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映画「雪の轍」

3時間16分の「雪の轍」という映画をみた。雑駁になることを覚悟のうえで以下のことを記しておきたい。
 主人公と妹、主人公と若い妻、周囲の人間同士の会話が、あまりに真に迫るものが多いので、これには驚くしかない。これは「対話劇」というしかないのだろうか。まさにロゴスの西洋文明がここにあるという思いに捕らわれる。偽善の道は地獄へ通じるという台詞が出てくるが、この痛烈なことばは、肉を殺ぎ、生の原像へ迫って、暴力的でさえある。こうした「対話劇」が雪と寒風の吹きすさぶトルコのカッパドキアのホテルを舞台に繰り広げられる。すべてがナーナーで治まっていく日本文化では想像できない、西欧の異質な伝統文化がここにある。魅了されながら、我々はこうした文化をそのまま受容することが可能なのかと、今まで幾人の先達が呟いてきたことだろう。ユダヤーキリスト教やイスラムの一神教の世界に収斂するこれが本質なのであろう。こうした文化伝統でしか底のある文明は築かれることはない。契約という行為は成立しない。すべての約束の背後に神がいる。柄谷行人という批評家はいつかこう言ったことがある。「馘首されたなら、その組織の筆頭責任者の首を斬ってやればいいのだ」と。柄谷のように、西洋のロゴスに迫った人間にして初めてこうしたことばが出てくる。「近代の超克」の座談会は、日本が西欧列国と戦争中だからこそできた座談会であった。西田幾多郎の弟子達がこの座談会に占めた役割はそれなりにあったのである。
 日本はときおり、西欧文明のすべてを振り捨ててしまいたい衝拍に駆られることがあるらしい。31歳で病死した梶井基次郎という人が「闇の絵巻」の最後で、闇と一体になった目からは、都会の電気の明かりが「薄汚く」感じられると書いている。この感覚は「えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた」の一行で始まる「檸檬」という梶井の代表作からも窺えることだ。紡錘形の檸檬を丸善の書店で爆発させたいという空想はあの時代の空気中に漂っていたのにちがいない。当然に、戦時中の文学界のあの「座談会」が無残に瓦解したことと、数年後の日本の敗戦は、文武を通底する本質的な問題なのであった。この徹底的に西欧的な映画は、日本の「近代化」がどれほど底の浅いものであるかという薄ら寒い思いを懐かさずにはおかない。
 3時間16分の圧力が日本の文化の表層を、過酷な冷たい風と雪に一時的であれ閉ざされれば、これに過ぎるものはないという気がする。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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