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伊東静雄

 「花ざかりの森」の序文を、若き日の三島由紀夫はどれほどこの詩人から貰いたかったことだろう。しかし、詩人はそれを拒んだ。その仔細は、「わが人に与ふる哀歌」(1935年)から「夏花」(1940年)「春のいそぎ」(1943年)「反響」(1947年)までの、4冊の詩集を味読するいがいないにちがいない。それは丁度、昭和10年から昭和47年までの、戦前の昭和と敗戦までの近代日本の歴史に符合する詩業であった。
 私はこの詩人について書きたいと、その頃ある詩誌の同人の一人から「伊東静雄全集」の一巻を借り、詩、日記、書簡を読んだことがあった。だが、参考として偶々、杉本秀太郎の「伊東静雄」を読んでその願いを放棄した。現在は「杉本秀太郎文粋5」に収められている深甚なる論考において、「伊東静雄のことを考えるというのは、私には、彼が書いた詩を彼みずからまとめた詩集のなかで考えるということにひとしい」ということであり、それはこの論考で見事に果たされているという感嘆ととも、私の希みもまた終息したのである。
 いまはただ、日本人の感受性の原型を成したともいえる「古今和歌集」がなければ「源氏物語」もなかった(竹西寛子「古今和歌集の世界へ」)、その「古今和歌集」に親炙した伊東静雄の詩から、若干の詩を写すことにしたい。
 まず、「わが人に与ふる哀歌」から「曠野の歌」

  わが死せむ美しき日のために
  連嶺の夢想よ!汝が白雪を消さずあれ
  息苦しい稀薄のこれの曠野に
  ひと知れぬ泉をすぎ
  非時(ときじく)の木の実熟るる
  隠れたる場しよを過ぎ
  われの播種(ま)く花のしるし
  近づく日わが屍骸(なきがら)を曳かむ馬を
 この道標(しめ)はいざなひ還さむ
 あゝかくてわが永久(とわ)の帰郷を
  高貴なる汝(な)が白き光見送り
 木の実照り 泉はわらひ・・・
 わが痛き夢よこの時ぞ遂に
 休らはむもの!

「夏花」から「八月の石にすがりて」

     八月の石にすがりて
     さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
     わが運命(さだめ)を知りしのち、
     たれかよくこの烈しき
     夏の陽光のなかに生きむ。

     運命(さだめ)? さなり、
     あゝわれら自ら孤寂(こせき)なる発光体なり!
     白き外部世界なり。
      見よや、太陽はかしこに
     わづかにおのれがためにこそ
      深く、美しき木陰をつくれ。
     われも亦、

     雪原(せつげん)に倒れふし、飢ゑにかげりて
       青みし狼の目を、しばし夢みむ。    
       
「春の急ぎ」から「春の雪」

みささぎにふるはるの雪
枝透きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは

なく声のけさはきこえず
まなこ閉じ百(もの)ゐむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え

ながめゐしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春来もとゆきふるあした

「反響」から「夏の終り」

     夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
     気のとほくなるほど澄んだ
     かぐはしい大気の空をながれてゆく
     太陽の燃えかがやく野の景観に
     それがおほきく落とす静かな翳は
         ・・・さよなら・・・さようなら・・・
   ・・・さよなら・・・さようなら・・・
   いちいちさう頷く眼差しのやうに
     一筋ひかる街道をよこぎり
     あざやかな暗緑の水田(みずた)の面を移り
     ちひさく動く行人をおひ越して
     しづかにしづかに村落の屋根屋根や
     樹上にかげり   
    ・・・さよなら・・・さようなら・・・
    ・・・さよなら・・・さようなら・・・
     ずつとこの会釈をつづけながら
    やがて優しくわが視野から遠ざかる

 杉本秀太郎の「伊東静雄」には、その扉にヘルダーリンの「ヒュペーリオン」からの写しがあるので、それを載せておきたい。

ー按ずるに、すべて生あるものは発展と萎縮、離巣と回帰をくり返すほかなしとすれば、人の心また然りといえない 道理が あるだろうか。

 杉本氏は「伊東静雄詩集」の「解説」において、ジョバンニ・セガンティーニの画集から、詩人は多くのモティーフを得たことを語り、詩を批評するには評論しかないと思っているのは、われわれの思いこみである。詩によって詩を批評すること。本歌取りというものは本来、先人の和歌を和歌によって批評する形式であった。伊東静雄は本歌取りという伝統の蘇生をひそかに、はにかみがちに、試みたのであると、注記している。
 昭和二十八年(1953年)伊東静雄は、その生の大半を大阪府立住吉中学校に奉職、満46歳で亡くなり、諫早の土に葬られた。
杉本氏は「身辺を省みれば、人生の無常迅速、さらに切なるものをおぼえる。(一九八九年七月七日)」と解説を結んでいる。
 氏は画家の安野光雅との共著「みちの辺の花」という雅品のある書物のなかで「吾亦紅」(われもこう)に薀蓄をかたむかた一文をよせている。
  ついでに拙句を詠んで添えたい。

      青春の 骨を拾いて 吾亦紅


  DSC03930.jpg DSC03929.jpg DSC03921.jpg DSC03928.jpgワレモコウ


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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