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絵の歓び

 クレオンで絵を描くのは、小学校の頃の喜びであった。たいして上手いというのではなかったが、画用紙のうえで指でクレオンをこすることで、自分独自の効果が得れることを知った。チャンバラの遊びも、打ち合う拍子を一泊はずすことで、相手のからだにスキが生まれる。その相手が出した右足を左から狙う技を、自分であみ出しでから、チャンバラが好きになった。子どものころから、人と同じことはやりたくなかった。なにか新規な手法による創造が、私には必要だった。はじめて風景画を描かされたときの戸惑いをいまでも覚えている。
 風景をまえにした私の目は、戸惑うばかしであった。家を、樹を、空を、お日様を、描く定番に、私の興味が湧いてこなかった。だから長じて「風景画」が生まれた由来を知って、初めて納得した。海と大空の好きだった少年は、ブータンという画家が描く海辺の光景に魅せられたのもそれなりのわけがあったのだ。
 中学校では水彩になった。さいしょは大乗気だったが、水彩は乾かないうちにつぎの色彩をのせると、色彩は互いに相殺しあい、濁って汚らしいものになることを知り、それ以来、私は描くことから、見ることに位置を移した。だが粘土細工だけは別だった。時代は岸信介という総理大臣が新聞の一面を頻繁に顔を見せたいた時期だった。私は面白半分から、この出っ歯の総理大臣をモデルに粘土をこねくり、写真そっくりの彫像を作った。それが好評をはくした。図画の教科書は私の目を飽きさせなかった。アングルの「泉」の古典的な美しいポーズに私は魅惑された。絵画が私の心の糧になったのは、この社会へ出てからだった。
 それは私の精神の慰藉になってくれたからだ。私は何事かに渇いたように、絵を見るようになっていた。
幾度も書いたことだが、会社勤めの足が東京駅の地下街で動かなくなった。そのとき、本屋の店頭に、アンリ・マティスの絵を見なかったら、私はどうなっていただろう。
 一年も勤めずに私は会社を辞めたが、八重洲にあったブリジストン美術館へ毎日のように通っていた。美術館が私の教会のようなものであった。ルオーをセザンヌをマネをモネをゴーギャンをゴッホをルノアールをピカソを、その他の日本の画家の絵を、私は飽きずに眺め入ったものだ。音楽評論家の吉田秀和氏の「セザンヌの初期」の講演を聴いたのもブリジストンのホールであった。
 私はスタンダールの「絵画論」を、アンドレー・マルローの「空想の美術館」や「ゴヤ論」を、また、ジョルジュ・バタイユの「沈黙の絵画」を、ヴァレリーやアランの「芸術論」を、日本の小林秀雄や滝口修三の「近代絵画」やドラクロア、ゴッホ、ゴーギャン、ジャコメッティー、マティス、マルセル・デュシャンの日記、日本の画家では池田満寿夫や有元利夫の書いた本を、熱心に読んだ。
 だが、やはり自分で絵を描くことは心をときめかすことだった。上野の金華堂で、絵を描いていたが、子ども達三人をそこへ連れていったこともあった。毎年の誕生日に妻から贈られる花を、パステルや水彩、色鉛筆で描いてきた。
 そして今年からは、区の社会教育会館で絵を描くことが好きなグループに参加して、一週間に一度絵を描くことを始めた。おばさんたちのお喋りを聞きながら、絵を描くなんてことは昔だったら、想像しようがないが、年を取った私には、そのたわいもない女達の会話をも含め、絵を描くのが悦ばしいのである。
 パステル、水彩、油彩、色鉛筆の裸婦と花たちは、写真に撮ってブログに保存した。が残念ながらそれらは消えてなくなり残ってはいなかったのである。
 

  
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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