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映画「雨あがる」感傷始末

 1999年に亡くなった黒沢監督が、最後まで拘っていた映画「雨あがる」が黒沢組によって2000年に完成し封切られた。
 私はこの山本周五郎原作の映画をいったい幾度みたことだろう。観るたびに感動する。晴れ晴れとしたいい気持になる。もちろん原作が良いのだろうが、雨のなかを浪人中の侍、三沢伊兵衛が雨傘をさして歩いてくる場面から、水嵩を増した河面を眺めるまでの移動シーンが、河渡しの人足たちとの会話と一体となってとてもいいのである。人間と自然がこの映画ほど、心憎いまでに映像化された作品は少ないのではないか。そう思いながら、映画の最後までみていると、この映画のローケイションの舞台が、私と縁があるところなので、またびっくりとした。
 城内の場面では、静岡県掛川市の掛川城と二の丸御殿であることもさることながら、掛川市の職員が映画に参加しているではないか。やはり仕官が叶わず、女房のおたよと連れ立って歩く最後の場面に、遠くに明るく広がる海は、駿河湾か遠州灘にちがいない。すると、今しがた二人が人足に担がれて渡った河は、大井川ではないか。そして、夫婦がのぼる山道は牧之原の岡からでないかと、次々に連想が湧いてくるのである。
 静岡県掛川市は私が生まれ幼年期を過ごした場所なので、私はその温かく穏やかな空気を吸って育った土地なのであった。いや、そればかりではない。三沢伊兵衛の伝授された剣法は辻月旦が開祖した無外流なのである。私もこの無外流の居合は数年、その道場に通ったことがあり、林の中で伊兵衛が演武する技では、「胸尽くし」や「両車」等、すでに習ったものであったのだ。過日、東京都武道館の「古流研究会」で英信流、田宮流、伯耆流、無外流を見たが、各流派から教わるものは少なくなかった。この映画のなかで、伊兵衛が師事して師の辻月旦から稽古をつけてもらう道場は、私がしばらく通ったことのある講談社の野間道場でのローケイションなのであった。いまは新築されその面影はおおかた失われたが、以前は木造平屋造りの旧い道場が、小高い丘の上に立っていたのだ。この道場の床板は実に武道場としては最適なものに感じられたものだった。
 伊兵衛を演ずる寺尾聡の剣術の演技はなかなかのものと思われ、それなりの研鑚を積んでいなければ、あの演武はなかったであろう。御前試合の対手の一撃を見切り、寸前に躱す体と剣の捌きは、相当な演習を必要としたにちがいない。映画の最初のシーンに見られる、雨傘をさして歩く姿はまさしく修練をした侍のそれであったのだ。背筋が張られ、顎を引いて、微塵の上下動もない歩行には、一分の隙もなかった。殺陣は久世浩、武術指導は天真正伝香取新風流の大竹利典、無外流指導は岡本義春であった。
 ところで、時代劇では珍しく、殿様が伊兵衛の差料を拝見する場面が出てくるが、原作にはない部分だ。
 -鍛えは板目、沸えは細やかで、樋映は見事に入っている。刃紋は直刃、匂いも深い。まるで春風に吹かれるよ  うだ。
 と、刀を鑑賞するシーンは、刀剣の鑑賞を学んだ者でなければ理解しがたいところだろう。刀剣鑑定の五箇伝によれば、この刀は古刀と推測されるが、室町以前の刀に樋が入っているのはめずらしくはないらしい。無銘とのことだが、殿様が褒める刀が、どこの地方のいかなる刀工によるものか、興味を惹くところである。
 さて、ここで映画から離れ、原作者の山本周五郎へ目を転じたい。
若い頃には、私の読書範囲には周五郎の名前はなかった。私は西欧の文学からの教養の摂取に忙しく、とても、それほどパッとしないこの日本の作家の名前さえ碌に知りもしなかったのである。ところが、ひょんなことから下町の女房と一緒になってから、彼女の書棚にこの周五郎の本が数冊目についた。「柳橋物語・むかしも今も」、「小説 日本婦道記」、「五辨の椿」、「おさん」、「さぶ」、「大炊介始末」、「季節のない街」などが並び、それらはいつしか私の書棚へ吸収されてしまった。やがて、物故した開高健の影響から、「青べか物語」を読んだ。それでも西欧化した私の感性は動かなかったが、徳田秋声あたりからこの徳田に冷遇された山本周五郎の文学が、チラチラと見え出したのだ。そして、文学の「ぶ」の字も言わずに、まるで、この「雨あがる」の女房にも似た心持で、私の自由気ままな生き方を陰で支えてくれた、遠慮の深い一人の女性の存在を見直さざる得なくなったのである。
 フロベールは「ボヴァリー婦人は私だ」と言ったらしいが、いま私はこう言わねばならないだろう。
「『雨あがる』の伊兵衛の妻のおたよは、私の妻そのものである」と。
 佐藤勝という人の音楽が、このおたよのように快かった事を、お終いになり恐縮であるが、付記しておきたい。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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