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剣と禅

 居合などをいつから始めたのだろう。50歳の頃からか、たしかではない。職場近くの高いのビルの21階にカルチャーセンターがあった。多くのメニューのチラシが並んでいた。アンダルシア地方のフラメンコを映画でみて、床を踏み鳴らし、汗を滴らせての踊るローカル色ゆたかなフラメンコに興味を惹かれた。だが入ったのは夢想心伝流の居合のほうだ。はじめは太極拳用の絹のパンツを穿き、木刀を振った。狭くて低い天井の部屋。大きな鏡が前面に張ってあった。8時から10時までのレッスンが毎週一回。費用は一回3千円弱であった。隣の部屋でフラメンコを習う女性の衣装がとても綺麗で、居合の袴が貧相に感じられた。兄弟子が威張りかえっていた。隣の部屋は極真空手でも防具をつけて打ち合う教室だった。若い整体師が指導者らしかったが、この人が夕暮れに複数のチンピラに因縁をつけられ、その一人の顎を触ると、歯が数本抜けて地面に落ちたのを拾ってあげたところ、皆一斉に逃げ出したというエピソードを聞いたことがある。因縁をつける相手を間違えると酷い目にあうらしい。稽古場所は職安通りからセンターまですぐ近くの距離。時間つぶしに茶店で、紅茶を飲みながらフランス語の独習をした。稽古が終わると新宿コマ劇場まえの広場から西武沿線がわの路地にあるバーのカウンターでビールを飲んだ。やはり運動のあとの冷えたビールはうまい。道場仲間との酒のつきあいはできるだけ避けていたのは、その品のない話題にせっかくに澄んだ胸が穢れるように思われたからだ。
 社会へ出ての二十二歳から肉体を鍛え始めた。筋トレのジムでバーベルを担ぐ。見る見るうちに腹が細くなり、逆三角形と体つきになった。毎日プールで泳ぎ、スキューバダイビングでボンベを背負うことが苦痛であった腰椎分離症も自然に治った。笹崎ジムでボクシングジムをやりだしたが、会長に笑われてしまってから自分がこのスポーツに向いてないのを悟ったからだ。
 25歳で家にどことも告げずに引っ越しをした。田園調布の端にある二階の隅の下宿部屋。窓から大家の庭の棕櫚の樹が一本いつも見えた。朝、4時に起床。読書と思索に耽った(?)。部屋には石膏のマルス像とインコが籠に一匹。「神田川」の流行歌のレコードは聞いたが、風呂へはいつも夜道を一人。石鹸の音だけがカタカタ鳴った。とうとう禁欲的生活から変調をきたし、大宮の姉の一隅に引っ越をせざる得なくなった。番いで暮らす画家と小説家の卵が二人引っ越しを手伝ってくれた。運ぶに邪魔と画家の卵は机の脚を切り短くしてしまった。ポップ調で商売っ気のある彼に、秘かに日本のアンディ・ウォーホルを期待したが、日本の風景画家となってしまった。
 居合では道場を転々とした。一時は無外流の道場へ通ったこともあった。「居合道」(山蔦重吉)、「武道初心集」(大道寺雄山)「秘剣示現流」(海音寺潮五郎)、「葉隠」(山本常朝)、「私の身体は頭がいい」「武道的思考」(内田樹)等を読んだ。内田のものでは武道関係が、合気道を実践していることからであろうが、とてもいいように思う。座禅は40歳前後から通いだしていたので、大森曹玄の「剣と禅」(この本は良書であった)、山岡鉄舟の「剣禅話」、佐江衆一の「剣と禅のこころ」、禅の公案集では「碧厳録」「無門関」等を読むうちに、居合と禅がどこかで相通じることが分かってきた。座禅は40歳前後から、もう30年になるが、継続はしてきたが持続したかというと心もとない。住職が変わってから休んでいた時期が多くなったからだ。最初の公案は、有名な白隠の隻手の妙音であった。剣も空気を斬れば音がする。片手でも同様であると答えたのは、剣禅一如のこころからであった。背後に闇を背にした老師は、数息観で座禅せよとの言葉を戴いた。老師はやがて三島・龍択寺の住職となって去った。龍択寺といえば、敗戦のラジオ放送「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言し、天皇を国家の「象徴」と定義するよう発案した山本 玄峰がいた禅道場である。弟子には中川宗淵、田中清玄がいる。幕末の三舟の一人山岡鉄舟も参禅した寺である。五月のちょうどこの時期、老師に逢いにいったことがある。「わしの人生は座禅で終わってしもうた」と去り際にそう言い、子供の頃、良寛を読んだのがよかったとつぶやいたのが心に残った。
 禅のほうは、水上勉の「禅とは何か」や玄侑宗久の本を読んだが、後者のは多分に衒学臭があって敬遠している。鈴木大拙の「禅について」は、若い時に読んだ。北区尾久に住んでいた媒酌人の家で、鈴木大拙全集をみたことがあった。
 「居合とはなにか」を現代に問うことは簡単ではない。敵を想像裡に描き、敵の不在を前提に行われている現代居合は、純然たる武道ではない。ならば現代の居合とは何かという問いに、確定的な答えをだすのは容易なことではないはずだ。そもそも、居合の道具である剣とは、現代においていかなるものかということにもなるだろう。居合での勝敗を、5段以上の審査員が決めることになっている。敵がいる真剣勝負なら勝敗は明らかだが、審査員が演武を見て勝ち負けを決めることには釈然としないものが残るのは仕方ないことだろう。審査員の目にすべてがかかっているから、これを信用できなくなったら、段などにこだわる必要は豪もない。居合にはさらに深い魅力があるように思われるからだ。禅も剣の世界も、なにか高潔なところを想像しないほうがいい。むしろ、こうした世界ほど、禅定とほど遠く、武士道とは縁なき衆生が集まる場所と心得ておけば失望するこもないだろう。旧い住職が居なくなった寺は、座禅中に本堂に猫が横切り、我執がむんむんする亡者達と、居眠りの死座禅をする老人が権力欲を法衣に隠していることが多いことから、私は秘かにものも言わない大きな木魚の端然たる不動の影に励まされて座るよう心がけているといったほうがよい。
 愈々、個人の精神の衰弱が激しくなるにつれ、社会全体も硬直化していく傾向が濃厚となってくるらしい。さるにても、剣も禅も素晴らしい師に出会うことができることが一番の功徳なのだが、これがまた至難と言ってもいいようだ。
 最後に、白隠禅師座禅和讃の全文を載せておこう。


衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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