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老人

 年を取った人の面貌には、地に根を張り、高く茂った樹を眺めるような趣きがある。その端倪すべからざる落ち着いた風貌には、歳月に耐え抜いた爽快な佇まいがあって、こちらに心地よいものが伝わってくる。
 居合をやっている者には、もちろん若い青年や女子もいるが、年とったものが案外に多い。ときどき見かけるある年寄りが私は気に入っいた。その刀捌きは春風駘蕩といった趣きがあり、それでいて鋭いものが看取されるのであった。枯淡の味わいとでもいうべきものが、その刀法に宿っているようだ。たぶんそれは、その人柄に密接に関連するものにちがいない。刀の運用にはそうした人間的な妙味が現れるのだろうか。伝統により鍛錬されて生まれた刀剣そのものに、もしかしたら、それを扱う人間のすがたを映す力のようなものがあるのかも知れないが、そう断言するほど私は刀についての強い思い入れがあるわけではない。というよりも、玩物喪志に陥りたくないだけかも知れない。
 年齢相応に年を取るほど、難しいことはない。六十歳を過ぎてもまるでむかしと変わらない人間ほど羞悪なるものはない。精神年齢が年に不相応に若いのは、なにか幼稚な痛ましさがある。むかし、「精神に年齢はない、ただ年輪があるだけだ」という文藝評論家のことばがあったが、年齢を年輪と言い換えても、肉体と精神との相互の関係が変わるはずもないだろう。
 女房の父は今年92歳となって、現在、病院にいるが、これまで一人で暮らしてきた。
この五月に介護の手が回らないので、やむなく病院へ入ってもらったまでで、本人の本意ではない。医者嫌いで、薬ものまず、健康保険証というものを使ったことがなかった。認知症ではないが、同じ事をなんども聞くのに、介護人は閉口するが、同じ事を幾度も答えることにしているらしい。長いあいだ商売をしてきたので、わりと金のことはしっかりとしている。医者嫌いになったのは、若い頃に痲酔もなく盲腸の手術をされた経験があったせいだろうと、女房は言っていた。自宅から最初の病院へ行ったときは、後一週間か十日ぐらいだろうといわれたが、点滴により、以前より元気になったようだ。しかし、その病院も点滴だけではこれ以上置けないので、どこかへ移ってほしいといわれ、市立の病院へ移ったがそこでも点滴でベッド生活、しもの事も自分で溲瓶を使っているが、やはり人の手を借りなくてはならなくなっている。そして、点滴の代わりに、その働きを身体に埋め込む医療をしなければ、また、その市立の病院からも出なくてはならないのだ。
 フランスに住む孫娘が帰国し、3~4日病院を見舞ったが、最後の日になると別れが悲しいのか、父は泣いたようだ。シベリヤへ数年抑留された体験を、孫娘が毎日のように聞くと毎日同じように父は答えていた
らしい。
 帰りの船に乗るのに、荷物を欲張って背負った者が、重みでバランスを崩して、海に落ちた話しを、父がした。
「その人死んだの?」孫娘は、わざわざそんな質問をする。
「死んだだろう、すごい冷たい海だからな」
「お爺ちゃんはなぜ、大丈夫だったの?」また、そんな質問をする。
 そんな質問にどう答えたのか知らないが、とうとう、最後の日に、
「お爺ちゃん、もう帰るからね、また、来るよ・・・」と孫娘が言うと、泣き出したそうだ。
 私は父がそうしたのを見たことがない。92歳の老人はどんなふうに泣くのだろう。
NHKの「クローズアップ現代」で、「病院で死ねない老人たち」というテーマのテレビをみた。
国は医療費を抑制するため、増え続ける老人の医療費の節約に、一定の期限をオバーしそうな老人を、病院から追い出して、自宅へ帰させるらしい。自宅へ帰っても介護がいない一老人が不安を語っていた。金があり余っている老人なら、相応な施設へ入ることはできるだろう。
 むかし、「楢山節考」という映画をみた。この世界の先進国で、死にゆく老人たちが途方に暮れている。介護制度などどこにあるというのだろう。金でどうにでもなるような「制度」など、一国の政策とは思われない。それなら、泣きながら老人を背負い、雪がはやく降ることを願いながら、山の奥へ老人を捨てにいく「姥捨て」がどれほどに、残酷な封建制度下の慣習であろうと、ことの本質は変わりはないではないか。
 もう一度いう。いったい老人はどんなふうに泣き、涙を流すのだろう。
 


              告別式


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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