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水に流して

 ある春の夕暮れだった。私はその日の仕事を終えて、渋谷の道玄坂の上の方から駅へむかって歩いていた。
 和らいだ春の風が頬を快くなぜ、まさに月並みな言い方だが、春宵一刻値千金ということばがぴったりする頃合いであった。
 そのとき、その坂道の若い男女の雑踏の中に、見知った旧友の横顔を目にして「おや」と言うように呟いたのを覚えている。
 Kは私と同じ大学のクラスも一緒の間柄で、その端正の顔だちと快活でやさしい性格、アメフトで鍛え上げた男らしい躯は、周囲の好感を呼ぶ嫉ましい存在と言ってよかった。
 だがそのときのKの顔には、その夜の煌びやかな舗道、活気の溢れた人混みとは不釣り合いな、なんとも言いようのない、暗い憔悴がうかんでいた。私はしばしたじろいでKの後ろ姿の後を追いかけ、人混みを抜けたところで歩み寄って、懐かしさのあまりに声をかけてしまった。物思いに沈んでいたKの顔が、愕いたように振り向き、一瞬辺りを窺う仕草のあとから、私を見るKの顔が和らいだ。そのときの暗い翳りを帯びたKの表情がどんな内情から来ているのか、おおよその想像ができたのは、それから暫くの時を経てからのことであった。
 あくまでKに関する間接の話しでしかなく、真偽のほどはさだかではなかったが、それはKの妻のことであった。はばかりなく言ってしまえば、妻が魔がさして不貞をしてしまったということらしい。Kを知る友人の話しでは、Kはそれ以来どことなく様子が変わってしまったという噂を風の便りで聞くことがあった。克己心の強いKはその内心の変化を表にださずに以前と同じように過ごしていた。それがかえって、Kを知る友人には痛ましいくらいに映ったという。
 Kは大学卒業後は大手の某銀行へ入り、私は比較的余裕のありそうな公務員になった。その春の宵に私がKに逢ったのは卒業十年を記念しての同窓会以来のことである。同窓会の夜、幹事役のKを中心に二次会で街中に繰り出して、お互いに懐かしさのあまりに楽しい談笑の一時を持ったことが、私には忘れがたく記憶に刻まれていた。
 私はその愉快な同窓会のことを思いだすとKの沈んだ表情のことも忘れて、早速に私の馴染みの路地裏のバーへKを誘った。
 偶然に見た一時の印象は私の目の錯覚であったのか、多少は年齢そうおうに歳をとった、快活で親しみのもてるむかしのKがそこにいた。高いスツールにどっしりと座って長い足をのばし、すぐに新客を一目みて、めざとく近づいてきたママさんと、Kは気楽な会話を交わしていた。
 Kは銀行員らしく、糊のきいた白シャツに薄でのベストを着けた三揃えのベージュ色のスーツで一分の隙もない装いであった。すこし肉がついた顔はむかしの端正な顔を中年の大人びて落ちついた顔に変え、ゴルフ焼けした褐色がそれに影を添え、余計に魅力を漂わせている。ママさんが顔にいつもと違う愛嬌をうかべたのが小憎らしいほどであった。
 Kは銀行へ入ると三年ほどで結婚していまでは一男一女の父であり、一緒になった女性は総合職コースの一期生で入社し、その後、支店長秘書をしていた優秀な女性で、元大蔵大臣の姪にあたるとも聞いたこともあったから、Kの妻についての噂などは信じるに足りない事と、私は一笑に伏してしまいたかった。
 Kはママさんと旧知のようにうちとけた様子で話しあい、サッカーファンのママさんとは、相当に突っ込んだ蘊蓄を傾けて、まるでサッカー試合さながらの会話を弾ませていた。スポーツには普段からあまり関心のない私は、横合いから二人の熱の入った会話をただ眺めているしか能がなかった。それに較べるとKは銀行員とはいえ、スポーツ万般に通じていて、話題に興がのると身振りを交え、その合間にちょっとした冗談を言っては、周囲を笑わせるむかしの癖は相変わらずだった。席を隔てて座っていた酔客の二人も、いつの間にかKの鮮やかな会話に仲間入りをしているぐらいなのである。ママさんが笑みをこぼして、私を見る目付きには感嘆を示す光りをおびた瞳にみえた。
「及川さん、ちょっと助っ人して頂戴よ。あたしもうこの人にはとてもついて行けないわ」
 ママは私がその方面ではなんの素養もない人間だと知っていながら、そんな逃げ口上を言って私の顔に、なんとも複雑な秋波を送ってきた。
 私はそのバーのママさんには、ただ私の旧知の友達だとしかKの紹介をしていなかった。Kの立場上、水商売の女性にのっけから余計なことを話すことは、Kの迷惑ではとの私の深謀遠慮があったからである。
 私達二人は相当に酔うと、その店を後にして渋谷駅までしゃべりながら改札の前で、互いに肩を叩いて別れた。ほとんど一人で飲みいい加減に酔っぱらっていた私は、Kと懇ろに話す機会を持ととしてもその暇さえなかったことはたしかなことだったのだ。だが私と懇ろに話す隙もなくに、夢中で話しているKのその快活このうえない様子が、帰りの車中の私の脳裏をなぜか過ぎっていった。私は椅子に腰かけるとそのまま寝入り込んだらしく駅を乗り過ごし、タクシーで帰宅したのは夜中の一時をまわっていた。
 
