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アフリカのランボー

 疾風怒涛の青春期に、出会って痛い目にあった人間がいる。残念ながら女ではない。フランスの19世紀末の「呪われた詩人」(ヴェルレーヌ命名)のランボーなる詩人だ。この20歳にして詩を放棄した若者に、拙い詩を書いていた私の人生は翻弄され、また救われもした。
 本年1月に発行された「書簡で読むアフリカのランボー」(鈴村和成 著)は、詩を書くことを辞めたあと、放浪したアラビヤやアフリカで家族や友人へ出した書簡(現存するだけで約160通)から、‹書簡作者›としてのランボーに照明を当てている。
 かつてこのアフリカの書簡を、「まるで砂を噛むようだ」と感想を述べた「地獄の季節」の翻訳者、小林秀雄はランボーの詩に魅了された切実な体験談を三度にわたって書いていながら、詩を放棄した後に放浪しながら職を求め、ついにアフリカで悪性の肉腫で片足を切断する苦痛のなかで、死の直前まで書簡を書き継いでいた生活者ランボーには、さほどの関心を寄せてはいない。
 昭和45年(1970)「ヨーロッパの世紀末」を発表した吉田健一はその3年後に「ヨーロッパの人間」のなかで、持続と伝統に生きる英国文学に重心をおいた文学観を披瀝し、ランボーにその一章をあて、詩の魅力と同等に詩から身を退いた後に、仕事を求めてヨーロッパ中を渡り歩きながら、家族や友人宛てに送りつづけた浩瀚な書簡集を、「一人前に成熟してから、死ぬまで精一杯に活動した」一人のヨーロッ人の記録として扱っているのが注目される。なぜならこの1970年代初頭は戦後日本の時代の分水嶺とみられる時節で、この年の晩秋に自死した作家が予測し、嫌悪し拒否した時代がこのあたりから始まり、日本を取り巻く時代の空気の基調は低回しながら今日まで続くことが予想されていたからである。いわばロマン主義的な気風は退潮を余儀なくされ、況んや「実生活を犠牲にしない思想に如何なる意義があるか」という有名な論争相手の正宗白鳥についての未完の遺稿が小林秀雄に書かれる所以もこのあたりにあったかと想われるからある。
 先夜、60年の交友を重ねた河上徹太郎との人生最後の対談をCDで聞いた。様々な感想を懐いたが、恐らく正宗白鳥との対談はさらに凄まじいものであったとの想像がついた。小林の酒を飲んでのからみには度を越えたものがあり、これには正宗も閉口しないはずはなかったろう。文士とはヤクザな者であると、誰かが言ったのを思い出すが、これでは車夫馬丁の類いとどこが違うのだろう。
 さて、ランボーの詩と書簡にみえる散文は、この本の著者が言うようにみな宛て先をもっていた。彼がマルセイユの病院から、口述ではなく自ら筆記した最後の手紙がある。
「・・・届くはずの義足を待っています。義足が届きましたら、すぐに私のところにお送りください。私はここからの出発を急いでいます」
 だが、彼は注文したその義足を待たずに旅立った。何処へであるのか。「地獄の季節」の終章「訣別」の最後の詩句。
「友の手のことなんて話したかな! ありがたいことに、昔の偽りの愛なんか笑ってやり、あの嘘つきのカップルどもに赤恥をかかせてやることだってできるんだ、―僕は彼方に女たちの地獄を見たよ、―そして僕には魂と体に真理を所有することが許されるんだ。」
 著者は言っている。このよく知られた最後のフレーズは、文字通り実行に移されたと。
死の前日の十一月九日、妹のイザベルに次ぎの手紙を口述した。宛先は船会社の支配人である。
「未払い金が残っていないか、おたずねします。今日にもこの船便を変更したいのです。船便の名もわかりませんが、便ならどれでもいいのです。船便はすべてここから出ていますが、私は不具の不幸な身で、なにも問い合わせることができません。街路にいる犬どんな犬だってそう言います。ですからアフィナールの船便のスエズまでの料金表をお送りください。私は完全に麻痺した体です。ですから早く乗船をしたいのです。何時に乗船すればよいのか、お報せください。」
 彼は妹イザベルの最たる嘘である‹キリスト者ランボー›なる聖人像の捏造から、まさしくこの手紙を筆記するイザベルという「友の手」を使って、彼自身を解き放ち、永遠のランボー書簡の宛先(アドレス)であるアフリカの空へ旅立とうと試みたのである。これがこの本の著者の結論なのだ。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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