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眼精疲労

 本年は、生誕100年や200年の作家や作曲家が大勢いるらしい。まず、太宰治がそうであり、松本清張がそうであり、メンデルスゾーンがそうであった。
 先日、カントの「純粋理性批判」を1日、2頁づつ熟読している友人から、戦後の日本文学の代表者の一人である、大岡昇平もそうだろうと、私は問われ、自分の蒙昧に唖然としたところだ。
 その友人と逢う数刻前、私は偶々、大岡昇平全集の一冊を開いていたので、不思議な気がしたのもたしかだ。
 私の持っている全集は、その後旺盛な作家活動を持続した作品は網羅されていない。そこで死後に新しい全集が出たが、私の全集に入っていない作品「堺港攘夷始末」を、昨年の神田古本市でみかけて購入したところだった。この作品は既に明治に森鴎外によって書かれているが、大岡は森鴎外の歴史小説感に異論があったようである。この事件は幕末の騒擾の最中に、フランス兵と悶着を起こした武士達が責任を執らされて切腹する場面が描かれているが、日本が世界に門戸を開いた初発に起きた一つの象徴的な事件との認識が、アメリカを中心とした欧州連合国との戦争に引き込まれ、身をもって戦争を体験した大岡の心底に疼いていて、日本という国の宿縁をこの事件と日本の藩のとった行動にみただろうとの推測ができたのであった。
 ともあれ、くだんの友人と別れ、その足で今年開催中の神田古本市へ寄って、わんさと並んだ古本の山をのぞいていると、昨年、相当な値段で仕入れた上記の本が、安値であちこちに数冊見かけ、友人の生誕記念の話しとあわせて、私は奇妙な感慨をいだかせられたのである。
 なぜ、大岡昇平なる作家は、これほどまでに、評価が低くなってしまっているのかと、考えざるえなくなったからだ。それだけではない。古本市に売りに出されている本を眺めながら、そこに、日本の歴史的・文化的な、市場経済の「現在値」の状況が、次第に見えてきたように思われたのだ。
 そこからみえるのは、日本の現在の凄まじばかりの風景であった。
この風景の中には、勿論、本ばかりではない、市にあふれる人間たちも、またある感慨を、私に強いてきたことは言うまでもない。
 戦後も齢をかさねて還暦を過ぎ、もはや「戦後」は終わったという声が流れ、戦後生まれの人達は、歳月の波にもまれてもはや現役を引退して、古本市にわんさと集まるこの風景の中に、この私もまた入っているのは勿論である。これが激動する時代の流れなのであろう。古本市に来ることができるだけでも、まだ幸福といえる部類の人間たちなのであった。
 ー戦争を知らない人間は半分子供である。
 大岡昇平はどこかでこんなことばを洩らしていたのを、私は記憶していた。この作家は三十を過ぎて戦争に駆り出され、フィリッピンのレイテ島の山中を敗走して一人さまよい、ついに捕虜となった。そして、後年、このことを理由に、文化功労者の名誉を辞退していた。
 死後の自分の姿がいなかるものになるかは、この作家自身がよく知っていたことであり、生誕記念に自分の名前が、にぎにぎしく登場することもないことも、夙に織り込みずみの作家にちがいなかった。国家から差し出された名誉を拒んだ作家を、マスコミが取り上げようとしない理由はないはずだが、大岡は思いだされることはなかったのだ。私を含め、この平成の二十年はそのように過ぎてきたからである。もしかしたら、私たちは、「戦後」を忘れようとしてきたのではあるまいか・・・・。
 そうとうな高齢になってから、あの大著「レイテ戦記」は膨大な資料とインターヴュを含んだ記録を起こして、書き上げられたものだ。その戦記を書く仕事のためのみではなかろうが、両目を患っていた大岡から、同じ類の眼病の手術をうけた作家仲間の埴谷雄高に電話があり、埴谷から聞いた眼病に関する情報の不備を完璧主義者の大岡が不満を漏らしているくだりを、埴谷が大岡全集に寄稿していた。友人と会話する直前、私はちょうどその一文を読んでいたのである。
 太宰治ファンのように、大岡昇平の墓前を訪ずれて、わざわざ、お参りをするような趣味を、私は持っていないが、せめて「レイテ戦記」だけは読了したいと思いながら、まだ、その道半ばのていたらくなのだ。同じ友人から借りたトルストイ翁の「戦争と平和」も、半年前から読み始め、最近また再開したばかりであった。
 老眼もすすみ、眼精疲労に、目薬をさしながら、あとどれほどに残された日々、私は大岡昇平全集を紐解けるかも、さだかではない。ただ、くだんの大岡のことばが、私の胸に刺さった棘のように、ときおり痛む。ただそれだけのことである。
 そして、「戦後」は終わった、或いは、すこしづつ、この日本はリセットへ向かって、忌まわしい過去からの脱皮を図り、過去の呪縛からの解放を無意識に熱望しはじめているのかも知れないが、自国の歴史的事実は、否応なくこの国を追ってくることは記憶に銘じておくべきだろう。在位20年記念に平成の天皇の、「日本の歴史が忘れられることが心配である」との言葉を聞いた。平成の天皇がこのことばの中に、どのような意味を含めているかはつまびらかではない。昭和天皇が崩御したとき、この新天皇の後姿をみて、私は平成の御代がかならずしも元号に懸けられた願いどおりにはいかないだろうとの淋しい予感を、懐いたのことをたしかにいまも覚えている。
 そして、まことに私事でしかないが、どうもまだ私自身の「戦争」は終わってはいないようなのである。それは私の青春時代の知的な嵐の最中に、しかと私の胸に刻まれた私の使命のことであった・・・・。英国(?)映画だったか、あの「マ-フィーの戦い」をみたとき、私はこのマーフィーに自分の分身をみる思いにとらわれたことがある。最後まで、私に課せられた使命を遂行するようにと、私は促されたような気がした。


 
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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