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マラルメの火曜会

 これまで幾冊の本を図書館から借りて読んできただろう。そのほんの少しをノートに記録をしたが、ほとんど思い出すことができない。参考に図書館に尋ねてみたところ、過去の個人情報は完全に消去するとのことであるらしい。らしいというのは、その真偽はこちらでは確認する手立てはないからだ。電話の記録はどうであろうか。むかし、江藤淳氏は無言電話を受け、警察を介し犯人を特定したそうだ。誰が何処へ電話をしたかは、NTTの記録には残っているからだ・・・。
 さて、ところで「マラルメの火曜会ー神話と現実」(ゴードン・ミラン著)という本が出たことを新聞の広告で知り、既に借りている数冊の本を読み終わると、予約している図書館へ走り、行きに買い込んだ葉巻を吸いながら浅草橋の茶店で読み出したのだ。ちょっと脇道にそれるが、昨夕も葉巻を買って久しぶりにスタンドのワインバーへ行き、ペリーが浦賀に来航した際に、日本が初めて作ったビールというものがあったので、それを飲んだ。この米の酵母で造ったビールが実に旨かったので、冷たいものは私のいまの胃にはよくないのだが、二本も飲んでしまった。そのうちに外国人の客人が数人入ってきた。なんとなくカンが働いた。女主人に聞くと、やはり近くのフランスのリセの職員とのことだ。この七月に板橋へ移転するらしい。今日が最後という日本語が聞こえた。ああ、やはり移転の噂はほんとうだったのだ・・・。せっかく区は、柳北の柳を斬りはらい、マロニエ通りと称して、わざわざマロニエを街路樹に植え替えることまでやったのにその肝心のリセが消えてしまうとは、なんたる不様なふるまいであったことか・・・。私は酔いも手伝って、フランス人らしく外の卓子を囲む客人たちに、別離の挨拶をこめてそのビールの数本を贈った。するとガヤガヤと入ってきたフランス人から「ありがとう」と感謝のことばを浴びせられたのである。
「どういたしまして・・・ボン・クラージュ、リセ!」
 照れくさくて、数語、デタラメのフランス語を吐いて、逃げ出した。西部劇でカウンターでウイスキーを一気に飲んだり、好みの客に主人を介して飲み物を贈るのを見て、いつかやってみたかったことも手伝っていたのだが。どうも日本人にはキザなまねごとになるようだ。
 さて、本題に戻るとして、このマラルメの火曜会は、これまで仏文学の書物から、断片的に教えられ興味をそそられてきたが、この類稀なるサロンについて一読できる本を知らされていなかったのだ。弟子のヴァレリーやユイスマンの「さかしま」等から、その一光景を垣間みる程度で満足していた私の胡乱を、いまは改めて恥じるしかないのである。
 ところで、途中まで読んだこの本の紹介は控えるしかないとしても、ローマ街の五階にあったマラルメのアパルトマンは十二人ほどが入ると、主人は椅子から立たねばならないほどの空間でしかなかったが、そこにはマネが描きいまはルーブルにあるあの魅力的なマラルメの肖像画やゴーギャンに贈られたマリオ族の横顔を彫った木彫り、ベルト・モリゾーの水彩画、オディロン・ルドンの花のパステル等があったらしい。
 そして、カミユ・モンクレールが言うのには、「なによりも感銘をうけたのは主人の目と声」であったらしい・・・「彼は中背で、小太り、さっぱりとした黒い服を着ていた。彼は人を迎えるときは厚い布の靴を履いていた。とても寒がりだったから、ほとんどいつも肩に格子縞の肩掛けをのせていた。それで火口が赤土でできていて、管が鵞鳥の骨のお気に入りのパイプを燻らせながら、一晩中暖炉を背にして立ったままだった。(・・・)声は実に魅力的だった。抑揚があり、決して大きくはなく、洗練された響きがあり、突然鋭い調子を帯びることもあった。それは人々のこころを捉えてやまなかった」
 もうこのへんにしておきたい。文人たちのサロンというものが、いかなる雅致にとんだものであったか。それを私が経験した日本のそれと較べたくなる誘惑を避けておきたいからであるが、江戸時代にはなかなか乙な集まりが日本にもあったことは、中村真一郎の本で知ることができる。鹿鳴館外交に象徴されるように、明治以降の西洋の模倣は、「日本の文明開化」と題した漱石の講演で指摘されたとおり、表層的でしかなかった。
 この本はマラルメが主宰する「火曜会」なるサロンの実際の光景を可能のかぎりの資料を渉猟することで甦らせてくれている。
 例えば、一八九四年五月一日のサロンでは、マラルメはこんな一言を話している。
「アナーキストたる権利があるのは一人の人間だけだ、この私、詩人だ。なぜなら私一人が社会の欲しないものを生産し、それと交換で、社会は生きる糧を何も与えてくれないのだから」
「ものを書くことができることほどアナーキーなことはない」とつけ加え、誰かが法の制限についての異議を唱えると、マラルメは「書くことを知っているとは、どんなことについてもすべてを語ることだ。暴君にはほのめかしや遠回しの表現だけが唯一気がかりな事項なのだ」と言った。ここからサロンでは、歴史や、ナポレオンや、才能についての長いおしゃべりが展開されると、「才能とはナポレオンの戦いの勝利のように、突如生まれる瞬間的な着想であるより、ワーグナーのような生涯にわたって見通す能力だ」と、マラルメは明言した。
 一八九六年四月二十八日のサロンでは、
「栄光とは、結局のところ、意識なのだ。それは評判や恐怖、群衆、大衆を刺激するどんなものとも違う、そうしたものとはまったく逆の、それ自身のうちにある、ある生、人生の意識なのだ。それは弱まることはなく、人生の中の最高のものだ!」
著者はこの「マラルメの火曜会」をモデルにしたカミユ・モンクレールの「死者たちの太陽」を掲載しているほか、この会の常連客だったアンリ・ド・レニエ等の感想を紹介している。
「ステファヌ・マラルメは話し言葉の巨匠の一人だったが、その会話は演説家や教師のようではなく、生き生きと活気のある形で行われ、対話のように、進行するかと思うと止まり、またはじまるという具合で、中段して、その曲折を幻想の翼の輪と漂う煙草の煙とに合流させるのだった」
 また一人の感想はこうだ。
「一番驚くのは、書くものがあれほど難解なのに、彼の語りは山中の小石の上の流れる澄んだ水のように流れていくことだった。イメージは努力することなく次々につながり、決してためらうことがなく、言葉を探すのに立ち止まることもなかった。効果を狙うということも決してなかった。皆が、この人は大きな声で話をしつつ考えていて、その考えはすべて正しいという感じを抱いた。パイプに火がつけられないまま、話は十一時頃まで続いた。その頃になると、マラルメ嬢がなにか軽い飲み物が入った大きな水差しを持って入ってきた。皆はそれを飲んで、そして師にさよならを言うのだった」 
 もしこの時代にDVDがあったら、実際の情景をみることができただろう。なお、マラルメの詩を読解したい方は、中央公論社から「ステファヌ・マラルメ」(菅野昭正)の大著が刊行されていることを、参考に記しておこう。
 

   マラルメ


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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