が「木」であることを、すなわち、個々のものが固有名詞をもち、それらの名辞が統一された世界が「世界」というものを形成しており、人間はその中に住んでいることをである。哲学者のハイデッガー流に言えば、「世界ー内ー存在」としての人間のありさまを知ることだ。しかし、一つの単語が一つのものを表すことを知ることのないヘレンに、「世界」の端緒を掴ませることさえも、サリヴァン女史は苦闘することになる。さんざんの苦労の末、ある日、井戸の蛇口からほとばしるものに反応しているヘレンの姿を発見する。サリヴァン女史は駆けつけ、今現にヘレンが手に触れているものが、「水」であることを「WATER」という綴りの手話で理解させることに成功するのだ。ヘレンの口からたどたどしい「水」=「WATER」というシラブルが発せられる。ヘレンは遂に「世界」への糸口をこの一つの「言葉」から掴むのである。なんという驚きがヘレン・ケラーという少女を襲うことであろうか。これは深く感動する映画の一場面なのだ。「言葉は存在の棲む家である」という前述のハイデッガー哲学の一フレーズを、思い出してもよいだろう。この場合、ヘレンは自然の一部である「水」の「全体」(存在)を全身で覚知したといえるだろう。
 他方、海を前にした男はどうであったか。彼には「海」の「全体」が失われている。目は見えるが盲目も同然なのだ。自然としての海は彼の欲望を歯牙にもかけないほどに広大無辺だからである。こうした人間の認識における不能感に絶望し、この宇宙の無限に驚嘆し、震撼した男がいた。
ー無限のなかにおいて、人間とはいったい何なのであろう。
あるいは、あまりに有名な言葉ではあるが、
ーこの無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。(「パンセ」二〇六)

 「松のことは松に聞け、竹のことは竹に聞け」というような芭蕉の俳諧的直感は、花鳥風月に代表される自然との一体感より言語表現の獲得にいたる日本固有の認識と言っていいだろう。葛飾北斎等にみられる浮世絵の絵画技法が、「ジャポニズム」となり西洋絵画がこれに影響されたのは、線と色彩によるその平面的な画面構成にマティスの志向する「全体」なるものの端的な表現をそこに発見したからである。
 西洋的な絵画における「タブロー」という考え方は、パスカルにみられる西洋的な宇宙観を示すものだ。「全体こそ唯一の理念である」というマテュスの言葉は、この西洋的な位相から発せられている。
 ー人間だけがおのれの出会うものを超えて存在へと超越し、おのれの出会うものすべてを存在者として統一的にみることができるのである。(「哲学と反哲学」木田元)

画家とは、この「統一的にみる」人間の超越的な営為をタブローを前に思索する存在である。恰も舞踏家が宇宙の中で自分の位置を確認し、詩人が「無限にむかって腕をふる」(中原中也)かのようにである。
 論を元に戻せば、かくして前述の男の立場は画家であり、ヘレンの姿は詩人に似ていることは言うまでもないだろう。
 画家であるマテュスが、タブローに「全体」という理念を探求した少し前に、一人苦闘していた画家にセザンヌがいた。
 セザンヌはサント・ヴィクトアール山を望むパリから離れたところで、孜々としてそれに挑戦していたといえるだろう。三次元空間の自然から、第二の「自然」ともいうべきタブローという二次元の平面に、自然を模写するのではなく、自然を創造することのからくりを意識的に構成しようとしていたのである。セザンヌの描くリンゴはリンゴではなく、ナプキンはナプキンではなくなった。これは現代絵画という言語表現の産声であった。この表現の場としての「タブロー」こそ、セザンヌからマテュスが受け継ぎ、その造形の全精神を傾倒する「美」の探求を行う精神の場所となったのである。そして、近代において「美」の探求とは、ボードレールがそうであったように、「美」の発明と同義である。パリの街頭の一風景を詠んだ一編の詩「腐肉」に、リルケの「マルテの手記」の孤独な都市の放浪者、マルテ・ラウリッツ・ブリッグは震撼したようにである。

