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「梁塵秘抄」考

 毎日曜、テレビで「平清盛」が放映されている。視聴率はあまりよくないらしい。
ときおり、歌が聞こえてくる。後白河法皇が好んであつめたあの今様の一節だ。

  遊びをせんやと生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ

 武士が歴史に擡頭する頃の話しは、あまり日本人には馴染みがない。現在の国会と同様に政局がらみで、判りやすくこの平安末期の戦乱を書いた時代小説があるわけでないからでもあろう。それに、権力闘争はいつの時代でも舞台裏で行われ、表には現れづらい。白河、後鳥羽、後白河法皇の三代にわたる院政時代は、巷の庶民の生活は悲惨なものであった。この歌も遊女が歌っていたのを、後白河法皇が編纂したものだと言われている。テレビでは説明ぬきでこの歌を多用しているが、その演出意図がいまひとつ伝わってこない。政争をドラマに仕立てるのは難しいことだろう。若い頃、演出家を希望したことがある私にはそれがよく分かる気がするのだ。宮本武蔵や坂本龍馬なる人物なら、多くの大衆周知の歴史的な事実のうえに、ストーリーを描けばいいだろう。だが政治となると事はそう簡単ではない。マキャベリは「君主論」を書いたが、ほんとうのところ、「政略論」のほうが面白いのだが、前者を読んでも後者まで読む人は多くはない。後白河法皇が平氏の分裂を策し、あるいは平氏と源氏を互いに抗争させ、平氏が源氏に壇ノ浦に破れれば、こんどは東北の藤原氏に源氏に圧力をかけ、頼朝が力をつければ、この頼朝と義経の兄弟を背き合わせるがごとき政治的な策謀には、あのマキャベリも呻ったことだろう。
 だがその傍ら、あの「梁塵秘抄」を編纂していた理由はなんであったのだろう。そもそも、前述のあの今様は遊女が歌っていたのだろうか。遊女本人があんな歌を唄うだろうか。
 吉本隆明が「下町の愉しみ」の中で、上野のホームレスの生活の仕方の利便が改善されたのを、むかしを顧みて驚いていた。ある友人の話しでは、彼等には冬の寒さより夏の暑さのほうが堪えるらしい。着ることにより寒さは防御できるが、暑さには対応の限界があるようだ。隅田川ベリにときおり見かける彼等の顔を横切る一瞬の表情に、私はいくどもこころを刺されたことがあった。吉本氏は戦争体験により一文学青年から世界の認識者へ変貌する努力を強いられたようだ。この本に載せられた短篇小説は、残念ながら娘のばななさんほど上手く綴られているとは思われないが、下町の風景をみる吉本氏の眼は一庶民の温かみが感じられる。
 それはともかく、あの歌「秘妙」の悲しみはどこから来るのであろうか。
 話しが飛ぶようだが、学生のころ藤圭子の歌に惹かれていたことがある。夜半、部屋の側を一人の男が藤圭子の歌を唄う声を聴いた。「命預けます」だった。その声にはなにかたよりない声調があって、それがまた味わいふかかったのだ。歌は時代によってつくられるというがそのとおりだとおもう。誰かわからない男の声にこころが揺すられることがある。歌とはそういうものだ。
 西郷道綱の説では、どこかの子供が歌っているのを、老人が聞いた景だと加藤周一は紹介しているが、加藤周一の説もインテリ臭がありすぎて、正直、理解不能であった。ついでに言うと、藤圭子のCDセットの6枚を購入した。藤圭子自身の持ち歌だけが素晴らしかったが、それ以外はなんていうことはなかったのには、がっかりした。時代と共に育ち、その時代の中から、歌われた歌だけが、人のこころを捕らえるのにちがいない。
 今様とはそうしたものであろう。後白河法皇は34年間、平氏と源氏の歴史の舞台がつづく間、権力を握っていたらしい。法皇が権力の亡者であろうがなかろうが、今様の歌がいま自分が生きている時代と己の人生への執着と、その隙間を吹く風の音を聞いていたからこそ、いまに「梁塵秘抄」が遺っているのだろう。


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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