  翌日の朝、私は何気なく開いた新聞記事の中に、昨夜、道玄坂を上がった渋谷の円山町で女性が絞殺された事件があったことを知った。女性が死んだ時刻は、私がKを渋谷の雑踏で見かけた小一時間ほど後である。殺された女性はその後の週刊誌の取材記事によると、某大手電気会社のエリート・コースで就職したOLであった。そのような女性がなぜむかし色町で栄えた怪しげなラブホテルの一室で事件に遭遇したのか。さらに詳細を追跡調査した週刊誌記者の話しによると、以前から被害者のOLは円山町近辺に徘徊しては男を見境なくホテルへ誘っていたとのことで、地域の者達のあいだでは噂になっていたらしい。
 夕闇が迫るとS駅の改札を通るその小柄な体つきの、どこか品のいい服装に身をつつんだ女性の様子は、S駅の駅員たちの話題にものぼるほどになっていたそうである。
 その奇怪な事件以来、私はKと入った馴染みのバーから足が自然と遠退いていたのは、その日に偶然に出逢ったKのことがフラッシュバックのように甦えるからでもあった。その時の渋谷の雑踏に見たKの人目を忍ぶ暗い表情、辺りを窺う一瞬の怪訝な仕草があまりにKらしくなかったからである。Kは渋谷のガード下を足早で歩き、タクシーを探している様子で、鋭い目付きで辺りを窺う素振りを示し、どこかに不審者の影をさえ漂わせているかのようであった。だが相手が私だとわかると、とたんに態度が一変した。その豹変振りに、むしろ声をかけた私が吃驚したぐらいであった。行き先がKが逃げるように歩いて来た道とは反対側にあると知ると、Kの顔に余裕のような表情が浮かんだ。そしてバーの丈高いスツールに座ったKの先刻とは裏腹な快活な振る舞い方は、あまりにその変化の度合いが過ぎていたようにさえ感じられたのである。それこそがあの夜に私がKと懇ろに交わることを躊躇わせ当の所以でもあったのだ。私は一人談笑の中心にいたK、私に寸分の隙を見せずに、むかしと変わりないKの好漢ぶりのなかに、私は夢の醒め際にかすかに垣間見える、孤独で憔悴したKの決して他人に見せたことのない暗然たる面貌を、いやでも感知せざる得なかったのである。
 大手電機会社のOL殺人事件はその後、指紋や体液のDNA鑑定から複数の容疑者が浮かびあがったが、いづれの者にもアリバイがあり、現場にいた可能性はないとのことで、事件は迷宮入りの様相を呈していた。ただ、ホテルの入り口近くにあった自動販売機の側に、見かけぬ紳士を見たという寿司屋の出前もちの証言があったらしいが、その紳士を特定することは不可能であった。

 その事件は私が偶々Kに逢った日とほぼ同じ時間帯であり、Kが足早に背を屈めてやって来た方角で起こったということに過ぎなかった。にもかかわらず、その猟奇的な事件が、なぜ私のなかでKの姿と二重になって映じてくるのか、それが不可解で仕方がなかった。
 大学で心理学を専攻した妻に話すと、「そういうのを、関係妄想というじゃない」との答えが返ってきた。たしかに冷静に考えば考えるほど、それは妄想としか思えないものだと、私も納得せざる得ないのである。
 やがて卒業十五年を記念した同窓会の通知が来たが、私は忙しい公務の都合もあり、参加を見合わせた。仲間から聞いた話しでは、Kの妻はKへ離婚の申し出をしたが、Kはそれを受け入れようとしなかったらしい。それは二人の子どもがいるためでもあったが、事情はそんな簡単なことではなかったようだ。なによりKの自尊心がそうした離婚を赦すことができなかったようである。その後、Kの家族はアメリカにある支店へ異動して、日本から移っていった。

