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冬の日

 中原中也には冬の詩が多い。いまは「冬の長門峡」を読んでみよう。

   長門峡に、水は流れ流れてありにけり。
   寒い寒い日なりき。

   われは料亭にありぬ。
   酒酌みてありぬ。

   われのほか別に、
   客とてもなかりけり。

   水は、恰も魂あるものの如く、
   流れ流れてありにけり。

   やがて蜜柑の如き夕陽。
   欄干にこぼれたり。
    
   あゝ!━そのような時もありき、
   寒い寒い 日なりき。

  ほかに、「寒い夜の自画像」「冬の日の記憶」などがあるが、朗唱してみれば、「長門峡」が秀一であろう。「やがて蜜柑の如き夕陽。欄干にこぼれたり。」の一連は、冬の寒さを一段と鮮やかにしている。中原は二冊の詩集だけを残して逝った。「山羊の歌」「在りし日の歌」だ。詩はかならず中也に口ずさまられてなった。呼気と吸気が歌でもある詩には大事とされたのだ。「長門峡」は「在りし日の歌」でも「永訣の秋」に収められている。
  同じく「永訣の秋」にある「一つのメルヘン」は、此岸から彼岸へと魂のある「水」が、擬音語の「さらさらと」の数度の繰り返しで、よみがえり消えていく。「蝶」はやはり中也の魂なのか、幼くして逝った文也なのであろうか。あるいわ、短い中也の人生そのものなのであろうか。

   秋の夜は、はるか彼方に、
   小石ばかりの河原があって、
   それに陽は、さらさらと、
   さらさらと射してゐるのでありました。

   陽といっても、まるで珪石か何かのやうで、
   非常な個體の粉末のやうで、
   さればこそ、さらさらと
   かすかな音を立ててもゐるのでした

   さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
   淡い、それでゐてくっきりとした
   影を落としてゐるのでした
     
   やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
   今迄流れてもゐなかった川床に、水は
   さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・・



中原中也
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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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