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太陽と呼吸

 太陽がマンションの後に隠れる、わずか20分ほどの日光浴であった。
アーミングチェアーに凭れてパイプを吹かし、眩しいくらいの冬の陽射しにあったっている男は、むかし、庭のある家にいた頃、はなれの部屋に行く芝生の上に寝そべり、夏の太陽を思うさま真裸の肌に浴びせて灼き、全身から汗を吹き出させて、ひとり瞑想に耽っていた過去の一時をふと思いだしていたのだ。あのとき、男は18歳の青年であった。
そこに、階段をあがって思い出にふける男のところへ、細君が洗濯ものを干にやってきたのである。
「そこにはまだ干さなくてもいいだろう。あとで動かしてやるからね・・・」
「陽はあたっているじゃない!」
たしかに、男の顔と上半身の一部に陽はあたっていたが、のばした裸の足はひんやりとした陰に消えていた。
「ああ・・・・・!」
 男は太陽が欲しかった。空気が呼吸のために必要なようにだ。そして、呼吸していることを感じるために、むかし海へ潜る男たちが、海から陸にあがると、1本の煙草に火をつけ、そいつを深く吸い込んでから、大気へ煙りを吹きだす仕草がどうにも自然にかなっていたことを思いだすのである。
 レギをくわえて潜行したとたん、ダイバーはボンベからくる空気を吸うしかなくなる。シュー、シューと細いレギから吸う空気は、そのひとつひとつが肺呼吸をして海へ潜る人間には音となって、耳に聞こえる生の証であることを知るのだ。わずか1時間弱のダイビングが、呼気と吸気のリズムに終始する。あとは静寂の海の中だ。深度があがればあがるほどに、太陽の光りはうすく曇り、海は暗さを増していく。そのうえ、10メートルで1Gの重力が加わるのだ。
 あれは24歳の夏だった。亜熱帯のパラオ群島で、無謀にも58メートルも潜ったことがあった。窒素酔いがはじまり、頭は酒を飲んだような気分になった。
 突如、頭を拳固で叩かれた。親指を立てた「浮上!」の合図とそのガラスの奥の両目が鋭く睨みつけている。からだを立てようとした。しかし、地上の6倍の重力に押されて、そのまま沈むばかりだ。フィンを動かそうにも重い水圧に自由を奪われて思うように動かない。光りのない暗いばかりの砂地の斜面がさらに暗さを増すばかりの海の底へ落ちているだけだ。必死にもがくように体勢を立て直し、フィンをばたつかせて浮上しようとする。レギの空気をひとつ吸う。だがそれがばかに鈍く、粘るように重たい。吐いた空気の気泡が水圧のせいで、小さいビー玉大に圧縮され、形状はラグビーボールのようにいびつである。30メートル浮上したところで停止させられ、しばしの後、再度、浮上するがまた20メートルで停止、最後は明るい水面下の7メートルほどのところで、波に揺られながら待たされてやっと海面に出た。ボンベの空気圧はゼロであった。よく潜水病になり植物人間にもならずに、この世へ生還できことが、今でも信じられない。責任ある有能な指導者に守られ、その指示に忠実に従うことが奇跡的にできたためだろう。さすが陸軍中野学校で敗戦を迎えた男だけのことはあると、あらためてその中年の男を畏敬した。
 生きているということは、大気を呼吸していることだ。この肺呼吸を人間が覚えるまでには、長い長い年月がかかっている。それは海の生物が陸にあがり、進化してきた数十万年の生物の歴史を知り、胎児が母親の胎内で生まれ、個体発生が系統発生を繰り返す過程の十月十日の驚嘆すべき変化の過程を教えてくれる、三木成夫の「胎児の世界」(中公新書)を読めばいいのであろう。
 この異能の学者は、海から微生物が陸にあがる、鰓呼吸から肺呼吸をするにいたるまでの過程と構造を、繊細にして犀利よく解き明かしてくれるからだ。
 神秘的な哲学者のスエーデンボルグは、太陽と陽物を崇拝する天使的なものについて、語っている・・・・。
 男が午前のほんのひととき、太陽を浴びながら、ほぼ裸体の恰好で強烈な夏の太陽に身を灼いていた青年時代の一時を想い、パイプの煙りを燻らせていたのは、まだ男がこの世にいて、生きている喜びを感じたいがためであった。
だが、ときおり聞こえてくるあの声はなんであろうか。

 ーああ、こんなふうにして、まだ生きていていいの?

 これは、地方にいる男の友人が自費出版した「夢のあとで」という本のなかに収められた「ベルゴレージの響き」という短編小説の中に、記されている苦しみにみちた人間の、深淵からの痛切な声であった。短編の題名になったジョヴァンニ・バッティスタ・ベルゴレージなる音楽家は、18世紀中葉に26歳で死ぬ直前に、十字架の傍らで悲しみに沈む聖母マリアの嘆きの音曲「スターバト・マーテル」を新たに作曲したのだ。その一節を記してみよう。

   聖母は、イエズスが人々の罪のため責められ
   むち打たるるを見給えり
   聖母はまた最愛の御子が 御死苦のうちに棄てられ
   息絶え給うを眺め給えり

 詩人の中原中也は詩を作ると口に出して朗唱し、そのとき、呼気と吸気のリズムの波をとても大事にしたということだ。禅家もおなじように腹式呼吸による瞑想に見性に至る座禅を行う。
 太陽も海も、そして明るく広い空も、今ではくだんの男には、遠い過去と夢の中にしかないのなのかも知れない・・・。


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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