レ・ザンファン テリブル
子どもの頃の遊びなかまに、ひとりいまでもその顔を思い出すやつがいた。
たしか町の道路沿いの鉄板屋の息子だった。よくその家の裏でベーゴマで遊んだことがあった。
あれはある晴れた日だった。熱いくらいに焼けた鉄板の上で、ぼくたちは道路を歩いてくる大人たちを、眺めるという遊びをその鉄板屋の息子から教わったのだ。
まずその息子がやって見せてくれた。やつはときおりその道路を歩いてくる大人をしばらくジィーと目で追って眺めてから、呵々大笑するのであった。なにがそんなに面白くて笑うのか、わからなかった。ぼくたちはやつに訊ねてみた。いいから「ジィーとひとりひとりを眺めてごらんよ、面白いんだ」。やつはそれ以上言わなかった。そして、相変わらずおなじことを繰り替えして、呵々大笑するのであった。ぼくたちもやつのまねをしてみた。幾度かそれを繰り返しているうちに、なんだかそのツボのようなものが呑み込めてきた。
歩いている大人のひとりひとりが、歩くその姿、顔の表情、両手の振り方、いやいや、大人であると言わぬばかりの様子そのものが、笑えてくるのであった。
いったいあの笑う遊びはなんだろうと、そのときの光景を思い出しては不思議でならない。やつはどうしてそんな遊びを編み出したのだろうか。ただ笑うためにそうした遊びをこしらえたのか。それとも、どんな大人も生きて動いている姿そのものが、やつには笑うべきものに見えたのだろうか。呵々大笑するたびに、ぼくたちは青空を見たが、その空に小さな一点の毒のツバを吐いていたのかもしれない。あるいは、底のぬけるような青空の果てに、そんな明るくまぶしい笑いのシミを生み出すことで、そこに遊びの世界を創っていたのだろうか。
ベーゴマをしていると、隅のマンホールのなかから大きなネズミが顔をだすことがあった。ひとりの弓矢の名人の子どもが、でてくるネズミを待ち構え、みごとに射殺したのだ。遊ぶ子どもは残酷である。いや、それは遊びというもののなかに、すでに潜んでいるのかもしれない。
あるときから、ベーゴマの遊びを学校が禁止した。ぼくたちはやつの家に行かなくなった。それからみんながどうしたか知らない。でもやつから教わった遊びのひとつはいまも忘れないものだ。子どもは笑いを引き出すことにかけてはおかしな能力を持っている。学級の担任の先生が亡くなった。ぼくたちは葬式に行った。そこで一人誰かが笑いだした。それが電波してみんなが笑った。それは厳粛な式典に小さな風穴を開ける行為に等しいものだった。
いや大人の遊び心にもひとりの子どもが棲んでいるのではないか。人間の歴史と文化の本質に遊びをする精神をくみ上げて、「ホモルーデンス」を書いたホイジンガの目には、あの鉄板屋の息子と同質のものがあるにちがいない。あの「中世の秋」の面白さはそこからくるのだろう。
遊び心のない大人は鬱陶しい。「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリは、いろいろな星に住む大人たちを、王子さまの目からみている。みられている大人はみな淋しい大人たちだ。権威を笠に着ていないといられない偉ぶった大人、酒ばかり飲んでいる大人は、「なぜお酒を飲むの」と王子さまに訊かれて、「お酒を飲むのが恥ずかしいからだ」と答えている。「星の王子さま」 の「わたし」は、大人でありながら、子どもを同居させているサン・テグジュペリにほかならない。
パリの本屋で買った「LE GRAND CAHIER」(「悪童日記」と日本では翻訳されている)のアゴタ・クリストフの本も、二人の男の子の目をとおして、まさに戦争下に生きる人間模様へフモールの光を当てている。ゲーテは天才とはいつでも子どもに帰ることができる大人であると言ったことがある。カフカは自分を大人の森のなかで道に迷った一人の子どもに擬えている。
どんなに大人になっても、こころの隅にひとりの子どもも棲んでいない、硬直した大人にはなりたくないものである。がまた、子どもの無法図な恐ろしさをも知っていなければならない。この両方の天秤のうえに、人生というものが乗っているらしい。
(注)2014年11月に掲載したブログであるが、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(屁がならぶ名前だ)の「幻獣辞典」の「鏡の虎」の項目とどこかで一脈通ずる子供の世界だと、ここに再掲する。
