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日本海

 先日、川瀬巴水の絵を日本橋まで見に行った。帰りにカタログを買おうとしたが売り切れであった。そうなると余計に欲しくなるもので、フランスに住む娘と東北に住む友人に贈ろうと三冊を予約した。早速、友人からメールがあり、巴水が描いた「秋の越路」(カタログ20番)に見られる日本海に特別な関心が向けられていた。あらためて見ると浜辺で腰を曲げる老漁夫の後に、低い波が寄せる陰鬱な日本海がある。空は灰色ではなく、うっすらと青く霽れ、雲さえ泛んでいる、日本海にはめずらしい明るい光景であった。だがやはりこの海は日本海にしか見えてこない。見れば見るほど凝然として心が閉じていきそうな海であった。
 偶々、「西田幾多郎」(佐伯啓思著 新潮新書)を読んでいたところ、西田幾多郎は能登の七尾線ですこし入った宇野気という駅から歩いたところにある「森」という集落で生まれたそうだ。宇野気は富山湾の裏側、能登半島の中部にあり、日本海に背中を晒している。
「西田はこのほか海を愛していました。しかし、彼の愛した海は、南方へと続く洋々たる海ではなく、陰鬱な天候のなかを果てしなく灰色に広がる海であり、憂鬱さと懐かしさが混在し、人を解放すると同時にそこへ閉じ込めてしまう海だったのでしょう」(P142「有の思想」と「無の思想」)
 著者はこの西田幾多郎の思索に、西洋と異なる日本独自の哲学思想があると強調している。かつて、小林秀雄が皮肉まじりに「日本語でもない、外国語でもない、奇怪な言葉のシステムで書かれている」と言った、超難解な文章で記された「善の研究」を読んだむかしを思い出した。
 西田幾多郎が生まれた七尾の地について、芭蕉の連句にこんなつけ句があると、友人に教えられた。

  能登の七尾の冬は住みうき

  この句は芭蕉七部集の猿蓑巻の五にある凡兆のつけ句であった。この地が明治のころには、どれほど辺鄙な処であったかは、地図を眺めていると感じられる。
 西田幾多郎は8人の子を成して、うち5人を妻とともに失い、先の戦争が終わる一ヶ月ほど前に亡くなっている。

  我心 深き底あり 喜も憂の波も 届かじと思ふ

 西田は日本文化の核心へ迫る思索をした人である。京都の「哲学の道」は西田が思索をしながら散歩をした道であった。電信柱にぶつかると「これは失礼」と謝ったほどに思索に耽ったエピソードがある。そして「絶対無の場所」「絶対矛盾の自己同一」というような西洋の論理と乖離した言葉でその思索を深め、日本独自の宗教的な哲学を発見していった。西洋の論理を理解しなかったわけではもとよりない。東京の小林と同じように西洋の哲学・思想を読解した果てに、小林のような「感想」を書こうとしなかっただけである。当の小林でさえこの論文の完成を途中で放棄している(「小林秀雄とベルグソン」)。このあたりから、「ドストエフスキーの生活」を経て、小林の日本古典への転回がはじまるようだ。
「私は日本文化の特色というのは・・・・何処までも自己自身を否定して物となる、物となって見、物となって行うと云うにあるのではないかと思う。己を空うして物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾とか云うことが、我々日本人の強い憧憬の境地であると思う。・・・・日本精神の神髄は、物に於いて、事に於いて一となると云うことでなければならない」
 著者は西田幾多郎の哲学の解説書を書こうとしたわけではないと「あとがき」に記しているが、それ故にこそこの冊子は西田幾多郎という哲学者への格好な案内所となり得ているのだと思われた。現代の日本文化の浮薄な傾向に対する批判も、漱石の「現代日本の開化」に通ずる、現今の世界の表層を上滑りする日本の文化への批判と同型である。西田の哲学は戦後になり、戦前の思想を牽引したという浅薄な批判があった。あの悪名たかい「近代の超克」の座談会に、西田の弟子達(「京都学派」と称された)が参加していたが、西欧思想との思想戦としての座談会が最初からどこに収斂する場所があろうはずもなかったものだろう。ニーチェが発狂したまま死んだ1900年は、フロイトが「夢判断」を発表し、フッサール現象学の出発点となった「論理学研究」の第一巻が世にでた年である。人間意識の底を穿ち、意識を厳密に鍛え直し志向性を生活世界へ向けようとした20世紀はこうして始まった。フッサールの現象学を学んだハイデッガーの「存在と時間」は、その特徴をこの人間の日常性を哲学の課題とするところにあった。二十世紀の最大の哲学とされたハイデッガーもナチズムに荷担したとして、戦後に批判をうけたが、一滴の毒もない哲学や思想などというものがあるものであろうか。西田幾多郎の哲学にも毒はあったにちがいなかろう。だがその毒は自身の骨身を削ったものであった。
 西田の歌を引用しておくとしよう。

 我死なば 故郷の山に 埋もれて 昔語りし 友を夢みむ

 西田は自分の哲学を「悲哀の哲学」と称したらしい。それはともかく、パリへ送った川瀬巴水のカタログはどこへ行ってしまったのだろうか。



日本海 (1) 西田


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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