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物語の世界

  図書館から三冊の本を借りて立て続けに読んだ。
 一冊は野口悠紀雄「変わった世界 変わらない日本」というマクロ経済論、二冊目は渡辺淳一の小説「愛ふたたび」、三冊目が「トランプの遊び方」だ。
 野口悠紀雄という名前は、まだ大学の助教授時代に書かれた小論を新聞で読んでから注目してきた学者であった。幾冊かの「整理術」の新書も読んだが、日本橋にある快適な会場でときおり開催される氏の講義も聴きに行った。真偽は定かではないが、氏は報酬なしの手弁当でこの講義を続けているのだと、知人から聞いたことがあった。時の政権の政策を一学者が真っ向から批判するには、それなりの覚悟が必要であることは言うまでもない。権力者側にすりより政府の要職を得る学者たちの、おぞましい光景にはうんざりするので、氏の誠実な学者ぶりはいまの時代には貴重な存在に見えるのだ。講義は基本的なデータに基づくマクロ経済学の基本を説くオーソドックスなものであった。逆からいえば、現政権の経済政策が当然にも無視すべきではない経済法則を平気で逸脱しているとの認識があればこそ、氏はこれに警鐘を鳴らさざる得ないのだろう。
 本書は新書版の小冊子であるが、説かれている内容はこの四半世紀のあいだの世界の変化からはあまりに隔たった日本経済の姿をいかんなく照らし出すものである。なぜこうした事情が生まれてしまうのかという疑問に、表面的な事象を並べてその失政ぶりをを解析しようとした識者はこれまで枚挙にいとまもないほどにいるが、この日本の歴史を深く掘り下げてその根源に迫ろうとしたものは、なぜないのであろうか。単に国の経済政策に留まらない、日本という国家の深層に伏在する難問がここにあると考える思想人はいないのが不思議でならない。これはもしかしたら、日本に止まらない世界的な歴史のターニングポイントであるかも知れないのだから・・・・でなければどうして世界中に起きている異変の説明がつくだろう・・・・。
 さてそれはさておき、本書に取り上げられた、アイルランドのめざましい経済発展はあまり知られていないせいか刺激的でさえあった。即ち、アイルランドはヨーロッパでも貧しい農業国のままにとどまっていたが、1990年代に大発展をしたのは、世界経済の大変化にうまく対応することができたからだという。工業社会の段階を経ずに一挙に21世紀型の産業構造に変化することが出来たのだ。かたや、日本経済が長期の停滞から脱却できないのは、1990年代以降に生じた世界経済の大きな構造変化に対応できないままでいるからであると。
 本書は前からでも後から読んでも興味の尽きないもので分量はたいしたものではないが、ここには言うべきことは言わねばならないという経済学者の最低限の責務に忠実な学者の痛烈な批判が込められている。読者は著者の「はじめに」だけに目を通すだけでそれを知ることになるだろう。
 先日、「ハイエクの貨幣非国有化論について」と題する講義の案内を貰ったが都合が悪く、聴講することができなかったのは残念であった。「ケインズとハイエク」という本を読んだ昔の記憶はおぼろであるが、ケインズとハイエクでは思考力の自由度が相当に異なるという印象を持った。少なくともハイエクは、あの詩人であり作家のDH・ロレンスが忌み嫌ったブルームズベリー・グループにケインズのように参加することは想像しようもない種類の人間に思われた。少し以前の講義では「ビットコイン」が取り上げられたようだが、電子貨幣が発行と管理元とがないだけで、1972年の変動相場制以来、その本質はなんらどこの国の通貨とも変わらないものと氏には見えるのにちがいない。そうした紙幣を印刷し国債を大量に発行する政府・日銀がしていることは、ただ円の信頼を低下させているだけなのだ。
 ここでダイヤモンド社のオンラインからのビットコインに関する氏の発言を拾ってみよう。
「日本における財政ファイナンスが行き着く先はインフレである。これまでは、その救済手段はなかったが、ビットコインがそれを提供する。ビットコインでなくても、ライトコインでも、リップルでもよい。円に対する信頼が失われたときに、最後のよりどころとなる手段だ。」
「 ハイエクが描く自由な通貨体制――それがビットコインによって実現されつつある」 
「フリードリッヒ・フォン・ハイエクは、1976年に刊行された『貨幣の非国有化』において、貨幣発行の自由化を主張した。ビットコイン10+ 件をはじめとした仮想通貨は、ハイエクの考えを現実化するものとして注目されるが、一部には違いもある。」
 私はここで唐突であるが、作家の谷崎潤一郎が小説「小さな王国」で、子供達が遊びに作った紙幣に、大人の主人公までもがはまり出す物語を読んだことを思い出した。商売人の家に生まれた作家の谷崎には、お金というもの、いや、経済行為の底にある「いかがわしさ」、或いは、「不確実性」なるものを洞察することができたのかも知れない。
 AKB48の総選挙のコンクールを偶然、テレビの実況中継でみてしまった。約20万票弱をえて一位になった少女を見ながら一票が千円と云々との、三十代の人のコメントを聞き、これをビットコインでやったらという感想がおもわずに出てしまった。各国が人工知能の研究に鎬を削っているこの時代に、そうした空想を可能にする材料はいくらでもあるのにと・・・・。
 さて、ここで渡辺淳一の「愛ふたたび」へ話しを転ずると、老いいく男の物語ということで、「鍵」や「瘋癲老人日記」と同類の小説である。気楽堂なる主人公が最後に見いだすにいたる光明には、谷崎ほどの陰影はなく「気楽堂方式」で済むらしいが、ここには老いを現実に生きている一人の男も女も登場していない。そして、男の自己幻想に酔った、気楽な世界があるだけではないかと、厳しい半畳を入れておくべきだろう。私は以前、「家族のゆくえ」という吉本隆明の文庫の「老いとはなにか【老年期】」を読んで大変に感心したが、この小説には吉本の爪の垢さえないことに呆れてしまうほど、のんびりとした物語となっている。女から男をみる視線がまるでないとある種の女性達からの批判は予想されようが、男の女への情熱の賛美は死をも超えるものだというエランビータルは失われていないのには感心せざる得ないのであった。
 「トランプの遊び方」は、これまでの話題を53枚の札にして、そのいちいちのルールの遵守がトランプ遊びの楽しさの基本であること、そして、ジョーカー一枚がそのルールを反転させ得る世界なのだと理解しておくことは、近未来を透視する一助にならないとも限らないのだ。
 現代世界はトランプ一枚の薄さと軽さになったのか、それともジョーカー一枚で反転するきわどさを前にしているのか、それはもう誰にもわからないのだから。

 (後記)その後、アメリカに「トランプ」なる大統領が就任したが、これはどうした偶然なのであろう。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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