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ラウル・デュフィ-美の衝撃

 ラウル・デュフィの展覧会は以前にも行ったことがあった。しかし、今回ほどその画業に撃たれたことはない。「ヴェネチアーサン・マルコ広場」に思わず私は息をのんだ。絵は私の見た広場からその重力と厚みを吹き払い、軽快な風に吹かれて中空に浮かんでいたからである。
 一人の芸術家がこの世に出るまでには、いったいどれほどの試行錯誤にも似た様々な研鑽と探求をたどらねばならないのかを、私は初めてのように悟らされた。それが夏の雲のように、重く覆いかぶさってきた。帰路、暑熱のまぶしい陽射しを避け、ステッキの助けを借りて最寄り駅へと私は急いだ。前夜の武道の稽古の疲れがとれず、いつ眩暈に襲われてもおかしくはなかった。街に繰り出した夏休み客の雑踏を縫い、炎熱はどうやら私の内部から炙りだされてきていたらしい。この画家を私は軽くみていたそれは罰のようなものだったのだろう。
 詩人のアポリネールは「不遇だが、偉大な画家」とデュフィーを讃えていた。この詩人には「美」を直に射貫く炯眼があった。その偉大さがどのようなものであるかを私は再考せずにはいられなかった。すでに詩人のボードレールが「現代生活の画家」において、新しい美の領野を切り拓こうとしていたことを改めて振り返させられたのだ。これらの詩人たちはその批評の精神によって、はかなく、移ろいやすい美の中に現代の芸術の新しい運動を予感した。そこに創造的な精神の新しさを確信したのであった。「断じて現代人でなければならない」と「地獄の季節」の詩人が、己の青春時の訣別に漏らした警句は自分の仕事の果てを見た者でなければ吐けない種類のことばであったろう。
 「サン=タドレスの桟橋」(1902年)は明らかに、「大空の王者」と称されたブータンの遺髪を継いでいる。白い砂浜は存分に光りを吸収した佳作となっているが、ここではまだ、デュフィー独特の音色のある色彩に遠いようだ。線は硬く、全体の色調は自由を謳歌するに至っていない。砂浜の白はまだ重く、空はブータンのあの抜けるような空間を獲得しているとは言い難い。
 デュフィーが木版に勤しみ、婦人服のデザインという回り道をして得たものが開花するのは、「サン=タドレスの大きな浴女」(1924年)頃からだと思われる。ここでは線はしなやか、色彩は躍動し、装飾的な背景を含めた画面構成は、大胆な密度をもって引き締められている。この白いシーツの上で黒い水着を着た太りじしの女の頭に巻かれたターバンの赤は、背後の家の屋根の赤に呼応し、水着の白い線はシーツの白と響きあい、女の顔の表情はふてぶてしくさえあるではないか。やがて水着の黒は女の肌から解放され、画家はこの黒の中に死を間近にした最後の作品を残すであろう。
 「突堤-ニースの散歩道」(1926年)では、青い色彩はしなやかな線から自由に画面を構成しながら動きだしている。青はデュフィーの青となって華やかに画面に溢れていくだろう。「イエールの広場」(1927年)はその端的な表現だが、すべての色彩が歌いだしているような軽やかさに、鶏小屋の鳥もすでに小屋から飛びだそうとしている。やがてあらゆる色彩が解放される時が来るにちがいない。
 「馬に乗ったケスラー一家」(1932年)において、デュフィーは確乎たる地歩を築いたかのようだ。涼やかな馬と人間の表情は、背景の樹木を浸す青色となんとよくマッチしていることだろう。
 「オーケストラ」(1942年)は画家が好きな音楽が全画面にみなぎり、「黄色いコンソール」(1949年)には画家の本領がいかんなく発揮され、楽譜が中央に描かれ、黄色の色彩は全面に音となってあふれだしているのだ。
 これらの極めつきが「クロード・ドビュッシーのオマージュ」と「バイオリンのある静物ーバッハへのオマージュ」(共に1952年)であろう。色彩はキャンバスに自由に流れだし、絵画と音楽との結婚はここに遂に成就したかと思われる。
 私はラウル・デュフィという画家のうちに、アンリ・マテュスの「生きる歓び」から大きな啓示をうけた刻印をよむが、それは私が若い頃に、アンリ・マテュスの作品から多大な恩恵を受けてきたからである。マテュスの芸術の探求は恰もデュフィによって受け継がれたかのようである。線と色彩の関係という課題に対する回答には、マテュスは切り絵による表現を、デュフィは色彩を音楽へ限りなく融解する方向へ進むことによって応えたようである。
 美の革新において、フランスには偉大な伝統が脈々と流れているのに改めて驚かされずにはいられない。それがどこから来ているものかを知りたいと思いながら、ふと、私はミュシュレの「フランス革命史」における人民たちの蠢動する姿態に似通うものを感得しないではいられなかったのだ。
 


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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