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役所と詩人の相関について

 時代に住む詩人の姿を、ホフマンスタールは〈かく身をかくしそれと知られずに住む〉伝説中の巡礼の領主として、美しい比喩をもって描き出しているのであるが、プラハ労働障害保険局に十数年、その献身的な勤務の果て、犬のように死んでいった「変身」の作家ドクトル・カフカは、ある日、職場に訪れた一青年詩人につぎの如く語ったのでありました。

「あれは仕事ではありません。怠けて時を稼いでいるのです。一人の人間を隈なく満たすとこの、真に活動的でしかも確たる目標を持った生活には、すべて焔のような昂揚と輝きがあります。しかし私のしていることは何でしょう。私は役所に座っている。それは濛々たる臭煙製造の場にすぎず、幸福感などというものはないのです。」

 役所とは、人がそこでネクタイをぶらさげるように、さまざまな役割に応じて役人という仮面をぶらさげ、諸法規によって糊づけされた公文書という背広を着て歩いている場所である。言葉に渇き、真実というものに飢えている人間をもし詩人と呼んでよいならば、彼はきっと紡錘形をした一個の檸檬、慇懃なる挙措のうちに隠し秘められた美しい爆弾のようなものでありましょう。彼の脳髄に去来するものは、「赤裸の心」に刻まれた「仕事、仕事、仕事」という物憂く激しい宿願ではあっても、それは可愛想なオフィーリアの前を、うなされたように歩くかのデンマーク王子の「言葉、言葉、言葉」としか結実のしようのないものにちがいありません。人称格の不在によって組織された厖大な一機構である役所の中には、幾多の詩人もまたおることでありましょう。現実の役所はあの「城」ではないが、それらの詩人たちが、一人のKのように場所と定式をもとめて彷徨っていることには疑いはありません。その彷徨と探索によって彼等は役所に、そしてなによりもまず彼の時代に住み、その階段のかげに座を占めながら、言葉の力によって、ほしいままに世界を動かし、萬物への傍観者でありながら、その仲間であり、また無言の兄弟であるのではないでしょうか。

                                      (一九七八年十二月)
                                            
   ◇上記の一文は「役所と詩人」の題名である詩誌の募集に応じて投稿したものです。





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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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