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鈴虫

 部屋の隅から、せまい部屋いっぱいに鈴虫の啼き声がどよめいて聞こえる。見れば西瓜の種のような小さな虫で、初秋の季語となっている。顔を近づけてみると、うすい羽根を二枚ひろげ、足を踏ん張り、身体中で啼いている。このどこからあのような大きな音を出すことができるのだろうかと、ふしぎな気がする。
 家人がご近所から毎年のように貰うのである。私の孫娘が「すず」という名前なので、
「すっちゃん、もうそんなに啼かなくてもいいよ」
耳鳴りのはげしいときには、思わずそんな冗談を言ってみたくなるくらいだ。それほどに小体なわが家に、虫の声がひびくのである。ときどき、私は家人が用意した胡瓜や西瓜を、30匹ばかりいる透明な容器に鈴虫の餌にと、散布した水に湿った土の住処に置いてやる。なかなか慎重な虫らしく、すぐには餌に近寄らない。繊く白い二本の髭をのばし、その先端がかすかに触ったか触らないかの動きを見せるだけである。餌がなければ、共食いも辞さない。近親相姦の交配もするので奇形も多い。リンリーンと優美な啼き声を発する虫とも思えぬ獰猛と残虐とを隠し持っているのだ。
 昭和58年に発刊された分厚い講談社の「日本大歳時記」をみると、この虫の名前は松虫というとある。岩波の広辞苑第二版には松虫は鈴虫の古名であると記されている。初版の小学館の「国語大辞典」でも、同じく古名とある。能楽の「松虫」では、この松虫の鳴き声に心ひかれていったまま草のなかで死んだ男の回向をすると、亡霊が現れ、友と酒宴を愉しんだ思い出を語り虫の音に興じて舞う。たしかにそんな音色がこの虫にはあるようだ。   
源氏物語37巻目に「鈴虫の巻」がある。巻名は女三宮と光源氏の歌。


おほかたの秋をばうしと知りにしをふり棄てがたきすず虫のこえ

こころもて草のやどりをいとへどもなほすず虫の声ぞふりせぬ

この二首からきているらしい。ここでは鈴虫と松虫との比較が問答されている。まだ名前がさだまらず、混乱があるのか、それとも物語に書かれているように、松虫が鈴虫とは異種で前者が「妙に隔て心」のあるのに、後者が当世風の可愛らしさのある虫(谷崎譯源氏)なのか、どうにも分明しがたいのもこれはこれでおもしろいではないか。

   よい世とは虫が鈴ふり鳶がまふ(一茶)

さすが一茶の句には、のんびりとした風情がただよってこころよい。だが、現代となるとそうはいかない。

  鈴虫の喰はれ残りが髭振れる(加藤揪邨)

小さな鈴虫の持つ獰猛さが「喰はれ残り」の「髭振れる」となって寥たる一景である。

 夫(つま) とふたり籠の鈴虫鳴きすぎる(及川貞)

 私としてはこちらに共感をおぼえるのだが、

 鈴虫は鳴きやすむなり虫時雨(松本たかし)

 まだ鳴かぬ鈴虫忘れられそうに(稻畑汀子)

 こうした二句にもこころ惹かれるものがある。

 最後の一句には、初秋の季感が暮れてゆく海を彷彿とさせ、それが空を呼ぶダイナミックな感興に奇想があふれ、自然の大きな景観が映されているようだ。

松虫や暮るる波濤に空つづく(千代田葛彦)




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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