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古雑誌

 捨てようとして目をとめ、そのまま読みはじめて時の経つのを忘れる。懐古の情が物に吸い寄せられる時間だ。人はときに後へも歩いていくことがある。前は闇だが後には、ぼんやりとだがさぐりだせばきりもない過去の思い出が湧くからだ。ああ、去年の雪いまいずこ・・・・。
 三十年ほどむかしは、よく国の内外を問わずに旅をしていた。趣味のダイビングのためもあったが、わたしの神経というより気分は停滞することに倦みやすいのであった。一日じっとしていられるのは、本の中で脳細胞が活発に動いている時であった。前頭葉が働いているときがいちばんに幸せな時間なのである。

  時よ来い 時よ来い 陶酔の時よ来い

 十九世紀末のフランスの詩人が、こう詠ったのは脳髄から全身に貫く全神経が幸福の一瞬を夢みたからである。

この稚(おさな)いオアーズの流れを前にして、俺に何が飲めただろう。
この黄色い瓢(ひさご)に口つけて、ささやかな棲家(すみか)を遠く愛しみ、俺に何が飲めただろう。
ああ、ただ何やらやりきれぬ金色の酒。
泣きながら、俺は黄金を見たが、ー飲む術はなかった。
                        (ランボー詩集「地獄の季節」小林秀雄訳)

 この最後の一行こそ、詩人が「見者」となり、そのぎりぎりの絶巓で覗いたものだ。
 ポケットにこの擦り切れた文庫本を忍ばせ、この詩人に魅惑されながら、同時に憎悪していたわたしの「魂の一年」を思い出せば、わたしの全身は慄えてならない。あの青春の一季節を、私はもう思い出したくはないのだ。
 だからこそだ。イギリスの詩人・エリオットの「聖灰水曜日」の「平安、平安、平安」の最終連が魂の慰安所になったのだ。
 ・・・それから、わたしは社会へ出た。辛酸をなめる恋愛から神経をすり減らし、それを忘れようと東工大の大学院生と三人の女性たちと竹芝の桟橋から船に揺られて、日本に返還直後の沖縄の海へ行きダイビングの魅力を知った。その翌年、亜熱帯のパラオに潜りに行った。帰国後の夏に結婚。そして家庭を持ち「人生」というものを知る年齢までを、こうして生きることができた。
 それはわたしに妻子というものがいたからである。満腔の感謝を彼女等に捧げてもおそらく足りることはないだろう。
 
・・・・・・・・・。 
捨てようとした「旅」(通巻九百号記念特大号)の冊子がいま机上にある。
 「大正十三年、鉄道省内に設置された「日本旅行文化協会」の機関誌として創刊してから、何と七十七年と九ヶ月(戦時中の休刊を含む)九百号までの営々たる歩みを振り返るべく、これまでの「旅」を彩ってきた旅情エッセイを厳選し、当時の雰囲気そのままに復刻しました。」
と記されている。
 そして、「旅」を彩った作家たちとして、田山花袋から岡本太郎まで十二人の文章が載っている。この中の二人の作家の文を読んだことがあった。開高健と三島由紀夫である。
 開高健は「北陸の味覚 王者の奢り」(昭和四十一年)、三島由紀夫は「高原ホテル」(昭和二十六年)とある。

「・・・さうすると、かうして見ている私は何だろうか? 私はぼんやりと人生を眺めてゐる。私は果たしてあの人たちと同じように生きてゐるといへるのであろうか?」(「高原ホテル」より)
ここに聞こえるのは、三島氏が軍隊へ志願したときに、遺作として「花ざかりの森」の序文を依頼した詩人の伊東静雄の詩集「春のいそぎ」の一句に響きあうものだろう。

   ああかくて、誰がために咲きつぐわれぞ

 こうした感想は本物の作家には必然的に付きまとうのが宿命というものだが、氏はその芸術家の宿命を果てまで追い求めた。

 だがこうしたことを記す機会がふたたび来ることはないであろう。私がまたあの「地獄」に、ふたたび相まみえる時が来ないとはかぎらないが、無事に生き延びた以上は、あの「地獄」と同じ風景を覗くことは、二度とないことを衷心より望むからである。
 


旅の本


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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