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徒然なるままに

  むかし、京都の路地(「ろーじ」と読む)や辻子(ずし)を歩きまわった。たまたまにとある角を曲がると、ふと敬愛する人物の表札を目にした。

 ながむればこれしもやがてほだしなり見じや浮世の秋の夜の月

 この歌の作者、京都洛中に住む杉本秀太郎氏より知った大田垣連月如の直筆を見たのは庄内地方の本田様の豪商の邸内であった。流麗でありながら枯淡、そこにかすかに艶やかな風味をも残した直筆にこころを擽すぐられた。いかにも連月如人の歌の味わいを目でみた心地がしたのだ。この歌人は江戸後期から明治にいた女性である。知恩院で生まれ育ち、京都市左京区に居をかまえたとみるや、住居を転々として「屋越しの連月」と呼ばれたらしい。あまりの美人ゆえに言い寄る男は数知れず、連月は老婆になりたいと自ら歯を抜いたという。歌を数首さらに紹介したいところだが、杉本秀太郎の著書「太田垣連月」は別宅の書庫にあり、探すには容易ではないので別の機会にしたい。
 さて、彼女が作陶したぐい飲みがオークションにかけられていたのをみて、早速、入札を試みた。だが、ああ! 私の最高額は半日も経たずに更新されているではないか。

 房総の海辺のホテルから玄関をでて、裏にまわると松林があった。そこから夜の空にうかぶ月は、この連月の歌を思い出させた。この歌は杉本氏によれば、「徒然草」に依拠していると、第20段をひいている。

 なにがしとかいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ。

 このホテルの浴槽に足を入れようとして、ふと正面のガラス窓をみた。矩形に仕切られた小さな窓に、落日が鮮やかな朱の色を輝かせて、いましも海の彼方に沈もうとしていたのだ。なんという豪華な夕陽であったろう。それが小さな枠に華麗な色彩で描かれた絵画のごとく、ちょうどいい按配で納まっているではないか。これは私と自然美との僥倖としか思えなかったのである。晩夏の落日の太陽と夕空にかかる月のふたつが私を堪能させてくれたのだ。
 駅へのホテルの送りのバスを待つあいだ、玄関の飾りつけを植木でしているお婆さんを見かけた。それが永年の彼女の仕事にちがいない。私は彼女へ話しかけた。緑に繁ったアロエを上手に植木の足元に飾りつけ、お婆さんは働いている。私へ豊かなアロエの葉の一片を切ってくれ、そのアロエの効用を語ってくれたのだ。老婆の顔のなんと可愛らしく、笑みの表情がゆたかであったことだろう!。写真に収めておかなかったのがとても残念に思われてならないのだ。

 映画「ハンナ・アーレント」を観に岩波ホールへひさしぶりに行った。一時間まえなのに列をなす人々におどろいた。「ローザ・ルクセンブルグ」と同じ監督、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、主演はバルバラ・スコヴァであった。ハイデガーの愛弟子と噂された政治哲学の才媛であるハンナは、ナチス親衛隊にしてユダヤ人の強制収容所移送の責任者だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴する。彼女が「ザ・ニューヨーカー」誌に発表した傍聴記事は大きな波紋を呼び起こした。彼女はアドルフ・アイヒマンに「悪の凡庸さ」を見るのだ。これは悪の怪物を期待したユダヤ人の反感を引き起こし、批判や脅迫の手紙や電話の嵐を呼んだ。そうした騒ぎに屈しないハンナ・アーレントの女性像をマルガレーテ・フォン・トロッタ監督は強く描いている。
 武田泰淳は「無感覚なボタン」において、すでに「現代の悪」の様相を同じ目線で書き留めているので、こうした認識に驚くことは別段にないのである。現代では「悪」の日常化はめずらしくもなんともなく、至る所にその萌芽を見ないことはないのである。
 神保町の古本市で、谷崎潤一郎訳の源氏物語の全巻を一冊に収めた本を見かけ、迷ったすえにそれを買った。円地文子訳の源氏を朝夕に読んでいたが、さすがに谷崎訳全巻を入手する衝動を抑えることはできかねたのである。円地訳のほうにはいかにも訳者が女性である性格が出ているため、男の谷崎ならばと期待するところがあったのだ。

 映画「蠢動」は有楽町のスバル座で観た。この映画は1982年に自身で手掛けた16ミリ作品をセルフリメイクした三上康雄監督の時代劇だ。山陰の小藩を舞台に、それぞれが胸に秘めた正義を全うしようとする武士の姿を描き出しているらしい。平岳大、若林豪、目黒祐樹、中原丈雄ら、邦画界を代表する実力派俳優たちが共演している。私の目はただひたすら、斬りあいシーンに注がれる。殺陣は久世浩であったが、雪の上での多数との斬りあいには、必死のリアリティーがあった。また、最後の決闘場面の相討ちに終わる殺陣には斬新なものを見たように思う。終始鳴りつづける腹を響かせる太鼓の音が館内を蠢動させていた。

 ここに写真で収めた「唐辛子」は、ガラス職人を目指す物づくりの下町に住む若者の第一号の作品だ。そして、その母親が毎年浅草公会堂で展覧会へ出す勘亭流の作品は、有吉佐和子の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」と読めた。親と子の芸術作品をここで見ることにしよう。




1としみ作品 (2)

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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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