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「空車」森鴎外

 一夜のこと森鴎外漁史に会ったことがある。森鴎外は私の目線の先、奥の部屋にいた。庭と部屋のあいだに御簾のようなものがかかり、低い、静かな声で、お白洲のような庭に正座していた私になにかを語ろうとしているその声に耳を傾けた。だがなにを語っているのか、その声を聞くことはできなかった。これは勿論、夢の中の話しである。
 若いころ、私のこころは激しく揺れていた。だが鴎外の文章を読むとふしぎに私の気持ちは落ち着いた。フランスの詩人のヴァレリーも同じで、私の惑乱は彼が生まれた南フランスのセットー、青く澄みきった海辺を眺めた時のように、閑かに治まり広闊なる視野を得た。そのときフランス語の原語ができたらどんなにいいだろうかと思ったものだ。後年、私の娘がヴァレリーの生地であるセットーへ足を運んでくれ、海辺の墓地の写真を送って来てくれたのだ。そこにヴァレリーのお墓を見ることができた。背後の遠景に「海辺の墓地」の詞が開けていた。私は娘に感謝したが、そこへ足を運んだ娘もそれ相応に感激してくれたようだった。だが、やはり彼は西欧ヨーロッパの人間であり、鴎外は私と同様な日本人であった。日本人ではあるが、鴎外は若い頃にこの西欧を体験した人であり、またその西欧の一女性にこころを寄せたことがあったのだ。その女性は日本まで鴎外を追ってきたという。一軍人であった鴎外はきっと「舞姫」を書くことで、一篇の詩を書くように、自分の混乱を鎮めたのにちがいない。それから鴎外の日本人としての生活がはじまったのだ。
 上野の暗闇坂の手前にこの当時に住んだ鴎外の家が残されている。「舞姫」はここで書かれ、最初の結婚生活が送られた。そして、この結婚は当然のように破綻した。軍人としての将来を嘱望されていた彼は、その厳しい職業生活の合間に、まるで振り捨てた恋人に逢うがごとくに「文学」に関わった。多くの西欧小説の翻訳と「高瀬舟」や「雁」等の小説群は、二度目の細君と母君との確執に翻弄されながら執筆されたものと思われる。「半日」は鴎外にはめずらしく、そうした自分の生活の一面を覗かせてくれる短編だ。軍医としてトップの軍医総監まで上り詰めた森鴎外にとって「文学」は遊び以上のものではなかっただろう。だがその「文学」には日本人の血が通っている。規矩のある軍人生活者の確かな視線が凜として感じられる。「高瀬舟」もそうだが封建時代の庶民に流れる倫理感がみごとに貫かれている。「最後の一句」はそうした作品の一つだ。「いち」という年端もいかない娘が、死罪と決まったお父さんの身代わりに自分たち兄と私を殺して欲しいと嘆願書を出す、役人が嘆願書の趣旨を娘のいちに確かめる。このいちがお白洲の場で最後に放った詞は、鋭い刃のように役人たちの胸を刺すものであった。
「お上の事には間違いはございますまいから」

 三鷹の禅林寺に彼のお墓がある。彼の遺書のとおり、森林太郎と墓石に掘られている。そのそばに太宰治の墓石がある。「文学」に身を持ち崩した男の墓である。明治と昭和の世の違いが、この二人の「文学」への態度を截然と切り離している。
 「空車」と「なかじきり」について書こうとして、こんな一文となった。ご海容を乞う。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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