FC2ブログ

ローラ

 彼は若い頃から小説家になりたいという夢のような希望をいだいて四十年ほどを生きてきたといってよかった。  
 むかしから彼が書いた小説をぼくはときおり読まされてきたものだ。
ぼくにしたって、小説は嫌いではなかった。偶にいいものを読んだ後は、読む前とちがう心持ちになることがあった。だが彼の奇妙な小説を読むたびに、自分の読解力のなさにほとほと呆れることがしばしばだったが、それを彼に告白することはなんとなく憚られた。
 こう言ってはおこがましいが、友達の小説には奇妙な癖のようなものがあった。まず、明瞭なテーマらしいものがなかった。それにストーリーもぼんやりとして分かりづらかったし、なによりも事件らしい事件が起こらないのである。
だがそれは彼の小説ばかりではない。畑はちがっていたが、このぼくにも同類の日常生活での妙な癖といえるものがあることが分かってから、友達の小説の癖というものが、ぼくにも理解できるようになった。
 たぶんそれはぼくがだんだんと歳をとってきたことと関係があるのだろう。それがはっきりしてきたのは、ぼくがある経験をしたからだ。
 ある日の午後、ぼくは思い立つようにある物を家の中で探していた。それは結婚式に新郎と新婦がお互いに交換しあうあのエンゲージリングだった。
 誰でもということはないが、それを一生涯、指に嵌めている男の人や女の人は、あまりいないのではないかとぼくは思っていたのだ。
 だが作家志望の友達は、結婚以来、新妻から贈られた指輪を嵌め続けていたことを、あるときふと気づかされた。それ以来、その銀色に光った指輪のことが、ぼくのあたまから離れなくなったらしい。
 ぼくは家人にその在処を尋ねようとさえしたくらいだが、いくらなんでも、彼女へのその質問はあまりに自分の愚かさを気づかせることだと思い至ったというわけだ。
 結婚の契りの証として交換する指輪を、勝手気儘にはずしておきながら、こんどはそれを探しだそうとして、契りを結んだ当の相手に聞くなんて無神経も甚だしいではないか。
 それで家人が留守のあいだに、なんとかそれを見つけだそうとした。普段、あまり開けたことのない箪笥の小さな抽斗だとか、そんなところを、こっそりとまるで泥棒のように探し回った。
 そうしているうちに、自分の部屋の押し入れの隅にあった小さな箱の奥から、奇妙な袋を見つけた。袋を開けるとまた袋があって、その二重の袋の中に、ある物体が出てきた。
 ぼくはその物体を薄暗い押し入れで、じっと見詰めたすえに慌てて床に落しそうになったのだ。
 そんなものがどうしてそこにあるのか、ぼくはさっぱり分からなかった。それはいわゆる「大人の玩具」というものだったのである。
 エンゲージリングを探していたぼくが、そんなものを発見してしまった奇妙さに、ぼくは一人クスクスと笑ってしまったものだ。それから、それをどう処分すればいいものかとぼくは思案したのである。
 家の屑に紛れさすのはどうかと思われた。家人が不審に思い、中身を吟味しないとも限らない。のんびりとしたようでも意外なところにカンが働く女であった。
 ぼくは袋の上からそれを握りしめながら、どうしたものかと考えを巡らしていたのだ。
 そんなときだった。玄関の呼び鈴が鳴り出したのだ。ぼくはびっくりしてしまった。自分の手が握っているものも忘れて、階段を駆け下り玄関に出てみると、証券会社のセールスマンが扉の向こうに立っているではないか。一度、二度とやってくるたびに、丁重にお断りをしている新入社員であった。まだ見習い期間中であることもあり、ぼくは今度ばかりは憐憫の情にほだされて、その若い男を玄関の上がり框に座らせてやった。
 アタッシュケースから商品のパンフを出し、説明をはじめたがぼくはちんぷんかんぷんだった。セールスにはいろいろあるが、証券会社の商品は一度ぐらい聞いたぐらいで理解できる代物ではないのだ。
 そのうちに、家人が帰ってきた。あたまを見るとパーマをかけてきたらしかった。そんなことはいつもは気づきもしないのに、何故かちょっとした香水がぼくの鼻に匂ったのだ。若いセールスマンは如才ない笑顔をつくり家人に挨拶をした。ちらりとその男をみた家人の顔に、滅多にみたことのないニッコリとした表情が浮かんだ。
「綺麗になったじゃないか」
 と、ぼくは若いセールスマンの顔を見ながら、めずらしくもそう言ったのだ。
 だがそんなぼくのリップサービスを一蹴するかのように、家人の眼は股ぐらにぼくが握って隠そうとしていた袋に注がれた。
「なんですのそれは? 埃だらけでなんて汚らしいのでしょう」
 ぼくは「ハッ」として、それをズボンの腰のポケットに押し込んだ。
 それからぼくは変にそわそわとして、若いセールスマンにお引き取りを願った。若い男の姿が消えると、家人は未練がましそうに、めずらしくしなをつくって、奥の部屋に家人の姿が見えなくなるやいなや、ぼくは考えもなく即座に其奴を、古い靴箱の隙間に隠してやった。そのついでにぼくはもう穿くこともない三足の靴を磨いたのである。もうその時には、最初に自分が何を探して押し入れにいたのかさえ忘れ、庭で尻尾を振る愛犬の散歩に出ていたのである。
 そうしていると、めずらしくポケットの携帯が鳴り出した。
 近所に住む息子が猫を一匹もらうことになり、ぼくがその雌猫に名前をつけることになっていたのを思い出した。   
 ぼくは「ローラ」がいいと、早速、息子の携帯に答えた。
「ローラ、ローラ、ローラ!」と、女優のマレーネデッドリッヒが声を張り上げて歌ったアメリカでの舞台をテレビで見たことがあったのだ。
 ぼくの友達が見せてくれた小説の原稿を、小さな鞄に入れて外へ出た。犬の散歩がてら、できることなら読んでやろうと思っていたのだ。
 前にも言ったが、その小説には筋らしい筋がまるでなかった。
 友達は書くそばから、自分が何を書いたのかをどんどん忘れていくらしかった。友達の奥さんの話しでは、胃腸の具合が悪く、いまではほとんど垂れ流しの状態なのだそうだ。
 ぼくもまた、友達の原稿を手に握りしめていたが、そのことも忘れて、初夏の空を仰いだ。
 夕暮れの空は茜色をしていて、たいそうにきれいだった。
 ぼくは長い形のいい足を動かすたびに、サテンのスカートの襞が艶めかしく蠢くマレーネを思い浮かべ、その上に、思いもしない発見物を握りしめたせいなのか、なにか勃然とした力が湧いてくるかのように、大声で歌いたいような気分だった。
「ローラ、ローラ、ローラ!」




関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード