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「冥土めぐり」感想

 つまらぬ話しだが、ある大学の職員から職場での相談を依頼されたことがある。彼女はどうしてもその大学が好きでそこで働きたい、そして息子が学校を卒業するまでは働いていたいというのであった。感じのいいご婦人で、これまで世間での苦労はあまり経験したことがないようであった。
 どうしてこんな昔話を思い出したかというと、芥川賞の「冥土めぐり」の著者がこの大学の出身者だと、「受賞のことば」のすみに出ていたからだ。著者は中学校でドストエフスキーを読んでロシア正教に引かれ、この大学に入ったということだ。駅から歩いていくと、門のなかは緑の林がのぞまれ、いかにもその大学の名前に似つかわしい気がしたものだ。
 受賞作の「冥土めぐり」は、これぞ文学という味わいのするもので、家族を題材した地味だが読み出してみると、一行ごとにその小説の世界へひきこまれていった。特別に変わった刺激的な筋立てがあるわけではない。脳の病気にかかり車椅子での生活を余儀なくされた夫との一転した生活とおよそ普通の常識から懸け離れた家族をかかえた理不尽な事態に、困惑煩悶しながら生きざるえなくなった妻の奈津子という女性の苦労のあれこれの顛末が書かれている。
 作者は簡単な「受賞のことば」で自分の文章能力を「稚拙」と謙遜しているらしいが、この女性の謙遜はなまやさしいものとは思えなかった。そう言うもうひとつ底に、表現しきれない「深淵」のようなものを覗いてしまった作家の目がそう言わしめているように思われたのだ。この作品を仕上げるのに、作者は十回も書き直しをして、千枚ほどの原稿を書いたと言明している。賽の河原にでも転がっている小石を、ここまで念入りに磨き込み、一個の紛れもない作品に昇華させた手腕は、稀に見るものだと称賛したい。「冥土めぐり」とは小説の題名というより、作者の筆がめぐった困難を表徴させたようにも思われるのだ。
 またつまらぬ引用で恐縮だが、つぎの一節に作者の危うい文章上の賭が為されていることに恐懼しないではいられなかったからだ。

 ー人は罪を償う時よりも、それができなくなる時のほうが苦痛を感じる。だが間に合ったのだ。整形外科で、太一の頭から一針一針、糸が切られるのを見るたびに、奈津子は性行為にも感じられない痺れを覚えた。

 この文章のある箇所を「稚拙」と感じる人が選者の中にいるのかも知れないが、作者にしてみればこれ以上の書き方をしようにもできなかったのに相違ない。ここに作者の不器用な意気込みを感じるのは当方が男である故であろうか。いやたぶん違うだろう。女性の性行為の感覚を男が想像で推測してもはじまらないが、「感じられない痺れ」という表現でしか伝えられない感覚の先端に佇み、そこから爪先立つようにのぞいた深淵を、作者が表現しようとした想像力のたまものなので、この百十枚の小説はこうした悪戦苦闘の人生を、鑿で削るような果敢な努力によって、全篇を完成したいびつである故に美しい果実なのである。
 作者はまさに、一針一針、夫の太一の頭を医者が縫っていくように、この小説を作り上げたのにちがいない。
なぜなら、この小説において、太一はある象徴と化している存在だかである。
「この人は特別は存在なんだ。奈津子は太一を見て思った。・・・・だがそれは不思議な特別さだった・・・・・
奈津子には、海を目の前に腹を出して眠る男が、世界という理不尽の大海原を前に眠っている男にみえる。」
 選者達がなにを言っているか読みもしないので知らないが、できるなら幾度でもこうした作者の筆の動きを追って、再読してみたい気がしてならない。冥土とはこのすっかり変容してしまった現在の家族関係を生きていこうとすること自体であり、このごつごつした石を拾い上げて、できあがった小説の魅力はまさにそこにあると思われた。私はひさしぶりに一人の日本人の健全(宗教的)なる小説を読んだのである。
 

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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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