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 朝からしきりに雨がふっている。屋根をたたき路上に落ちる雨の音には、無粋な悪意さえ感じるほどだ。天候の異変のせいで、雨雲がどの地域ともかぎらず生まれやすくなっているらしい。年々に寄る辺のない心には、せめて遠くまで見わたせる爽快な秋の光りに満ちた一日がほしいものだ。
 参禅へ行くいつもの道順を変えてみたら、知らない通りにでてしまった。こ狭い間口の商店がならんでいる。その中に一軒の古本屋が目に入った。下町の辺鄙ともいえそうなそんなところに、古本屋を見かけるなんてめずらしいことがあったものだ。私は永井荷風が浅草の裏道にある古本屋へ親しく通うくだりを読んだことがあった。たぶん荷風の戯作趣味がその類いの本でも見つかるかもしれないという好奇が足を運ばせたという想像を巡らしたが、同じような気持ちで私も古風な硝子戸をひいて店のなかへ足をいれた。たいそう狭い店のすぐ正面に、爺さんが座っていた。さらりと書棚を眺めたが、どうにも関心を惹きそうな本はなさそうであったが、しょぼんと座っているもう相当な年かさの爺さんに哀れをさそわれた。一冊ぐらいは買ってやらなければ、どうも心苦しい気がしてきたこともあるが、小林秀雄の「常識について」の文庫の背表紙が目にとまった。手に取って開くと、遙かむかしに読んだことのある随筆が並んでいた。そんなところに小林の本があることさえおかしな気がしたが、爺さんに一言でもなにか言ってやりたかったのだ。ご愛想のひとことでも言い、なんとか励ましてでもやりたい誘惑にかれていたのだが、不器用な私の口下手が禍となって、そうした場をつくろうことばがうまくでてくれなかった。愚直な感想がなんの飾もなくそのまま、口の端からこぼれでた格好であった。
「今ごろにこんなところに、古本屋があるなんてめずらしいことですねエー」
 私はある種の感動をあらわそうとしたのだが、私のご愛嬌は爺さんを励ますどころか、嫌みにさえ聞こえたにちがいなかった。それからそんな間をおかずに、同じ道を通りその古本屋を捜したが、もうその小さな店はどこにも見つけることはできなかった。毎日、爺さんは同じ場所に座り、残り少ない余生をそうして紛らわせて暮らしていたのに、私のことばは爺さんの胸を突いたのにちがいなく、急いで店をたたんでしまったのだろう。 たったひとつのことばが、爺さんの平生の暮らしに句読点を打たせてしまったのだと思うと、私はやりきれなかった。
 明け方の早い時刻に目が覚めて、枕元から手が届くその文庫本を開いてみた。冒頭の短い「秋」という文章を再読した。昭和二十五年、小林が四十八歳に書いたエッセイであった。
「よく晴れた秋の日の午前、二月堂に登って、ぼんやりしていた。欄干に組んだ両腕のなかに、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍の陰影、生駒の山肌、いろんなものを眼を細くして眺めていた。二十年ぶりである。人間は、なんとほどよく過去を忘れるものだ。実にいろんな事があったと思うのもまた実にほどよく忘れているというそのことだ。どうやら俺は日向の猫に類している。」
 このやわらかな平談から、小林はすぐ後で、「いまわしい空想」と嘆じるしかない、プルーストの「時間」だとか、「私」というものにまとわりつく、観念の空想に舞い上がった自分を、へんてつもない「常識」という地平に着地させていく、思考の屈曲をこれほどに、あからさまに示した文章はめずらしい。
「歴史とは、無数の『私』がどこかへ飛び去った形骸である」という地平を、以後、小林は一心不乱に歩きだすだろう。
 若き日の思い出を逆袈裟に斬りあげ、追ってくる過去の胴体を横一文字に斬り捨てる、小林一流の特異な文体をもって、小走りに去る一瞬の彼の後姿がここに見える。そして、こうした思考の背後に中原中也のとろんとした目が光っているのを小林はどこまで自覚し得ただろう。
「空想は去り、苦しく悲しい感情が胸を満たした。・・・・・・・私はただ急いでいた。」
 私は、たった一度、同行の友人とほとんど同時に、鎌倉の路上を恰も走るように歩き去る、小林秀雄らしき男の影を遠目に見た ことがあった。その一瞬の光景が脳裏にうかんで、ただ絶句していた。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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