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坂東玉三郎「日本橋」(泉鏡花作)

 日生劇場へ行ったのは、昭和四十六年だったかに、石原慎太郎の「信長記ー殺意と憧憬」という劇を見にいった以来のことで、今回は、泉鏡花作の「日本橋」のお孝を板東玉三郎が演じるとのことで、早くからピアでチケットを手に入れ、家人を誘って観に行った。
 相変わらず殆どが女性のファンで劇場はいっぱいであった。あいにくオペラグラスを忘れ、二階席から遠くいる演技者の舞台の表情を見ようとして、両目が疲れてしまった。
 鏡花は明治の中頃、自然主義の台頭と文明の進歩の早いテンポに、神経を病んだ時期があったらしいが、その鏡花が復活したのが「女系図」や「歌行燈」からであった。
 「歌行燈」は映画で長谷川一夫が演じていたく感動したが、この筋立ては私が一時期習った宝生流の実話に基づくものであったらしい。お能の家元は三家あって、宝生流は一番古いもので特に謡いをいのちとして、謡いかたも武士好みの風情があると、謡いの先生から聞いたことがあった。
 鏡花が扱った主題は古いものながら、その古さを越えた新しさは、いったいにどこから来るものであったろう。それはやはりことばの雅で古びない詞章の美しさと日本語にこもる音韻が、日本人の魂を捉えるからではないだろうか。
 お孝を演ずる玉三郎は気っ風と意地に生きる芸者の性格から、声をわざとに太くする工夫のためなのか、声に濁りがあって普段の玉三郎の魅力が殺がれた気もするが、二十五年ぶりにお孝を演じようとする鏡花好みの玉三郎の意気込みを買うことにしよう。
 日生劇場はその現代風の内観から、この「日本橋」のような古風な演目に馴染むところではないように思われた。越路吹雪のシャンソンには合ったかもしれないが、鏡花の「日本橋」の雰囲気ではないのだ。日本絵画でいえば、川瀬巴水の描く木版「日本橋」は朝方の風景だが、橋と水の畔を多く描いた巴水の色調の雰囲気が似合うところが、舞台としては相応しいにちがいない。
 中村勘三郎が突然に他界したせいなのか、舞台にいまいち生気がないのも淋しい気がした。
医者の葛木晋三を演ずる男優とお孝に意地を張らせる芸者の清葉の女優にもう一段、張りのある演技が見れればば、この三人の色恋がもつれる「日本橋」ならではの、玉三郎の艶のある意地が舞台に生きてきたのではあるまいか、とは一観劇客の勝手な見方なのかも知れない。
 清葉の「静」に対し、お孝の「動」の演技が相対し、医者の葛木晋三の「静」に相対して、お孝に取り憑いて離れようとしない熊の毛皮を羽織った五十嵐伝吾役の「動」が絡み合い、その四人の男女の葛藤のなかで、伝吾が清葉へみせる恋慕からお孝に魔性が取り憑いて、すこしづつ狂いはじめるお孝の姿が、火事場の舞台にめらめらと燃え上がる伏線にひかれ、最後にお孝による伝吾殺害へと至るクライマックスへ繋がれていかなければならないはずではないか。
 そこで初めて、お孝を演ずる玉三郎の意地に艶と粋が寄り合って、玉三郎の美しさが舞台に完成されるはずなのである。
 これは冗談だが、もし私が仮に演出家なら、綿密な計算の的を外さない舞台を創り得たかもしれない・・・・。



日本橋2


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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