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夏風邪の冥利

 BSのテレビで「世界街歩き」を見ることが多い。ヨーロッパを中心、まだ若い時代によく外国の都市を訪れた。記憶に残るところといえば、パリ、ローマ、フィレンツエ、ナポリ、タオルミーナ、リスボン、ポルト、ハバナ等で、やはり自分の計画した旅行で、自分のこころ赴くままに歩いた町並みが印象に残っている。私の場合、文学や映画の舞台となった街がいちばん鮮明で親近感が湧いたところだ。ついこの間、ドイツのリューベックという旧い街をこの番組で案内していた。私はすぐにトーマス・マンの「ブッテンブローグ家の人々」という、むかし読んだ長編小説を懐かしく思い出した。マンはこの北ドイツの都市の由緒ある商家に生まれ、その盛衰を長編に描いている。私がトーマス・マンに夢中になったのは「ヴェニスに死す」からで、これはルキノ・ヴィスコンティ監督だったせいもあるが、マーラーの音楽が効果的に使われていた。私は大きなビデオデッキを買い、それを机の正面に置いて夜の一時を愉しんでいた時期があった。朝、ラジオのクラシック音楽の番組があると、予約のタイマーを入れて、次々とテープに録音していたのだ。小さな息子はそのビデオデッキに興味を持ったらしかったが、壊されるといけないのであまりに触れさせないようにしていた。成人してからパリに行ってしまった姉さんに、子供時代に泣かされた息子を泣き止ませるには、私の部屋にあるアーミングチェアーに座らせ、両耳がかぶるヘッドホンで音楽を聴かせるのが最も効果的だった。その後、息子が成人してDJ音楽の世界にはまる下地は、そんなことで息子をあやそうとした私が作ってしまったのかも知れない。それはともかく、1980年代の中頃から、マーラーがブームになったせいもあり、私は上野でマーラーを全曲聴いたことがある。音楽を試聴しつつ、空を見上げて、詩を幾つかかいた。

   上野の杜の青い空を 白い雲が動いている
   
   ぼくは聴く 嬉遊曲(ディベルティメント)

   やつれはてた おまえの

   悲しい微笑が過ぎていくのを

   飛ぶたつ鳩の羽音

   やさしく 舞い

   影さえもほのかに光る 春の夕暮れ

   わららが人生の 二分の二拍子

   屈託もなき 屈託もなく
            
 こうした詩のいくつかを昭和30年代に創刊された詩誌に発表して、年に三、四回集まる詩のサロンで朗読し、各自が感想を述べ合うのだ。お菓子や紅茶を飲みながら、三好豊一朗 文部大臣の世耕さん(副官房長官はそのご子息)や芥川龍之介のもう相当に高齢な娘さん等、わりと豊かな顔ぶれのサロンであった。宮城県の知事になったバッハホールを設立した人もこの同人であったが、若くして他界してしまった。この会の主催者は河合楽器の元社長さんで、日本ショパン協会の理事(この奥さんは桐朋音学院の創立者の娘さん)だったせいか、上野文化会館でのコンサートのチケットを貰ったことがあった。中央よりすこし後ろの席で、音がそこへ集まり天井から降り注がれるような好位置にあった。ときおり、音楽評論家の吉田秀和氏をみかけた。それがおそらく最後になった新聞に連載された随想の中に、目をそらしたくなる一文を読み、なんとも厭な印象を持ったが、それは高齢ゆえの氏の瑕瑾だとしか思いようがないものだった。アシュケナージのピアノに罅だらけの骨董品を指摘した氏であったにもかかわらずである・・・・。
 話しがだいぶ脇にそれたが、先日、夏風邪をひいて仰臥するしかないので、ふと思い出して昔、ラジオから録音したそれらの「名曲ギャラリー」だのを聴きだしたのだ。そのときだけは私の永年の耳鳴りは不思議と止んでいた。そのせいか、音は私の全身を海のように抱擁し、身体中に満ち溢れてくるのだった。
 やがて私の耳にモーツアルトの交響曲第25番ト短調が突然に流れだした。この曲は第40番のト短調交響曲に対して、小ト短調ともよばれているようだが、この異変をつげるがごとく瀧のように落ちてくるアレグレ・コン・ブリオはいったいなんだろう。ときに弱まり軽快になりながらも、まるで不吉な運命を暗示するかのように執拗に繰り返し、アンダンテ、そしてメニュエットになっても和らぎながらも反芻し、最後のアレグロに噴出しようとするのである。この第25番が映画『アマデウス』の冒頭部分で使用されたことを後で知ったが、この「疾走する悲しみ」の楽音の小塊は、第40番では諦観をも伴って透明な楽想をもって全曲をみたしていったにちがいなかった。そして、ヨハン・シュトラウスの「英雄の生涯」がかくも静かな曲であることに、私はおどろきを禁じ得なかったのである・・・。
 この夏風邪の冥利がなければ、私は過ぎし日々を振り返ることもなく、危うく私の生涯を終えるところだったのかも知れない。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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