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花と恋して

 平成十年の秋、上野の国立科学博物館で「草木の精 牧野富太郎」と銘打つ博覧会が開催された。その時、科学技術庁長官は新任の田中真紀子であった。私はトップの交代で突然に旧態依然の上野の施設がかくも変わるものかと、感心したものだ。それぐらいに、当時の田中真紀子には、父親譲りのオーラがあったのである。
 新聞にこの企画の広告が出たのも、旧来にはなかったことであった。私はそのキャッチフレーズとコピーに惹きつけられた。 
「草木の精 牧野富太郎」の下に牧野青年の写真が載り、簡潔でロマン溢れる短歌が掲載されていたのだ。

   草を褥に木の根を枕
            花と恋して九十年


 この歌が私の胸を衝いた。
 以前にこの博物館へ行ったことがあった。重々しい施設、中へ入ると暗い館内には、幾十年と同じ展示品が埃をかぶったように並び、私はこの国の文部科学行政の怠慢をみて、顔を背けるように館内から出てきたものであった。だがこの企画は私の足を上野の山へ向かわせたのだ。植物にそれほど関心があったわけではなかったが、図書館でこの博士になる植物図鑑を幾度か手に取ったことがあった。私が驚いたのは、詳細緻密なる植物の標本が、博士の実筆ですべて描かれていることである。植物は名づけられることによって、人の脳裏に存在する不思議な生物である。その名前はたいてい小難しいものであるから、その名前が覚えられることはまずないものである。東京の向島百花園や小石川植物園へ行き、私のなかの植物の名前が増えたことはまずないと言ってもよい。それでも花や木には名前がなければならないのだ。ロンドンへ旅したとき、郊外にあった初冬のキュー植物園へ訪れたことがあった。まだ朝霧に曇り小雨に濡れそびれた、ひっそりとした冬の植物園を徘徊し、私は英国人の生活の一端に触れたような気がしたものだ。もちろんその植物園の名前どおりの、女性作家バァージニア・ウルフの短編小説を読んだ記憶が、そこへ足を運ばせた要因であったが、それだけではなかった。私は植物のもの言わぬ静かな佇まいに惹かれていたのかも知れない。なんの誰のためでもなく、この大地に根を張り、太陽の光りをもとめ、鮮やかな花を咲かせ、実をつけて枯れて散っていく、その寡黙な生命の循環、自然の不思議なちからに魅せられていたのかも知れないのだ。
 牧野富太郎という名前は、いつしか私のあたまの片隅に刻まれて、忘れられなかった。
 「婉という女」を書いた大原冨枝が、「草を褥に」という牧野富太郎の伝記を綴り、彼をモデルに小さな説を書いていることを知り、私はやはりという思いを禁じられなかった。大原のこの伝記と小説は、大原でなければ書けないものであっただろう。牧野富太郎の妻の夫に尽くす献身は、そのまま小説「婉という女」に通じるなにものかであるからだ。学問への無心な情熱、土佐という土地柄と人間への共感は、そのまま、大原冨枝という作家の最良の資質でもあるだろう。渋谷の道玄坂の上にある丸山町は、いかにもここがむかし花街であった風情をどこかに感じて、その裏通りを抜けて松濤にある孤高の建築家による小体な美術館へ訪ねたことは幾度もあった。牧野の細君がここに、待ち屋を持ち牧野の貧窮をささえた商才を大原は仔細に描写することを忘れなかったのも、「婉という女」を書いた大原冨枝ならのことである。たしかにこの町はあの醜悪なるバブル経済の頃から変貌を遂げたにちがいない。それなら東京のどの町や横町がこの時代の異臭に触れて、ざわざわと醜怪に変わらなかったところがあっただろう。ひと頃には三味をさらう音を耳にしたこの私の小さな町も、その人のこころも様変りを免れたわけではなかった。聖徳太子が一万円札から消えたあたりから、世界経済の構造が変わりはじめたのは、こころある人なら覚えのないことではなかろう。人の上に人をつくり、人の下にまた人をつくる世の中を当然とする風潮はこのあたりからはじまったのだ。世界の潮の変わり目に眼の置きどころを見失い、品格も作法も忘れた下司同然のものどもが、マスメディアとこぞって札びらで人の横面を張ることをなんとも思わなくなる世の中を、お作り遊ばしたからである。猟奇的な事件が、それを描いたノンフィクションの伴奏を添えて、ひとつの町の歴史を塗る変えてしまったこともあっただろう。男女雇用機会均等法の元年に東電のエリートとして就職した一女性がどのような逼迫した陰影心理を抱いて、あの町をさまよったか、東電という巨大企業がどのような社風をもっていたかに、あのノンフィクション作家の筆がのびていなかったわけではない。
 「婉という女」第五章「挽歌」から、婉のこころの空虚なさけびを書きつけておこうか。
ーわたしはどもにも逃げてゆくことはしない。逃れていく他国は、わたしにはない。いや、 わたくし自身がいまは全く、他国であった。どこに在ろうと、わたくしはもういつも、他国他人者でしかない。

 私は偏狭な強ばったナショナリズムを言挙げするつもりは毛頭ない。私もまた、牧野富太郎のように生きてみれたらどんなに喜ばしいかと思ってみただけだ。小説の最終節をこのブログのおわりに書き写して筆をおこう。
ー幽獄をでて十九年、ここでもまた、わたくしの周りには稠(おびただ)しく死が堆積した。わたくしはそして六十一歳になった。こうして、孤りここに生きている。これからも、生きてゆくー



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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