 遠近法の創設と排除、視覚への精妙な洞察と揶揄、自然でさえその関係の在りようにより、別の意味が出現することを、パスカルはエッセイの断片に散りばめている。このパスカルに現代絵画における思考の原型を見いだすのはこのためだ。パスカルは人間存在の裸形の条件を、その地獄絵を白昼に晒したが、マテュスは同じ動作から、わたしたちに慰安をもたらし「楽園」を提示したのである。

 さてマテュスは自身の「ノート」に記している。
 ー物体は空間のなかに占める位置に従って自分の関係を見つけます。
 「関係の絶対性」(吉本隆明)とは、こうした文脈の中においてあらたに思考すべき価値をもつものだろうが、デュシャンはこれを「絵画の物理学」と言ったまでだし、葦のような人間の精神が踏み耐えた造形的思考のなかに、再びみいだすタブローという「表現」なのである。だが当人のマテュスさえこの「タブロー」という空間に限界のある懐疑の影が忍び寄るのを覚えずにはいない。後に、マーク・ロスコが巨大な色彩の平面に、祈りにも似た絵画の「言語表現」を見いだすのは、
 ー自分が生について抱く感覚とそれを表現する仕方とを区別することができない。
 と言うマティスが色彩の表現のプロセスそのものを、方法的に解析したその延長に顕現されたものであった。
 「絵画の思考」で持田季美子氏は、「あざやかに染色された気体が茫漠と漂うロスコのキャンバスは、現実界とは別の聖なる世界へと通じているふしぎな窓のようだ」という指摘は、室内を戸外へ解放する開かれた空間である「窓」が、マティスの絵画に度々登場する背景を示唆しているように思われる。
 例えば、窓のそとにある風景を鮮やかな青色と赤色の桟で切り取った「金魚鉢のある室内」にある金魚の弱々しい赤は、最晩年の傑作「赤の室内」において増殖し充溢される。そして、このとき窓の「外」と「内」は力強い赤色の装飾を介して連続するのである。
 自然と人間の内なる「自然」が連続し一体となるところに「美」は顕現する。さらに言えばこのような「美」によってのみ、人間は人生の連続する全体感を手中にできるのだ。
 ーAとBの色をつなぐCの色が必ず存在する。
 自分の家で物体の空間の関係を発見しようとしたマテュス芸術の「可能性の中心」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)とはこのようなものである。
 
 そして、パスカルの絵画芸術への正当な問いかけは、マルセル・デュシャンである臨界点を迎える。作品「泉」は端的なその表現であった。ここで「絵画の物理学」という表現を、「絵画の経済学」に換言すると、興味ある光景を見いだすことができるのだ。それは絵画を超え芸術そのものを、ある種の虚無へと帰するかも知れない。自然という「原物」があるのになぜ人は、それを模写して数を増やすのか。なぜ人間の眼と手は自然をさらに別の、例えば「タブロー」というものに変換しようとする欲望を懐くにいたるのか。そもそも人間の創りだす「美」とはなんというものであろうか・・・・。
 先の「呪われた詩人」は「地獄の季節」でつぎのように詠った。

 「ある夜、俺は『美』を膝の上に坐らせた。 ー苦々しい奴だと思った。ー俺は思いきり毒ついてやった」と。
 かくして詩との訣別は、彼の必然の運命となったが、マテュスが手中にしようとしたのは、この詩人が尊敬ししかも侮蔑したボードレールの「楽園」なのである。ここにマテュスの苦闘が「美」に変貌する奇蹟のようなものがある。
 そもそもにコスモス(宇宙)を失い、肉体の不能性に気づき、ロゴスの不毛性を自覚しはじめた、西洋的な近代文明への懐疑を、作家のD・H・ロレンスは、「新約聖書」の「黙示録」についての卓越した考察において語り、「宇宙」との有機的関連を欠いた肉体と精神に警鐘を鳴らした(「現代人は愛し得るかー黙示録論」)。そしてロレンスの驚嘆すべき一書「無意識の幻想」における「性の誕生」は、彼の最後の力作である小説「チャタレー夫人の恋人」に結晶されているのだ。ここですこし横道を散歩し、彼が描いた自然の描写をみてみよう。

