FC2ブログ

ラジオ体操の歌

 健康の維持と管理は、老年期にさしかかった高齢者の第一の仕事である。そうした人たちの会話に、開口一番に湧き出る話題が健康に関わることであることは至極自然な成り行きなので、遠慮などすることはないのだ。お天気ひとつでも、それは健康に関わり、金銭もまた同様なのである。
 そうした心身の健康のために、最近になり毎朝、6時25分から始まるテレビでの体操をしていた家人の隣で一緒にはじめたのだが、狭い部屋での体操からとうとう、上野の山へ飛び出した。5時に起き顔を洗い、歯を磨いて家から早足で上野公園へ向かう。30分ほどで西郷さんの銅像を横目に見ながら、木立を抜けると公園の噴水前に着くのである。まだ小暗い空には冴え冴えとした月がかかっている。やがて、太極拳をやるメンバーが公園内の噴水のそばに集まりだす。六時ちょうどに、寛永寺の鐘がゴーンと鳴ると、八十幾歳かの元歯医者さんを中心に自然発生したグループの太極拳が始まるのだ。小さな犬を連れた高齢の女性が、楊名時、次に歯医者の先生が簡化太極拳24式をやるのである。以前に数年ほどやった太極拳なので抵抗なく参加できるのが幸運であった。それが終わると6時半から始まるラジオ体操に合流するのである。
 ところで、この歯医者さんから古い新聞の切り抜きをもらった。昭和61年10月8日の日経の記事にこの先生の一文の掲載があった。「上野の森は毎朝体育の日」-ショギング、太極拳・・・早起き族千人の生態ーとある。「NHKで指導した楊名時先生直伝という、K女史とI女史をリーダーとする太極拳の同好会がこの六月に誕生した。太極拳は中国古来の武術で芸術と哲学を含んだ心身の健康法であると、私も二度の中国旅行で教えられ感動をうけていたので、私もその仲間に加わり、習い始めた」と認めてあった。いまから30年ほど以前の空気が伝わってくるのでいま少し引用しておきたい。「森の朝の生態は人間百態といっても過言でない。病後なのか杖を片手にゆっくりと歩く人、愛犬に引かれての散策、ベンチに腰をおろし、気心のしれた仲間と大声で談笑する老人たち。元軍人であろうか、木刀を片手に号令をかける人、詩吟を詠ずる人、横笛を吹く人、四股を踏み木に向かって鉄砲をする人、鉄棒、鉄輪にぶら下がる人など」の様々な生態を紹介しながら、歯医者さんの一文には喜びがあふれているようだ。氏は福島県育ちで、智恵子抄に出てくる安達太良の山は母のように思われ、阿武隈川の清冽さは体にしみこんでいたと書いている。「生活の中に自然をどうしたら組み込むことができるか考え始めた」と、まもなく当時50歳になろうとしていた先生は自身の感慨を披瀝している。
 昭和61年といえば、12月から始まったとされるバブル景気は、平成3年(1981年)2月まで続き、1980年後半には、東京都の山手線内の全部の土地価格で、アメリカ全土を買えるという算出がでるほどに、日本の土地価格は高騰し、89年12月の日経平均の高値は、38、915円と付けられていたのである。
 また、『NHK特集』の声価を高めるうえで大きな役割を果たしてきた大型企画は、昭和61年度は「大黄河」「ドキュメント昭和」「世界の中の日本」が放送され、いずれも大きな反響を呼んだ年であった。

 ふたたび話を戻すと、ラジオ体操のほうは大変な数の人たちが集まっている。相当な老人もいるが、みな元気いっぱいだ。女性だけにハイタッチをしてまわるまだ若い老人もいるが、すべてが団塊の世代とその周辺と思われるこの人々には、残念ながら日本がバブル景気を向かえる往時の熱気を見ることはできないのは仕方ないことであろう・・・。
 ついでながら、上野の山は知らない処がたくさんあるのに、改めて驚いた。摺鉢山古墳の丘に初めて登ってみた。ここは弥生式の土器や埴輪の破片が出土し、約千五百年前の前方後円形式の古墳らしい。かつて堯江法師という人がここを訪れて、
  契りきて たれかは春の初草に
                忍の岡の露の下萌
 とうたったと記された案内板が立っている。なるほど、清水観音堂から下を眺めると、不忍の池があるこの上野の山は、するとむかしは「忍の岡」と呼ばれたらしい。そういえば、鶯谷駅の坂をあがったところに、忍岡中学校という名前の学校があったのは、そうした由来からのものであったのかと合点がいった。この山に明治維新、官軍に敗れた武士たちが立てこもり、最後の抵抗をしたのは、徳川家由来の寛永寺があったせいばかりではなかったのも知れない。忍という漢字が、たった半日の戦闘で敗れた彰義隊の心を牽引したなにものかがあったのにちがい。「正岡子規記念野球場」もあり、日本で初めて野球(ベースボール)が行われたところなのだ。こうした事跡は数えればキリがないほどこの山にある。江戸そして明治からの時間が「忍の岡」にいまも残っているのだ。
 ラジオ体操の歌に和して、やがて集まった者たちの体操が始まる。
 昭和3年、簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力から旧ラジオ体操第一が制定された。一時中止となったラジオ体操は、昭和23年に第二体操が加わり再開したのである。昭和26年に最初の「ラジオ体操の歌」(脇太一作詞、大中恩作曲)が発表され、現在の歌は昭和31年、藤浦洸作詞、藤山一郎が作曲したものだ。なんと単純で力強い素朴な歌であろうか。
 この歌は60年の年月を飛び越えて、私の胸を熱くしたのだ。以下にその歌詞を掲載しておこう。

      新しい 朝が来た 希望の朝だ
      喜びに 胸を開け 大空 あおげ
      ラジオの声に 健やかな胸を
      このかおる 風に ひらけよ
      それ 1,2,3

      新しい 空の下 かがやく みどり
      さわやかに 手足のばせ 土 ふみしめよ
      ラジオとともに 健やかな手足
      このひろい 土に のばせよ
      それ 1,2,3



DCIM0028.jpg


関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード