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恋する猫

 杏子という名前の雌猫は人見知りをします。二匹の雌猫では姉なので、神経過敏で、なにごとも慎重です。その杏子が、妙な声で鳴きだしました。早速、病院へ連れて行きましたが、悪いところはないとのことです。でも依然、杏子がニャー、ニャーと頻繁に鳴き、頻りに人の足下に肢体を擦りつけてくる。なんてめずらしいご様子なのでしょうか。しだいに鳴き声は大きく、背中を床にこすり、くねらせ、腹をみせて悶え、のたうつ姿は尋常ではありません。これまで見せたことのない瞳を開いて媚びをうる眼差しをする。ぐったりと腹をみせて横臥してしまう。どうしたのしょうか。おかしいと怪訝に思うばかしでありました。身体を撫でさすってやると、いつもならすぐに逃げ出すのですが、嬉しがっている。妹のミントは姉の異変に、ふしぎそうな眼差で、「どうしてしまったのよ、姉さん?」と、毛を舐めてやるぐらいです。だが、しだいに烈しくなる鳴き声が、むかし子供の頃に飼っていた黒猫の雌に、その季節になると秋波を送り、荒々しく接近してくる野卑な雄猫たちの声にどこか似ていると、ハッと気づかされたのです。季節はまさに五月。自然の植物が芽吹き、緑の枝と葉を生繁らせる春である。
 去年に生まれて一年ほどになった雌猫に、もう発情する自然の力が蠢きだしたのにちがいのです。そう思って眺めると、杏子ののたうつ姿態は、異性を求める彼女の中の性の目覚めの所作にちがいないのでした。動物とはいえ、いや、動物だからこそ、その自然の本能は強烈に彼女の五体を襲っているのです。だがなんという哀しい定めなのでしょう。子供を身ごもり子孫を残すという、天然自然の生理から逃れることはできないという、この愛らしくも切なくて哀しい定め。これが健常な自然界の法則なのです。避妊手術を施せば、杏子にもこの哀しい定めから解放されることがあるかも知れない。季節が過ぎれば、彼女も自然の本能から自由になれるかも知れない。あるいは、子供を身ごもり出産をすることが自然の運行で、それができればこの雌猫は「恋の病」から自由になれるのでしょう。しかし、可愛そうと思いながらそれをさせてやることができません。女の幸せは子供を産むことだと高名な作家先生も、友人の妹へ向かって言っていました。
  杏子という雌猫は自分の身体の中にある本能の自然の蠢きを知りません。それが子孫を残せと命じているとは露ほどにもわからない。愛だとか恋だとかではなく、ただただ自然の要請に悶えている姿は、哀れで切なく悲しいものはない。ある心理学者は人間は本能を壊した動物だと定義したことがあります。それ故に人間は幻想を自ら創造して生きていくのだと。 
 人間と自然。これはギリシャ以来、哲学の科学の永遠の課題だろうに、これほど直裁に目の前に提示されると、現代の諸学問はこの中心から、豊穣な発明・発見を導き出すことができるのでありましょうか。人工知能の進化や医学の遺伝子操作は、人間に果たしていかなる幸福をもたらすのでしょうか。深い深淵を覗き見て、「絵画の答えのすべては自然の中にある」という画家セザンヌの言葉がなんの脈絡もなくうかんできました。
 



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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