たしか町の道路沿いの鉄板屋の息子だった。よくその家の裏でベーゴマで遊んだことがあった。
あれはある晴れた日だった。熱いくらいに焼けた鉄板の上で、ぼくたちは道路を歩いてくる大人たちを、眺めるという遊びをその鉄板屋の息子から教わったのだ。
まずその息子がやって見せてくれた。やつはときおりその道路を歩いてくる大人をしばらくジィーと目で追って眺めてから、呵々大笑するのであった。なにがそんなに面白くて笑うのか、わからなかった。ぼくたちはやつに訊ねてみた。いいから「ジィーとひとりひとりを眺めてごらんよ、面白いんだ」。やつはそれ以上言わなかった。そして、相変わらずおなじことを繰り替えして、呵々大笑するのであった。ぼくたちもやつのまねをしてみた。幾度かそれを繰り返しているうちに、なんだかそのツボのようなものが呑み込めてきた。
歩いている大人のひとりひとりが、歩くその姿、顔の表情、両手の振り方、いやいや、大人であると言わぬばかりの様子そのものが、笑えてくるのであった。
いったいあの笑う遊びはなんだろうと、そのときの光景を思い出しては不思議でならない。やつはどうしてそんな遊びを編み出したのだろうか。ただ笑うためにそうした遊びをこしらえたのか。それとも、どんな大人も生きて動いている姿そのものが、やつには笑うべきものに見えたのだろうか。呵々大笑するたびに、ぼくたちは青空を見たが、その空に小さな一点の毒のツバを吐いていたのかもしれない。あるいは、底のぬけるような青空の果てに、そんな明るくまぶしい笑いのシミを生み出すことで、そこに遊びの世界を創っていたのだろうか。
ベーゴマをしていると、隅のマンホールのなかから大きなネズミが顔をだすことがあった。ひとりの弓矢の名人の子どもが、でてくるネズミを待ち構え、みごとに射殺したのだ。遊ぶ子どもは残酷である。いや、それは遊びというもののなかに、すでに潜んでいるのかもしれない。
あるときから、ベーゴマの遊びを学校が禁止した。ぼくたちはやつの家に行かなくなった。それからみんながどうしたか知らない。でもやつから教わった遊びのひとつはいまも忘れないものだ。子どもは笑いを引き出すことにかけてはおかしな能力を持っている。学級の担任の先生が亡くなった。ぼくたちは葬式に行った。そこで一人誰かが笑いだした。それが電波してみんなが笑った。それは厳粛な式典に小さな風穴を開ける行為に等しいものだった。
いや大人の遊び心にもひとりの子どもが棲んでいるのではないか。人間の歴史と文化の本質に遊びをする精神をくみ上げて、「ホモルーデンス」を書いたホイジンガの目には、あの鉄板屋の息子と同質のものがあるにちがいない。あの「中世の秋」の面白さはそこからくるのだろう。
遊び心のない大人は鬱陶しい。「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリは、いろいろな星に住む大人たちを、王子さまの目からみている。みられている大人はみな淋しい大人たちだ。権威を笠に着ていないといられない偉ぶった大人、酒ばかり飲んでいる大人は、「なぜお酒を飲むの」と王子さまに訊かれて、「お酒を飲むのが恥ずかしいからだ」と答えている。「星の王子さま」 の「わたし」は、大人でありながら、子どもを同居させているサン・テグジュペリにほかならない。
パリの本屋で買った「LE GRAND CAHIER」(「悪童日記」と日本では翻訳されている)のアゴタ・クリストフの本も、二人の男の子の目をとおして、まさに戦争下に生きる人間模様へフモールの光を当てている。ゲーテは天才とはいつでも子どもに帰ることができる大人であると言ったことがある。カフカは自分を大人の森のなかで道に迷った一人の子どもに擬えている。
どんなに大人になっても、こころの隅にひとりの子どもも棲んでいない、硬直した大人にはなりたくないものである。がまた、子どもの無法図な恐ろしさをも知っていなければならない。この両方の天秤のうえに、人生というものが乗っているらしい。
(注)2014年11月に掲載したブログであるが、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(屁がならぶ名前だ)の「幻獣辞典」の「鏡の虎」の項目とどこかで一脈通ずる子供の世界だと、ここに再掲する。
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