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パイプの煙

 銀座のギャラリーへ行ったついでに菊水に寄った。飛鳥の一缶を買い込み、それをやはり菊水で買った旧いパイプに詰めていっぷくした。十年ぶりのパイプだ。その至福の時間がたまらない。神経性胃炎ぎみのからだに良くはないのは知っているが、やはり友人から貰って吸った紙煙草の一本が導火線になったようだ。
 浅草寺の祭りに賑わう浅草を尻目に、区内バスに乗って、遠来の友人と一葉記念館へ行った。先夜、貰い物のウイスキーの「竹鶴」を大夫飲んでしまってふらふらになっていたが、元気を取り戻したのはさすがであった。樋口一葉の記念館は、以前の旧いものと一変して、立派なコンクリートの建物になっていた。だが谷崎や荷風の書簡が見えないのが寂しい。すべて役所らしい説明文やら写真が随所にあり、昔の一葉の家があった下町界隈の精巧なミニチュアが並べられている。斉藤緑雨の写真は立派になったのは、斉藤が一葉の全集を死後に出すことの助力を惜しまなかったからだろう。一葉については詳しい研究と調査の末に、資料的には充実したのかも知れないが、肝心の一葉本人の面影はどうもこの新しい館から消えてしまっているように思われた。これが新装の樋口一葉記念館なのかと、落胆はしきりと疲労ばかりが滲んでくる。一葉に比べれば、子規庵は貧相なブロックの壁が正面をだいなしにしていたが、家の中は、子規の部屋がむかしの佇まいのままに残されていた。まるでその四畳半にいまも病臥した子規の咳きでもが聞こえ、その息づかいが籠もっているようであった。子規は寝布団からすこしの移動もできなかったのは、脊椎カリエスの激痛に襲われていたからで、あるとき、自殺しようとしたができなかったのは、刃物のある場所まで這いずることさえ叶わなかったのだと、聞いて絶句した。立て膝を切り込んである文机、ガラス窓から望める庭の景色、狭い二部屋の壁に掲げられた子規の俳句まで、その匂いは三十四歳で病没した正岡子規の佇まいをしかと伝えている。錆びた仕込み杖の研ぎ代としてほんのわずかの献金を箱へ落としてきたが、この仕込み杖は子規がまだ健康な身体でいた時期を教えてくれるものであった。明治にはまだ日本刀が精神の中に生きていた証しであろうか。随筆の「病状六尺」だったか、「悟りとはどんな場合でも平気で生きていくことだ」ということばが胸に甦ってきた。子規と漱石の往復書簡は面白いと友人から教えられた。機会があれば読んでみることにしようか。
 鶯谷駅から上野公園へ出て、西洋美術館で開催中のバロック美術のイタリアの画家グエルチーノの展覧会をみて、公園協会でお茶を喫すると、そのまま駅前で別れた。茫々、四十年の歳月がたしかに流れていったようだ。
 パイプの煙のように、それはしばしこの世に影のごとく漂い、どこぞかへと消えていった。まるで夢でもみたかのようにだ。銀座の路上に混み合う中国の人たちの口真似でもして、一人言のように言ってみようか。再見。
 


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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