「コニイは昼食後すぐに森へ出かけた。本当に気持ちのよい日で、早咲きのタンポポは光り耀き、早咲きのデイジイは真白だった。はしばみの茂みは半ば開いた葉でレース編み細工であり、名残の花序が煤けて垂直にたれさがっていた。黄色いキンポウゲはもう群生していて、あるいは平べったく花を開き、あるいは押し合って縮こまり、ぎらぎらと黄色が光っていた。それは黄色、初夏の黄色だった。そして桜草はひろがり、蒼白い奔放さに充ち、群がり集った桜草はもやは恥じらいを見せていなかった。ヒヤシンスは、つぼみを青白い穀粒のように持ち上げて、その生きいきとした濃緑は海だった。一方、馬道には忘れな草がふんわりと盛りあがり、オダマキは紫インクのひだ紐をほころばせ、茂みのもとには青いバーズエグシェルがいくつか見える。どこもかしこも、点々とした蕾結節であり、生命の誕生であった。森番は小屋にいなかった」(十二章より)

 さて、この自然描写には小説的な書割り型の要素は微塵もない。先述したマテュスの「証言」は、生=性=自然とが乖離していく人間の文明生活と現代芸術に対する、ロレンスの根源的な問いかけに照応する。セザンヌが創造した自然からタブロー(平面)という創造(価値変換)は、金や銀という自然に代わる「貨幣」という新たな美(経済価値)の発見と創造を意味していた。現在の市場経済ではこの「貨幣」は、商品そのものとして投機の対象となり、実態経済から遊離した金融システムの網の中で、世界経済を差配する怪物的な存在となろうとしている。かつて赤瀬川原平氏が千円札を模写して芸術作品として話題になったことがあったが、こうした前衛芸術は、マルセル・デュシャンの後継者であるのは言を待たない。同じように単なる紙切れに過ぎない紙幣が、商品の媒介の手段として価値を持ち、様々な金融商品が市場を拡大し、実態以上に「金」が膨張し、統御できない事態を「恐慌」と表しても過言ではないが、絵画の世界においても「自然」から浮遊した作品が、芸術の商品として流通する様相を呈しているのが現代芸術の世界であった。
 こうした状況において、まさにマテュスの「証言」は自然と絵画との媒介性が担保され得なくなった文明への危機表明であり、また、媒介者としての画家の価値の低落(インフレーション)への警鐘であったのである。
 「わずかしか必要としない」とはそういう意味である。マテュスがセザンヌから学んだものは、自然の媒介者としての信念と価値である。マテュスが自然から感受した「情感」を重視し、それを表現の場に定着しようとしたのは当然であった。そうでなければ、「デッサンと色彩との葛藤」に直面することもなかったであろし、後年、色彩に直接にデッサンする「切り絵」の方法により、この葛藤を克服し「色彩とデッサンの合一」へいたる道は、それほど簡明なる「問題の解決」ではなかったであろう。なぜならマテュスは古典的な意味でのデッサンの信奉者ではなかったからだ。彼は線と明暗による形の描写に、避けがたい問題をみた者だ。絵画は視覚との闘いである(エマニエル・レヴェナス)という思考は、制作の現場でマテュスは実践し発見していたといっていいのである。
 ーモチーフを取り巻く小さな空間を脱出して、宇宙空間を感じとることを、しばし考えた。
 ここに後年、マテュスが「切り絵」の世界を、また視力をほぼ喪失した後も、手をもってブロンズを練り彫塑を造ることへの道へと前進するマテュスの姿勢が衰えることはない。

