FC2ブログ

お爺ちゃんの”宝物”

 埼玉県の越谷で一人暮らをしていたお爺さんは、6月7日、92歳で亡くなった。お爺さんは北海道の十勝で生まれた。先祖は福井県の人だったが、開拓民として北海道に渡ってきたのだ。お爺さんが6歳のときに、父親が破傷風で突然に亡くなり、その後は祖父に育てられたという。その祖父からおまえは東京へ行けと言われて、東京に出てきて色々な仕事をしていたらしい。23歳のときに召集令状が来て、生まれた北海道から、真冬の千島の択捉島へ船で渡ったそうだ。
  すごい寒い時期だった。甲板の鉄の柵に掴まっていると、その手が凍りついて柵から手が離れなくなった人がいたという。択捉島へ下船してからしばらくして、ラジオで天皇陛下の放送を聴いたが、雑音がひどくてよく聞き取れなかったらしい。人づてに教えられたのは、日本が戦争に負けたということだ。船を持っている海軍の人達はすぐに本土へ帰ってしまい、その後すぐにロシアの兵隊が上陸してきたという。それを予知して山を越え、反対側の日本海側へ移動したらしいが、もう食べるものはなく、空腹を抱えての山越えはとても大変だったらしい。それでロシアの兵隊に抵抗できずに捕らわれ、一斉に船底にいれられた。
  戦争は終わっているのだから、日本に帰らせてもらえるかと思いきや、着いたところはロシアのウラジトストック。それから凍えた奥地の森へ連れていかれ、スープにわずかな実が浮いた粗末な食事しか与えられず、朝から晩までロシア兵に尻を叩かれて強制労働に服していたという。零下30度ほどの極寒の地では暖をとるため二人で抱き合うように寝ていたらしい。だがソ連兵に秘かに洗脳された仲間がスパイとして、潜入していたということだ。そうしたソ連のスパイがどこにいるのは分からない。一言でも抵抗の意思ありと密告された者は捕縛されて、昨日いた者が今日の朝はもう姿がない。その心理的な恐怖は相互不信をもたらすから、抱き合って寝ていた者でも、うかつなことは言えないのだ。栄養失調や病気や密告され殺された者達の屍体は、身ぐるみはがれされてしまう。
 たまたま目覚めた夜の底を、剥きだしの骨だけになった白い屍体の山を積んだトラックが薄闇に走っていくのを見たことがあるという。お爺さんがその話しをしたのは一度だけだったが、そのときのお爺さんの顔は、眼前にそのトラックを見たような恐怖をうかべて、血の気がひいたような顔色になった。でも、凍りつく夜の道を離れたトイレにいく時の話しをするときのお爺さんの顔は笑っていた。トイレと言っても灯りもない小屋の中に板が二列に横たわらせてあるだけの粗末なものだから、危ないことはかぎりがない。滑ってドボンと落ちたらもう悲惨なのである。それで、たいていの日本兵はトイレまで行かずに、途中で用を済ませてしまうのだが、その汚物が至る処で氷りつき、後の者はその上でツルリ、ステン、コロリンと滑ってしまうのだ。そんなことで、もう見られたものではないらしいのである。
 さていよいよ帰国の段となると、スターリン閣下様に誓詞を書かねばならないらしい。隊長がお堅い奴でそいつを拒否すると、その隊長に仕えている下士官一同はまた奥の森に移動させられてもっとひどい任務につかなくてはならないのだ。その末路は知れたものだ。誓詞の内容は共産主義の思想を帰国後においても、普及のための活動をすることを誓うというものであった。そんなことだから、日本へ帰ってからもシベリア帰りと分かると、あからさまな差別やいじめを受けたという。それで口を噤んで事実を隠さざる得なかった・・・・。
 嗚呼、もうこんな、悲惨を通り越して滑稽というも愚かなことを記すのは止めることにしたい。
日本へ帰還してから、夫婦で365日、昼もなく夜もなく働きに働いたお爺さんが、かたわら収集した”お宝物”があった。写真に撮りブログの下に載せたのだが、それが写真として残ることはなかった。不思議なブログがあったものだ。






関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード