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山本周五郎

 ここに山本周五郎という作家の、とりあえずの、率直な感想を記すのは、「山本周五郎戦中日記」なるものを読んだからだ。
 私はこの作家を反骨の庶民派の作家という想像を懐いていた。しかし、その想像はたぶんに的が外れていたようである。たしかに「反骨」をもって彼はひとりの庶民として果敢な意地をみせている。だがその意地はただよい小説を書きたいという一念から発せられ、その大いなる願望があまりに強烈なものであったがためである。特にこの「戦中日記」は、戦時の一日本人としての自然の姿をとおし、空襲の描写にはやや抑制が見られるところだが、素直な気持ちの現れがみられるのだ。これに違和感を懐かせるものはないだろう。ところで、家人は若い一時にこの作家を熱心に読んでいたようである。1970年の秋から71年の冬へかけて、周五郎の文庫本を読み耽った形跡が、裏表紙にその日付と名前と蔵書印が残っているからである。戦後25年のこの画期的な時期に、周五郎を読むとはどういうことか興味が惹かれるところだ。
 それはともかく、前述した「戦中日記」は、1941年(昭和16年)十二月8日から1945年(昭和20年)2月4日を全文収録したものである。私は荷風の「断腸亭日乗」を脳裏にうかべていたので、周五郎の「戦中日記」があまりに、素直で平凡でさえあることに一驚したほどであるが、考えてみるとこれこそ周五郎という作家魂の紛れもないダイアリーと言うべきほかはないのである。作家の開高健は、あるとき貸本屋で一番読まれている小説はというと、山本周五郎のものだと聞いたそうである。開高に言わせると、モームを読むに読んで自家薬籠中のものにして、たくさんの習作の後に、「樅の木は残った」を取りかかったのではないかとか、評論家の奥野健男が「季節のない街」が、シャルル・ルイ・フィリップの「小さな町にて」を思わせるとの感想を漏らしているが、そのようなことはどうでもよいことである。
 この「戦中日記」にあるのは、妻子を養うために(その後、妻子の代わりに「自分」に変えている)、毎日、原稿にむかって、恰も「戦争」と張り合うかのように、奮闘する周五郎の正直な姿そのものを見ることだ。

「周五郎よ新年おめでとう、今年こそがんばろうぞ」(昭和二十年一月一日)
「己が現在書きつつある作のなかに「真実を抜き差しならぬ「真実」を、そして美しさを、突き止めなければならぬ。仕事を分けてはいけない。時代小説のなかに芸術をあらしめること「我が作品あり」と言わしめなければならぬ。「書くこと」の苦しみを、もっと苦しみをー。遊び事ではないのだ、この道のためには幾人のもの先人が「死」んでいるのだ、もっと苦しんで、真実と美と力とを書き活かさなければー」(一月二十四日)
「葛西が酒に淫した態度を軽くみてはならない。大抵の酒徒は酔うことに倒れるか、一歩手前で踏みとどまる、善蔵は踏み止まらなかった酔いの中に入って、神経を殺して、その中から純粋なものだけを己のものいした」(一月二十五日)
「ひと思いに生きることを拒めたらそれもよい、死は今や避ける要のないものと考える。―いやいかん、自分がそんな弱音をあげてはいかん、生きるんだ、石に齧りついても生きて、正しき日本、万邦無比の日本を再建するためにさいごまで努力しなければならならぬ、なにくそ、こんなところで死んで堪るか、これからだぞ」(二月一日)
「己は己の大きい運命のたしかさを確信する、あとは努力だ。すべてをうちこんだ努力がその後を裏付けるのだ。仕事だ。・・・・・・・9時頃に寝たが、うとうとしたのみで睡れない。頭では絶えず原稿を書いている、ついに起きて昼食し、机に向かった、四十二枚から書き直しである」(二月二日)
「『油断大敵』終わる。五十七枚」(二月四日)

 山本周五郎は昭和四十二年、六十三歳で斃れたが、最後まで自分へ叱咤激励して「がんばれ周五郎」とまで日記に記した、土臭い日本の作家であった。
 原作にはない科白であるが、映画「雨あがる」の妻おたよが、賭け試合をしてしまった伊兵衛の傍らで、仕官を希望していた城中からの使者へ放ったことばが蘇ってくる。
「大事なことは何を為したかではなく、何を為そうとしていたかにあるのではないでしょうか」(「虚空遍歴」)という科白なのである。周五郎が必死に「文」において生きたさきの「戦争」で、日本が「何を為そうとしていたか」を、この小説家へ問うことは愚問にちがいない。
 山本周五郎は「がんばれ周五郎」という幾多の作品を、地味ではあるがこの世に遺した稀有なるなる作家であった。それ以上なにを言うことがあるのだろうか。


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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