 先にも述べたように、マテュスはやがてタブローそのものが、作品として自然から離れて一人歩きするときがくることを、予期しなかったはずはなかった。デュシャンのレディーメイドという考えはその端的な表明である。工業製品と芸術作品の相違はどこにあるというのか。便器を「泉」と題して展覧会場に飾ることで、デュシャンはその境界を単に破壊しようとしたのではない。マテュスの「画家を必要としない」時代を、画家の介在しない一商品の展示によって表徴しようとしたのである。絵画においても複製技術の発展により、本物とその複製品とは、容易に鑑賞者にとって代替可能な時代がすぐそこに押し寄せてきていること、そのことに彼は明敏に反応したに過ぎない。商品の多量生産が始まり、写真技術が一刻一刻の運動を即時に写し取る時代に、タブローに対峙する画家の制作活動とはなんであるのか。すでにデュシャンは「階段を降りる女」という絵画作品で、画家の眼を写真家の眼に置き換えて見せていた。イタリヤの未来派やドイツのバイハウス運動の動きは、絵画をいや芸術そのものを根底から揺り動かそうとしていたのだ。芸術は大衆が「芸術」と呼ぶものに、その位置を譲ろうとしていたのである。
 ここで目をヴィーンの街角に転じてみてもいい。同じこの頃ウイーンの街角を彷徨っていた一人の芸術家の卵がいた。その男こそ後に、アドルフ・ヒットラーとして政治の世界を、軍事力という暴力をもって蹂躙し、世界地図の平面をまさに野獣派的に、荒々しく塗り替えようとした怪物そのものであった。芸術家になることに失敗した彼は、食い詰めた果てに一兵士を志願し、遂にドイツの最高権力を奪取する。「大衆」を最大限に酔わせ、活用することによってである。ヨーロッパの地政学的キャンバスを、彼は絵筆ではなく人間の血で塗り替えた。未来派宣言の中には、このような男が出現する思想的な萌芽と蠢動がすでにほのみえていたことを、ここで思い出してみても無駄ではなかろう。
 さらにその先の現代では、有名な女優の顔やコカコーラの瓶を数多く並べることで、現実に芸術は成立するに至っている。成立しているとは、それが商品として価値を持っているという意味である。このことは貨幣がそれ自身単なる紙切れにすぎないにも関わらず、商品と商品との交換を媒介する手段として価値を持つことから、やがて貨幣それ自体が商品として取引(投機)の対象となる、現代資本主義経済の活動そのものを想起してみていただきたい。
 パスカルの絵画への先見的な懐疑が、いまも失われていないのは、自然から絵画の独立をかちとったと見えたそのとき、商品に姿を変えた第二の「自然」が、「作品」のまえに同じ姿をして立ち現れるからだ。自然は芸術に復讐する、模倣された自然がつぎに芸術を模倣することによってである。
 この頃、「ピンク色のヌード」でマテュスは、自分の制作過程を写真に記録させていたことは、興味あることである。なぜなら芸術とは結果としての作品に価値を見いだすより、時間の推移によって完成へ向かって変化するその持続の過程にこそ、その芸術活動の証明があることを、彼に意識させていたからである。これはマテュスの反時代的な知性の抵抗というより、芸術作品への自然な姿勢である。フランスの哲学者ベルグソンは、「時間の歩みをとどめて現在のなかに未来を保つ快感」を曲線の優美さに見いだしていたではないか。
 さらにボードレールが「パリの憂鬱」の一節に、「流れる雲」にしか関心を懐かない不思議な男を「異邦人」として描いたのは、詩人自らの「宿命」をそこに託し、「時間」というものの美しい形象をそこに見たからにほかならない。
 こうした知的な感興は、詩人にして哲学者のポール・ヴァレリーが、パスカルにむけた鋭い批評をここで呼び起こさせずにおかない。
「パスカルを読めば彼が絵画をつくろうとしなかったことがわかる。無意味きわまる物体に似姿を骨を折って獲得することによって、そういう無意味な物体の数を倍にする必然性など彼には見えなかったのである。しかしながら、この偉大な言葉の芸術家は、自己の思考を描きだそう、言葉によるその肖像画をつくりあげようと、いったい何度努力を傾けたことか。事実、彼はついには、ただひとつを除いてあらゆる意志を、同じ拒絶のなかへとおとしこみ、死のほかはすべてを、いわば絵画のような描かれたものと見なすに至ったように思える」(傍点筆者)
 ベルグソンとは対照的に、時間(それはパスカルには「死」を待つ人々の連なりでしかなかった)になんらの可能性も懐かなかったパスカルに対する洗練された批評の毒のようなものがここには滲んでいる。これは明らかに、ヴァレリーの近親憎悪の逆転した投影なのである。彼ヴァレリーも「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によって、自身の思考の可能性における肖像画をデッサンし、「テスト氏」では、悟性の怪物とその単純なまでの裸形の生活を描いたからである。ヴァレリーのパスカルへの態度に一種の知的な憎悪が生ずるのは、ある辛辣な断罪に由来するものだった。それは、パスカルが呻吟しつつ求めたもの(神)を、彼が敢えて退けたからである。
 パスカルが「原物」というとき、それは葦の存在にも等しい哀れな人間もそこに含んだ「自然」そのものを指している。「自然」と「虚無」のあいだに彷徨する人間の前に、深淵と驚異とを覗いた彼が、単に絵画を否定したのではない。虚無の深淵から身を起こす「私」が、畏怖の念なき自然の模写を笑うべきものと見たに過ぎない。彼ヴァレリーが同じ類の情熱をもって貶めようとしたものは、彼がデッサンした「悟性の怪物」からみれば、あまりに安易な「言葉の芸術」のレディーメイドが、「小説」という名前をもって俗世に氾濫している光景が彼の目を覆うばかりであったからだ。
 マテュスにあっては、自然の安逸な模写も自然からの奇矯な離脱もあり得るものではなかった。
 ー画家の仕事は、観察したものを解釈することにあるのではなく、事物が自分の存在に与えた衝撃を表出することにある。                                                                    (「ノート」)
 彼が「情感」という自然から与えられた感覚にこだわりつづけたのも、自然を自分を表現するためのきっかけでしかないとみたのも、同じ造形的思考の表裏の関係を強調したかったからである。絶えずセザンヌに還ろうとしたのも、セザンヌほど自然という三次元の世界をタブローという二次元の世界に変換する、造形の精神の零度の位置での意識的な闘いを強いられた画家はいなかったからである。インフレーション下の紙幣のように、いまや芸術にはなんの根拠もなくなりつつあった。こうした文明の荒廃の渦中で、その濁流に抗し、本来薄弱な根拠しかない芸術の運命を洞察し、彼マテュスはその生涯を「賭け」(パスカル)たのである。

