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「黒猫」(エドガワ・アラン・ポー)

 アメリカの作家エドガワ・アラン・ポーに「黒猫」という短編があります。高校生のときに英語の勉強で読んだものです。
ポーは本国アメリカでは理解されずに、フランスのボードレールという詩人の目にとまり、翻訳されて、フランスの詩人たちに影響を与えました。アメリカの作家、詩人には酒に溺れる傾向がありますが、ポーもそうでした。しかし、その才能はたいしたもので、倒れかかった雑誌の編集長を引き受けてから、ポーが次々と書く短編小説で盛り返したこともあるくらいです。彼は詩人であっただけではなく、「詩の原理」や「構成の原理」を書く明晰な理論家でもありました。こうした点が、ヴァレリーやマラルメ等のフランス象徴派詩人に海を越えて感化するものがあったのでしょう。こうした詳細はアーサー・シモンズの「象徴派の文学運動」(岩野泡鳴譯)によって、日本の文芸評論家たちに知られたところです。
 ポーは若いときに、少女のようなヴァージニアという女性と結婚しましたが、それほどの時を経ずに、彼女に先立たれています。彼の詩にはこの乙女への深い愛情と憧憬を詠んだ詩があります。それが「アナベル・リー」ではないでしょうか。妻の早すぎる死は、詩人の魂に癒えない傷痕を残したはずです。酒に溺れだしたのもその故でしょう。だが、アメリカの詩人は、フロンティアをもとめ、建国そのものの活力を詠い、ホイットマンのように勇気と希望の膨大な詩集をつくる者がいるように、そのままへたり込んでしまうほどヤワではありません。たぶん小説「黒猫」の構想のモチーフには、夭折した妻への強烈な憧憬と自責の念が混在しており、そのふたつながらを葬送したいという深層意識が隠れているように思われます。同時に猫という動物への鋭敏な観察と洞察がこの短編を迫力あるものにしていることはたしかでしょう。猫の大きく開かれた眼は、子猫のうちはともかく、大きく育っていくうちに、飼い主の愛情の深浅、性格、性癖までも観察する異様な力を持っていることを、詩人のポーが知らなかったはずはありません。この愛憎表裏の感情が最愛の妻の死から、二人で愛情を注いだ猫への憎悪の対象へと逆転していく屈曲した心理を、詩ではなく散文で表出するエネルギーをポーに「黒猫」を書く動機を与えたのではないでしょうか。理知的な詩人でありまた小説家のポーの文章は最初の一行から、最後の一行まであたかも老練な手つきでチェスの駒を動かすように、無駄のない正確な文章を構築していきます。プルートーという大きな黒猫の殺害からはじまり、二匹目の猫の殺害のあいだに、主人公のアルコールによる錯乱と相俟って狂気に駆られての暴虐な行為に止めに入った妻を、ひょんなことから死に至らしめてしまうまでの文章は、機械の歯車が動くかのように遅滞なく進むのです。殺した妻を猫と一緒に壁に塗り込む行為は、へそ曲がりとも片意地とも表現されています。この偶然による連続する二つの犯罪は20年後のドストエフスキーの「罪と罰」に影響を与えたと推測されます。そのあとに、二匹目に飼った猫の首のあたりに、死刑台を思わせる白い毛の斑点を認めた「私」は第二の犯行にいたるのですが、その文章はもう狂気の発作の連続でしかありません。まるで詩におけるリフレーンの繰り返しと同類のものだろいえましょう。  
 「モルグ街殺人事件」等の探偵小説の創始者であったエドガワ・アラン・ポーの「断末魔の知性」(三島由紀夫)は、「ユウレイカ」のような宇宙論を展開することも可能な壮大な世界を抱懐していたのは驚嘆すべきことです。また、「群衆の人」とう作品は、アメリカの社会心理学者のリースマンの「孤独なる群衆」と響き合うテーマがみられます。「アウトサイダー」で一躍世界に躍り出たコリン・ウイルソンは、「敗北の時代」(丸谷才一訳)で、「他人志向的人間」と「自己志向的人間」の類型を取り出して、二十世紀の文学にみられる「敗者の思考」を批判する名著を書いています。
 これは余談ですが、日本人はアメリカの歴史をあまり知りません。フランス革命がアメリカの独立宣言の影響下から生まれたので、その逆ではないのですが、転倒して理解している人が少なからずいるのです。また、ポーが活躍していた時代は南北戦争の以前でありますが、この南北戦争の戦後思想がアメリカのプラムマティズムだという、鶴見俊輔の見方はおもしろい(「アメリカの哲学」)。現代のアメリカ映画はあまりにパターン化して好きではありませんが、西部劇はどんなものでも惹かれるものがあります。その世界は南北戦争以前のアメリカの風景がよく映像化されています。それ以後の映画のなかには、南北戦争はまだ終わっていないのだという科白がときおり聞こえます。アメリカの銃社会は簡単にはなくならないし、アメリカが健在なうちは世界の保安官という地位はなかなか捨てられないのでないかと思われます。
 (後記)その後のトランプ政権の登場は南北戦争前のアメリカ社会の分断を露出させているかのようです。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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