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為替相場

 「金というやつは、社会の精神だよ。」(「テスト氏との一夜」ポール・ヴァレリー・粟津則雄訳)
 この一語を胸に、私は一時とある金融機関にいたことがあった。お偉いさんに三度も辞表をだした末、ようやく四度目で認められた。
「乞食のようなまねはするなよな。」
 一言そう言われた。その人はほんとうに私のことを心配してくれていたのかと、私は慚愧するしかなかった。
 青年にありがちな精神の嵐の中で、私はヴァレリーに出逢った。その言葉は木の葉のように慄える、私の精神を深く錘を降ろして、落ち着かせてくれるように思われたのだ。
 私は社会の中に自分の居場所を探していた。社会の抽象的な法規範なら、私の精神と折り合いをつけられそうな気がした。法律家になろうと、私は都心の図書館に朝から通いはじめた。だが依然、ヴァレリーはますます私のこころに寄り添いだしていたのである。
 もう難破船が海に沈むのを見るのは金輪際厭であった。私はひとり部屋の床に正座して、お祈りをしたことさえあったのだ・・・。
「テスト氏は金の話しをした。彼独特の雄弁をわたしは何とも伝えるすべがない。彼の話は、ふだんほど正確ではないように思われた。疲れと、時とともに深まる静寂と、葉巻の苦さと、夜のよるべなさとが、彼に影響を及ぼしていたようだ。低められ、ゆっくりのばされた彼の声が今も聞える。その声は、彼が、途方もなう大きな数をたいくつそうに引用するに従って、われわれのあいだで燃えているただ一本のろうそくの焔をゆらめかせていた。八億一千七万五千五百五十・・・わたしは、計算を追うこともなくこの未聞の音楽に耳をかたむけていた。彼は、株式市場の動きを教えてくれたが、長々と連なる数字の列が、まるで詩のようにわたしをとらえたものだ。さまざまの事件、産業上の現象、大衆の好み、情熱、それからまた数字、こういったものを彼は互いに比較してみせた。彼はこんなことを言ったものだ」。
 そして、冒頭のことばを語るのである。
 だが、私はそのことばの後に、テスト氏の表情を描写する作者の言葉がうまく飲み込めかねた。
「突然、彼は口をつぐんだ。苦しげだった。」
  昭和14年の秋、批評家の小林秀雄は「『テスト氏』の方法」でつぎのように書いている。
「ヴァレリーはテスト氏を『悟性神話上の怪物』と言ったが、恐らく彼の真意ではない。テスト氏には、肉体もあり、意思もある。いや、テスト氏をテスト氏たらしめる人間的条件は、何一つ彼に欠けてはゐない。『エミリイ・テスト夫人の手紙』がこれを語っている。『人間』がそのまゝ純化して『精神』となる事に何の不思議なものがあろうか、人間が何物かを失ひ『物質』に化する事に比べれば。大部分の人人が、女と同衾する様に、出来上がった様々な観念や思想と同衾する。彼等は“verite”を得たと信じて、実は“realite”の世界に呑まれてゐるに過ぎない。」
そして戦後の昭和二十四年には、小林は自らの精神の対決すべき対象をもとめる批評精神が、一切の対象を疑い虚をつかもうと、「虚について実を行った」芭蕉を喚び起していたようだ。これが「テスト氏」から学んだ「方法」であった。それは戦前も戦後も変わりない小林の「情熱」であったように思われる(「文化について」)。
 小林の戦争を跨いでも不変であったこの情熱、即ち、「『人間』がそのまゝ純化して『精神』となる事に何の不思議なものがあろうか、人間が何物かを失ひ『物質』に化する事に比べれば。」と・・・。
 ここに小林が目を瞑って超えてきた深淵を、私は見てしまうのだ。ヴァレリーがパスカルを不当に非難するところに、ヴァレリー自身の後ろ姿が見えるかのように。
 なぜ、テスト氏はこんな一行を書きとめたのか。
「突然、彼は口をつぐんだ。苦しげだった。」
 私も若年の頃に、峻拒したものに奇妙な親愛の情を覚えることに気づく年齢になった。それは「円熟」したり「成熟」した訳のものではない。なぜにテスト氏は、口をつぐみ、苦しげになったのか。
「われわれが気球旅行を想像する場合、気球乗りの味わいそうな多くの感覚を、明敏かつ強力に作り出すことが出来る。だが、現実の昇空には、それ以上の何か個性的なものがつねに残るのであって、この現実の昇空とわれわれの夢想とのちがいが、エドモン・テスト氏のごとき人物の諸方法の持つ価値を示している」
 そして、すぐに次の数行が顕れるのだ。
「この人物は、人間の可塑性とでも名付けうるものの重要性を、はやくから知っていた。彼は、その限界と機構とを探り求めたのだ。おのれの可鍛性について、いかに彼は思いをこらさねばならならなかったか!」

 「為替相場」の本が面白いという私の感想に、ある大手の証券会社の人物から、「為替」の取引をしているんですか、と驚かれた。あれは運動神経のよい人しかできないので、会社もそういう人しかディラーへ持っていかないとのことで、本は読まないようにとの忠告を受けた。なるほど、そうにちがいないと、私も思う。
 その本には、「為替相場は奥が深い。外為の市場は一日に約4兆ドルの取引がある。為替の予測はあらゆる相場のなかでも、いちばんむずかしい。世界中で起こっているすべてのことが、為替のレートに集約されていおり、相場は人と人との取引で成り立っているので、人の心を読むことが重要となる人間くさい世界である」と述べてあった。
 「為替相場」に私は、「おのれの可鍛性」なぞを思いころす所以はない。ましては、「おのれの可塑性」や「その限界や機構」を探り求める時間が、私に残っているなどと夢想することなど、さらさらないのである。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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