 その日、意外に仕事のほうは早く片づいて、私は公務から解放された。役所の玄関を出て、時計をみた。午後九時を少し過ぎていた。そのとき突然のように、私はKの顔を思いだしたのだ。
 あの春の夜、渋谷の雑踏を足早に歩くKを見た月と日は、四年の歳月を隔ててちょうど、不参になった同窓会と同じ日に廻ってきていた。私がKに出遭ったのは、あの日の十時を過ぎようとする時刻であった。
 私はなにものかに引き摺られるように、渋谷へタクシーを飛ばし、バーの扉を開けた。
 懐かしいママさんはもう居なかった。旅行好きなママさんはこの冬、チェコのプラハの街中を歩いている最中に、脳梗塞で倒れたまま不帰の人となったらしい。
 あのむかしのママさんなら、四年前の事件のことを話題にし、ちょうどその日の夜に私が連れてきたKについての朧気な記憶を肴にでもして飲めたのにと、私の密かな期待は裏切られてしまった。
 カウンターにいた若い女性が、バーを引き継いだと教えてくれた。内装は多少手を入れて変わっていたが、丈高いスツールは同じように並んでいた。まるでKがいまでもそのひとつに腰をかけているかのように。
 ジンライムを二杯あけると、私は若い頃のことを思いだしていた。そのなかにKもいた。白い歯を見せ快活に頬笑み、いかつい肩と厚い胸を持ったあのアメフト選手であった彼を。
 だがそのあとから、やはり偶然に出遭ったあの夜のKのつかのまの怪訝な態度と表情が、もつれた糸屑のように浮かんだ。同時に私とKとで交わしたあの夜の多くもない会話の断片が甦ってきた。
 それは子供の話しから、互いの家人の話に自然に流れていった。途端にKの様相が変化したのが、私の酔眼に朧気にみえた。Kの穏やかな笑顔に、苦く黒い翳がよぎった。私は即座にその翳を打ち消そうとしたがもう遅かった。Kは妻の過失を暗示することばを、はっきりと他人に言明し、そこにはKの意思が明瞭なほどに滲みでていたのだった。
「私たちの金融業界では一度でも不渡りをだした会社へは、それ以降見る目がちがってくるのですね。愛情もまた同じようなものじゃないのかな・・・・」
 そう言って刺すような、冷たく鋭い眼差しを私の両眼に注いだ。私は胸を鋭利な刃物で、剔られたような恐怖を感じたその一瞬を思いだしたのだ。だがそのときのKは私の反応も見ずに、その怖ろしい眼差しをまるで手品師の早業で、元の温顔に戻した。私はその素早いKの変身に、獣じみて奇怪な早技で面相を変える、歌舞伎役者のような機敏な動作を見たように、驚いてしまった。まるでKが発したその声は腹話術の人形が喋ったとでもいうように、Kはママさんとスポーツの話しを続けていたのであった。私はその早業にあっけにとられた。ただその一瞬の夢のようなKの姿と奇妙な声だけが、不透明な記憶な靄の中から浮かびあがってくる・・・・。

 若いママさんは私を覚えていると、意外なことを言った。いったい何時ごろのことだろうか。
 一回だけむかしのママさんがパリへ旅行へ行くあいだ、自分がママの代わりをしていた時に、私がバーへ来たことがあったらしい。
 私はそれを信じかねたが、そう言われてみると、遠いむかしにそんなことがあったような気がした。急に歳をとってしまったような自分を哀れにさえ思われたが、あの頃はまだ私もまだ若かったので、いろいろな場所に徘徊していたのだ。
「絵里子、と言います。今後とも宜しく」
「こちらこそだね。私は以前のママさんが元気な頃によくここに来てお世話になった者です」
「あら、及川さんじゃありませんか?」
「よく私の名前をご存じですね・・・」
「おばさんが、時々あなたのことを話しているのをお聞きしておりましたから・・・。それからKさんのことも、とても強く印象に残っていらしゃったようです」
 私はその新しいママさんのことばから、もうあまり思いだしたくもない事件とあの夜のKとを結びつける妄想の蓋を、ふたたび開けられ、記憶の抽斗を引き摺り出されたように、思いださせられたのである。
「それでおばさんはKについてどんなことを言ってました?」
「とても素晴らしい紳士だったと、でもあまり完璧すぎて・・・、なんだか恐いくらいだったとも」
 私はその若いママさんから、それ以上のことを聞きたいとは思わなかった。ならばどうして今夜、引き寄せられるようにこのバーへタクシーを飛ばしてまで来てしまったのだろう。なんの根拠もない二つの事柄を勝手に結びつける、妻の言うところの「関係妄想」の引力のお陰でか! やれやれと私は一人ごちた。もういい加減にくだらぬ妄想から解放されたかったのだ。
 その日の店には誰もいなかった。早速、私たち二人は深夜の乾杯をした。マティーニのグラスが華やいだ音を立てて鳴った。
 その瞬間、私は悪い夢から醒めたように、あの事件の犯人のことも、その現場の駅前で偶然に出会い、バーで飲んだKのことも、頭からすっかりと消えたような気がした。
 ママさんの姪だという、若いママさんと、私は彼女も好きだというシャンソンを、いっしょに唄った。
 歌はエディット・ピアフの「水に流して」だった。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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