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映画「ミュンヘン」

 1072年9月のミュンヘンオリンピックでは、パレスチナの過激派組織「黒い九月」のメンバー8名がイスラエル選手団宿舎に侵入し、選手2名を殺害して残り9名を人質に取った事件があった(「Wikipedia」による)。もう約40年のむかしの事件なので、私も含めほとんどの人の記憶にはない事件だろう。
 この事件を概観すると、過激派組織「黒い九月」は人質の解放と引き替えに、イスラエルに収監されているパレスチナ人の解放を要求。解決は西ドイツ警察に任されることになったが、テロリストとの銃撃戦の結果、イスラエル選手団9名が殺害され、人質11人全員死亡という悲劇的な結果に終ってしまう。イスラエル政府はこの事件に対し、首相ゴルダ・メイア臨席のもと、報復を決意して、テロの首謀者とされる11名のパレスチナ人の暗殺を計画する。
 2005年、この歴史的な事件を題材に、スティーブ・スピルバーグ監督が作ったアメリカ映画が「ミュンヘン」である。公開前からイスラエルの批評家の厳しい批判を受けていた映画について、スピルバーグ監督はイントロダクションで、この映画はイスラエル批判ではない。イスラエルの行動の動機は観客の想像力にゆだねたいと語っているのが印象的だ。
 この映画を見る私のきっかけは、最近刊行された「一神教と国家」(集英社新書)という内田樹と中田考の対談を一読したからだ。だがさらに遡ると、若い時にみた映画「アラビヤのロレンス」の一シーンが私の頭に残っていたからかも知れない。それは、ロレンスのアラビヤ人に対してのつぶやき「いつまでも分裂していることは、決してアラブ人のためにはならない」との一言であった。偶然にも、イスラーム学者、井筒俊彦の「イスラム哲学の原像」を読み、哲学と形而上学(神秘主義)の結合を図ることで、「東洋思想」に特別な示唆を与えたえようとしていたことを知ったことも手伝った。この碩学の井筒俊彦の年譜を読み、氏が若い頃から禅に親しんでいたことも私を刺激した。こうした下地がなければ、おそらくイスラムで生まれた思想を日本人として受容することは困難であったにちがいない。
 前述した「一神教と国家」(集英社新書)という対談集に私は双手を上げて、賛同したわけではないが、本の表紙の裏にある紹介文にはこんなことが書かれていた。
「『ユダヤ教、キリスト教、イスラームの神は同じ』『戒律を重んじるユダヤ教とイスラームのコミュニティは驚くほどに似ている』『千年以上にわたって中東ではユダヤ教、キリスト教がイスラームのルールに則って共存してきた』。なのに、どうして近現代史において衝突が絶えないのか? 本書は。日本ではなじみが薄い一神教の基礎知識を思想家内田樹とイスラーム学者中田考がイスラームを主軸に解説。そして、イスラームと国民国家、アメリカ式のグローバリズムの間にある問題を浮き彫りにし、今後の展望を探る。」
 たとえこれが本のカバーの宣伝文句にしても、これらの文句に心が動かされない者が果たしているだろうか。外国に留学して語学力を身につけ、外国思想を翻訳すると同時に、その他の思想書を渉猟することで、「思想家」という者になれるものなのか、私はわからない。知識人になれるのかも知れないが、その人を思想家と呼んでいいものかどうか、疑問のあるところだろう。多年に亘る知識の吸収によって思想家が生まれるものならことは簡単だが、そういうものではあるまい。学識だけではない、その人間の生き方と死に方が問われるものだろうからだ。私は所謂「思想」なるものに、相対的な姿勢を保持せざるを得ない者だ。それは思想に心酔した人間が、その私生活においていかなる姿態を演じざる得ないことになるかを、直感的に知っているからである。これをシニシズムと言われようと、ニヒリズムと言われようと知ったことではない。私は平凡な人々が営む「生活」のリアリズムのなかに、学識ではない「叡智」と「詩」のようなものが宿っていないはずはないと思っているからだ。だが、この「生活」の核心がじわじわと荒廃し、人々の心に平安ではなく、不安が忍び寄っている現代文明の脅威をまた一方に感じている現在、残り少ない人生の時間から、多少の知的な努力を割かねばならない事情があるからである。私は平和を希求するが故に、どうやら、それとは反対の事象をも直視せざる得ないのである。
 最後に、「『永遠の0(ゼロ)』と日本人」を今日、病院の循環器科の診察を待つ長い時間で読むことができた。この著者はおそらく有能な本を書くことができる人にちがいない。小林秀雄が戦時中に書いた「戦争と平和」からの引用をうまくしているが、「麦と兵隊」を書いた火野葦平(氏は戦後に自殺している)へ中国の現地まで赴き芥川賞を渡している小林は自分の目で戦争の現場を見ているのだ。その小林が書いた「戦争と平和」から引用をしているが、いったい、小林秀雄の全集を読み、日本の文芸批評を開拓した人の全軌跡を歩いて、深く考えたことがあるのだろうか。或いわ、戦争で九死に一生を得て作家になった小林の弟子筋にあたる大岡昇平全集を読み、「天皇陛下がお可愛そうだ」という言葉が、この作家のどこから出ているかを、すこしでも考えようとしたことはあるのだろうか。いやいや、もうこれ以上の贅言を費やす必要はないので、閑話休題として終わりにでもしておこう。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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