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館山へ行く

 幼年時代の真昼、太陽の下で花に戯れ宙空に舞う蝶々を、白い捕虫網を持って追いかけたことのある人なら、その純粋なる狂熱と陶酔の濃密な味を知らないはずはないにちがいない。私もそんな少年の一人であった。向日葵は真夏の静寂の只中で燃えていた。野生の「美」への無心の饗宴に時間を忘れ、真っ黒く焼けた顔に汗を滴らせ、目は果てしない欲望に不気味に耀いていた。あれほどの幸福な時をこの人生の蛹の時代に、味わったということはきっと甘味な期待をいだきながら、人生を歩きだすにちがいない。そうして、人生の苦みを噛みしめることになるのであろうか。それらの蝶をピンに刺し、底にコルクを張った展翅箱に整然と納めて、夏休みの宿題として他の子供たちの作品と一緒に並べた。
 やがて私の耳にこんな声が聞こえた。
「あれはデパートで買ったものにちがいないよ」
 私はいまもそのクラスの子供の声を覚えている。そのときの私の複雑な気持ちをどう表現すればいいだろう。たしかに、ガラスケースの箱は買ってもらったものだった。しかし、あれらの完璧に展翅された蝶たちは、私が夏休みの大半を傾けて蒐集した「美の化身」であったのだ。どうしてそれを信じてもらえようか。私の狂熱の成果への子供じみた誇りとそれが正当な評価を得ない不幸は、子供時代の傷跡として生涯に亘って響いていくものにちがいななく、私の胸を灼くに充分であった・・・・。
 館山のホテルの窓から、果てしなく広がる緑の田園を眺め、さほど広くない部屋のベッドに寝そべり、私がヘルマン・ヘッセの「蝶」という同時代ライブラリーの一冊を読み出した時、忘れ去られたこの幼年期の官能と傷心をまざまざと、思い出したのだ。
 東京駅から急行バスに乗り、館山からまたバスに乗り継いで、安房神戸で下りると、指定をうけたセブンイレブンに入った。携帯で電話をすると、眉の太い黒い大きな目をした主人が車で迎えにきた。農道の細い径は竹が群生し、わずかな水量で細流が走っていた。その農道を車は二度まで曲がり、猛烈なスピードで走っていた車はホテルの玄関前にとまった。
  網戸からさわさわと風が入るほか、シーンとした静寂が私を心地よい田園の中に建つ、ホテルの窓の側のテーブル座らせた。庭に繁茂する沖縄産のディエゴの樹は、ごつい瘤からまた四方八方へ太い枝をのばしている。五、六月に真っ赤な花を咲かせたはずのこの樹木は、夏はただ午睡をむさぼるだけのようだ。
二階の部屋の窓からは、緑の田園風景が眺められた。遠くに山並みが望め、緑の田野におり立った白い羽根をひろげた鳥は鷺であろうか。
 ヘルマン・ヘッセは同じライブラリーの「色彩の魔術」で既に、水彩画の本を一冊読んでいた。この作家の目は野生の官能と叡智のヤヌスの狩人のものだ。「蝶」は彼がインドやセイロン、さらにはマダガスカルまで、蝶を求めて旅した詩を挟んだ「奇行文」である。この中の「マダガスカルの蛾」を全文引用したい誘惑に駆られるが、それは精緻にしてかつ、華麗な文章の織物である。上質なワインを口に含んだときの気品のある酩酊に襲われずにすまない。こんな詩に心が惹かれた。

       告白

  愛らしい幻影よ おまえの戯れに
  よろこんで身をまかせている私を見よ
  人びとは目的や目標を持っている
  私は生きているだけで満足だ

  かつて私の心をゆさぶったすべてのものは
  私がいつも生き生きと感じている
  無限のもの 唯一のものの
  写し絵にすぎないのではないか

  そのような象形文字を読むことは
  これからも私に生きがいを与えてくれるだろう
  なぜなら 永遠のもの 本当のものは
  私自身の中に住んでいることを知っているから

 ここには「荒野の狼」や「シッダルーダ」を書いたヘッセがいる。C・ウイルソンの「アウトサイダー」の一人が存在する。  
 朝五時に私はホテルを出て、農道を歩いた。そらから国道に出てしばらく行くと、左手にかすかに海の匂いを感じた。進入禁止を無視して潅木の細い径をたどると、堤防の向こうに海がひらけていたのだ。海をみると私のからだには不思議な元気が湧いてくるのである。堤防を越えて波が砂浜に寄せる海へ、私の足は動くのだ。広い海岸線が目地のかぎりに広がり、もう釣り人やサーフィンの若者がいた。
 私は海に流れ出す小流れを越えようとして、砂浜にみつけた太い枝の漂流物を竿に使い、向こう側へ飛んだ。強そうにみえた竿は突然折れて、私のからだは向こうの土手の砂浜に移動したが、右腰から流れの端に落下した。
 尻が流れに浸かり、立ち上がろうとしても砂が崩れてなかなか腰を上げることができない。近くの釣り人が私の滑稽な努力を見ているらしいが、手を貸してくれようとしないのだ。下半身の濡らし砂だらけになったが、私は海岸を歩いた。海は潮があるらしく、ここは水泳をする場所ではなかった。ホテルに帰りシャワーを浴びた。
 濡れた靴下や下着を窓から吊して、朝食を食べに階下におりた。
 テーブルは二人の若者と相席となった。車で来たという二人は口数が少なく、私をがっかりとさせる。珈琲を飲み、海沿いを走るバスの時間まで、ベッドに横たわり「蝶」を読み、窓から風景画をスケッチする。
 バスを下りるとビーチへ向かった。手前で岩のある海岸へ出てみた。水泳用のパンツに履きかえ、早速、海に浸かる。海から身を遠ざけてから、もう幾年の歳月を経たことだろう。私は裸足で岩の上から海水に入った。頭から海に潜る。色鮮やかな数匹のベラを見る。ウニの棘を気をつけながら、海の中の岩に立ち、あらためて海を眺め海水を舌で味わった。三十代から四十代の壮年のひとときを、海に潜っていた私が海を離れたのは、海が羞悪な人間の集団の顔を見せた時であったか。私は木陰の岩場にあがり、夏の青い空と岩に崩れる白い波の戯れを陶然と眺めて過ごした。
 時の経つのも忘れて、服に着替え時計を見るともう三時であった。バス停まで十五分しかない。私はバスに乗り遅れまいと、走行して来る車の前を、信号も無視してバス停までの坂を駆けあがった。私の病んだ心臓など犬にくれてやってもいいのである。
 ところが、バスは七分も遅れてやってきた。館山で安房の土産に、特産の団扇を買った。東京駅へ着き、そのあまりの変わりように、私は駅から山手線に入るのに迷ったくらいだ。陽に焼けた肌が痛く、風呂にも入れず、ネットで買い込んだベルギーのビールの小瓶を飲むと、どっと疲れが出て睡りについた。


館山3 館山4
   沖縄の樹 ディエゴの樹

蝶 蝶3


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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