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お酒

 別段、酒飲みでもないので酒について書く資格はないのだが、上野近くのある酒場のカウンターに新潟のパンフをみかけ、そこに見慣れない酒の名前を目にした。これまでその酒場では佐渡が島の地酒「北雪」を知った。こんどは新潟の五泉市の「管名岳」なる酒を飲んだ。よい酒は真水のようだという形容があるが、これも水のごとく淡麗でありながら、慎ましやかな辛口の味わいがして、われこそが酒であるぞという低い声を聞いた。品格のある隠士は自分からそうとは言わぬものだが、ここの酒場にはそういう隠れて住む格ある人物を連れてくる名手がいるにちがいない。早速、地下二階の酒のコーナーに降りて一回りしてみたが同じ酒の名を見つけることはできなかった。こういう処に顔を見せるようになったときは、もうあらかた酒の味はおちているとみたほうがよいのかもしれない。
 文芸評論家で上手い随筆、その上に「金沢」のような小説も書く吉田健一の「舌鼓ところどころ」に「酒と人生」という味わい深い名文を見つけたので、それを以下に書き写しておきたい。
「・・・・本当に美しいものを前にした時、我々は先づ眼を伏せるものである。酒にもそれと似た所があって、水に近いまでに冴え返ったその正体がやがて味や匂ひなどに分かれて行き、それをゆっくりと楽しもうと思えば、ゆっくりする他ない。そしてその間にも、余計な苦労をしない程度に酔ひが少しづつ廻って来るのが、酒といふものの有難い所なのである。酔ふのが目的なのではなくて、酔ふことも酒を楽しむのに必要な一つの順序に過ぎない。」
 私も海外もふくめいろいろな所へ行って、アルコールを飲んだ。ポルトガルの緑酒、オランダのビール、キューバのカクテル等だ。
 学生時代からの友人で滅法はたらくことの好きな男がいた。彼は酒豪であった。それに多読家で人の知らない漢字も知っていた。その彼がむかし横に寝そべって身体のまわりを徳利に囲まれているのが理想だと言っていたことがある。社会に出たての頃、連れられて一緒に飲んで真冬の酒場から暖簾を割って外へ出たが、それからが酷かった。自分が何処にいるのかまるで分からない。目が回っているので路地を徘徊したが、友人は友人で何処かへ行ってしまって姿がない。帰るにも帰りようがないのである。凍えそうな冬の夜に暖かいところを求めて彷徨っていたが、朝、一人目が覚めてみたらそこがラブホテルのベッドの上であったなんていうことがあった。大袈裟だが危なく凍えて死ぬところであった。
 三十代ではグルメ雑誌「Hanako」で、たくさんの店を散策した。新宿、銀座、渋谷、そして下町界隈の多くの店に足を運んだ。高級な店もいいが、安い大衆酒場で巷の変哲もないおしゃべりに、ぼんやりと耳を傾けているのが良いときもある。ああ、俺はいま世間の中で生きてこの世にいるという気分が、海に潜っていて自分はいま海という自然に抱かれているという思いと同様に癒やされるのだ。
 あまり騒々しい宴会などというものは好きにはなれない。親しい友といい酒と肴を前に落ち着いて四方山話に花を咲かせて歓談するのがいいのである。吉田健一が度々名前をだす銀座のはじ巻き岡田や蕎麦屋の吉田にも通ったことがある。銀座も変わってしまい、谷崎潤一郎が通った「サンスーシ」の小さな店はいまはもうない。下町の駅下の安い立ち飲み屋のカウンターで、ちびちびとやりながら黙って外を眺めているのも乙なものではないか。だがやはり一番は手早い家人の作った気のきいた肴で、彼女が台所にいる気配を感じながらの晩酌にまさるものはないだろう。夏でも酒の熱燗が私の腹と身体にはいいようだ。いい酒をゆっくりと飲む。それが一番のように思われる。私も等し並みに年をとったのである。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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