 若き日の彼は、アカデミージュリアン時代に、すでにつぎのように言っていたではないか。
 ー目は窓にすぎず、その背後には人間がいるのだ。
ここにマテュスの自然に対しての造形的精神の態度ー自然は情感によって変形されるべきもので、模倣されるべきものではないーがはっきりと宣明されている。色彩は自然の中の色彩と似て非なるもので、空が青いから青で表現されるものではなく、その空を赤で表現する自由はなんら制限されるものではないというように。
マテュスはレオナルド・ダ・ヴィンチの「模写できるものが創造できるのだ」という言葉を、自身の「ノート」に写している。彼の旺盛なる模写(デッサン)作品を数多く見れば、それらが次第に、彼自身が言う理想に近づいていることが分かるだろう。
 ー私は光りを、そして精神的空間を暗示するためにはどうしても相互に反応し合うような固有色を全く陰影や肉付けを除いた形で用いて、完全に自分を表現しなければならぬ。
 彼が自然から画家の内部に生じた情感を大事にしようとする以上、彼の目が自然から離れることは決してあり得ないのである。
 ー絵は現実によって喚起される夢の表現や自然についての瞑想である。
或いは、
 ー自然は芸術家にとって自分を表現するためのきっかけでしかありません。
 これらの彼が「ノート」に記した片言節句は、目よりその背後にいる人間、その情感に芸術家の黄金のごとき本領を確信し得たマテュスという稀有の画家の証言であるのだ。
 ー喜びを空のなかに、樹々のなかに、花々のなかに、見いだすこと。見ようとする気を起こしさえすれば花はいたるところにある。
 ー心から、ひたむきに《歌う人たちはしあわせだ》というマテュス。
 ー芸術家はけっして《囚人》であってはならぬ。
 マテュスの造形精神の核心に、このように自由かつ溌剌たる情感(センシビリテ)があったということは、どれほど強調してもし過ぎるということはないのである。
 オセアニアの旅行でマティスがのぞいた海の光景は、彼の空間を押し広げたはずである。光りにあふれた海を自由に泳ぎまわる熱帯の魚たちを見た経験は、「ポリネシア、海」という切り絵に結実した。
ー私は周囲に魅了されてタヒチに三ヶ月滞在していた。その間眼にするもの全ての目新しさに頭はからっぽになり、ぼう然としていたが、無意識に多くを吸収していた。
この「無意識」の海こそ、色彩と線の境界と葛藤から、マティスを自由にしたものだろう。なぜなら、光りと戯れる魚と海は、画家が夢にみた空間そのものであったからだ。
 海に潜ることは、一匹の魚の目になり、無重力状態のまま、海という空間に身をゆだねることだからだ。
 ー魚に壁はない。
 こういう感覚こそ、「モチーフを取り巻く小さな空間を脱出して、宇宙空間を感じることを、しばしば考えた」マティスに有益でなかったはずはない。
「マティスの肖像」でハイデン・ヘレーラは、
「切り紙絵の手法の自由さは形態が空間の中を浮遊し、遠近法や厳格な構図の線によって一定の場所に縛りつけられないように見えることからも感じられる。空間は拡張する。それをマティスは「宇宙的」と呼んだのだ。それは構築されるものではなく、流動するなにかである。それは光と一体になり、記憶と想像力の無限の空間を示唆している。形態は、マティスの描いた金魚鉢の金魚のように、重力にしばられずに空間を移動する」とマティス芸術の本質を美しく表現している。事実、ロシアのシチュウーキンが一目見て買ったという「金魚」の大きな鉢を乗せるテーブルの脚は、最小限にしか描かれていない。ここに重力はなくなり、赤い金魚は自由に空間を移動するのだ。

