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「遠山啓追悼文」その他

 日本のマグロ漁船・第五福竜丸がビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で死の灰を浴びたのは、一九五四年のこと。原子力の平和利用が銘記されたのは五五年の「原子力基本法」。五六年に設置された科学技術庁の初代長官・正力松太郎は、核武装を睨んだ「国策」の本格的な始動。第二次岸内閣の長官・中曽根康弘は57年日本で最小の原子炉を設置。「鉄腕アトム」(その妹はウラン)の誌上デビューは52年。石油ショクを契機に、石油資源の枯渇、中東情勢による供給不安を背景に、原発は国民的なコンセンサスを獲得。
 80年代、理化学研究所の槌田敦は「反原発運動」イデオローグとして登場。石油文明批判。地球を「解放定常系」として捉え直す資源物理学。「科学技術信仰」と癒着した原発の「安全神話」を告発し、ウランの採鉱から精錬、濃縮、原発建設、運転、放射能処理に至るまで、石油を使う二次製品でしかない原発プロジェクトの欺瞞と限界を、文明史的なパースペクティブからあぶり出した槌田の物理・経済学説は80年代の科学思想の先端にあった。
 1982年。第二回国連軍縮特別総会へ向けて、大規模に組織された「反核運動」は、ドイツ経由で日本では書名活動として展開された。署名数、約2754万人の空前の規模であった。このとき、吉本は「文学者の反核声明」に真っ向から異を唱えた。中野孝次らの「書名についてのお願い」を批判したことは、先のブログで紹介した。(「吉本隆明と『文学者の原発責任』」高澤秀次 ATプラス9月号)
  ここでは、吉本が先の毎日新聞での談話を行った「技術」への思い入れの端緒を、高澤氏は若き日の吉本隆明が大学で薫陶をうけた遠山啓にまで遡って跡づけようとしている。

 そこで、遠山啓氏への吉本の追悼文をここに、紹介しておきたい。

  敗戦の余塵がまだ醒めない時期、遠山啓は「量子論の数学的基礎」の自主講座を焼け残った学舎で開き、工場動員のため地方に散っていた吉本隆明のような皇国青年が多く参加し、熱心に耳を傾けた。
 この「遠山啓追悼文」のなかで、吉本隆明は次のように述べている。

「講義の内容は切れ味の軽快さよりも抜群の重みを、整合性よりも構想力の強さを背後に感じさせるようなものである。このような印象は、ある一つの対象を理解するために不必要なほどの迂回路をとおって到達した証拠であるように思われた。」

「国家ははたして敗戦後も存続しうるのか。大学なるものは存立が許されるのものなのか。本土内での抗戦はおこりうるのか。はたして人々はどうやって生存と生活の手段を獲得したらよいのか。こういうことの一切が未経験で不明であり、一切の指示がどこからも与えられなかった時期が、いま存在していた」

「・・・けれども私(吉本)が何度でも確認したいとおもうのは、この無権力的な混乱の時期に、わたしたちは何かをおこすことも何かの指示をうけとることもなかったということである。つまりは左右をとわずすべてどんな勢力も諸個人も、何の想像力も力ももっていなかった。このことは無条件降伏であったか否かという法制上の論議の以前に、はっきりさせておかなくてはならない。」

「敗戦とはなにか、大学とはなんなのか、学問とはいったいなにかを回答することなしに、大学がまたぞろ再開されようとする姿が醜悪で、嫌悪だけがどうしようもなく内訌しくすぶっていた」

「遠山さんには敗戦の打撃からおきあがれない若い学生たちの荒廃をどこかで支えなければならという使命感が秘められていて、その情感と世相への批判が潜熱のように伝わってきた」

 そして高澤は、敗戦とは何か、学問とは何か。教育とは何か。 いまだにだれも、回答しようとせず、いまや、問おうともしていない問いである。ひとりの遠山啓もなく、遠山にあった教育理念も外部にもたず、教育者に使命感なる語は死語となって久しい、いま、われわれは個人の自立を自分自身で獲得しなければならない。すなわち、精神の自立。脱学校。脱国家。脱社会。国家に何かを期待すること自体が愚劣である。

 先日(8月30日)、朝日新聞の論壇時評に、高橋源一郎が「変える楽しみ 社会は変わる」と題して、「報道ステーションという番組に出たとき、『尖閣諸島に香港の活動家が上陸した」といニュースのコメントを求められた。ぼくは正直に「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれることの方が心配だと答えた」と述べ、首相官邸の前に、何万、何十万もの人たちが集まることに「デモで社会が変わるのか」という疑念に対し、「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」という柄谷行人のより本質的な答えを対置している。こうした高橋の論調には高澤と同じ位相でものを考える思潮の新しいうねりがあるものと、私には思われたので、敢えて最後に追記しておきたい。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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