 「二十世紀の美術」の著者である宇佐美圭司氏は、「この現実は人間がペスミスティックになれる閾値を超えてしまっている」との危機感の表明から、「形の表現やエネルギーが消滅していくのではなく、沸きおこるような表現の場が私たちには必要なのだ」と述べ、「イメージの解体をくいとめた」画家としてのマテュスを再評価していることは、宇佐美圭司というマルセル・デュシャンに近い画家の言として奇異に思われるかも知れない。
 今日の芸術の混迷についての、マテュス自身の明敏な判断に耳を傾けて、ひとまずこの試論を終えることにしよう。
 ーひとはまずある対象から出発します。次に感覚が生ずる。ひとは空虚から出発しない。動機のないものは何一つない。・・・彼らは動機をもたず、もはや感興も、インスピレーションも、感動もなく、「非存在の」見地を擁護し、抽象の模造品を作っています。彼らの色彩の関係と称するもののなかにはどんな表現も見い出せません。 

 最後にマテュスのつぎの言葉を記しておきたい。このとき、マテュスが「画家は舌を切るべきだ」と思ったかどうか、私は知らない。
 ーもし神がいるなら、それは私自身だ。
 パスカルがこれを聴いたら、どのような感想を懐いただろうか。
 これは涜神ではない。現代画家がその歓びにも似た労苦の果てに絞り出すように洩らした自己への矜恃であり、絵画という芸術の媒介性を信じた、謙虚で偉大な一人の画家の「神」への賛歌というべきだろう。いつ頃のことであったか、ニース近郊にある「ヴァンス礼拝堂」へ日本から赴き、礼拝堂の椅子に腰掛けて思わず落涙していた一人の日本人の漫画家を、私はテレビで見たことがあった。
 マテュスが創ったこの小さい礼拝堂こそ、最晩年にマテュスの苦闘の跡を溢れる光りで洗い浄め、彼が生涯を通じて夢見た宇宙の空間そのものであったのである。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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