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詩「母」

 つぎに掲げる「母」という詩は一年ほどまえ、あるところへ投稿し受賞した作品である。ここに家を象徴する母とその息子のながくつづいた葛藤の一風景が、詩の形式でイマージュされています。私はこの詩を書くことによって、母と自分との関係を形象化しようとしたらしい。この詩を書きながら最晩年の母との内心の対話を通じて、私の中にあった閊えが氷解した思いがあった。詩は心中から湧き出てどかかへと消えていく魂のすがたであろか。
 末尾に選考者の感想を参考に添付しておきたい。


         母

              時はたそがれ
              母よ 私の乳母車を押せ 
                (三好達治「乳母車」)


病室の母に 新鮮は外気を吸わそうと
車椅子にのせて庭に連れ出し 私は言った
お母さん、あそこにきれいな花が咲いています。

ことばを出すちからもなくした母は
ただじっと口を結んでいるばかり

うしろすがたの肩は痩せほそり
すずやかな母の鬢は まるで皺のよった紙のようだ

わけもなく どこもとも告げず
二十五の私は家を飛び出した
ただテレビをまえの団欒の退嬰と
湿った母の繰り言が厭なばかりに
父とはすでに語ることばもなかった
そのとき 私は両親から巣立ったのだといえば格好はいいが
それは安楽な家とこの退屈な世界へ背をむけただけのこと
 
いや 世間の目を気にしながら暮らす
その生活のみすぼらしさから
私は逃げ出したのにちがいない

心中に燃える かくやくたる孤独が
私をこの世界の果てに追いやり
そこに私の王国を夢想することができただけ

私を駆る反抗の熱をひそかにさまし
仮面紳士さながらの 隠忍の昼と夜とを
ああ それはなんという抽象の逃走であったことだろう

そのとき
母は悶える沈黙のなかからつぶやいた
後ろを向き 車椅子に座ったまま
 あなたは叔父さんにそっくりな人生を生きてしまったよう。

胸のなかで私は秘かに反論していた
いや そうではないのです
叔父さんは周囲の無理解にもかかわらず
信仰に生きられ 私はそうではなかった・・・・・

そして花をみることもない
髪のぬけ落ちた母の頭を私はみた

この小さな頭と骨の浮きでた母の胸は
最後のひと時 この私のことで一杯であったのだ
そして 母のことばはわが子を思う
綿々たる心情にあふれていたのだと

私のこころは慄えていた
どんなに私を不憫に思いながら 母は生きてしまったことだろうかと

棺の中に横たわる母の頭は
小さく 冷たい 石のようであった

私はその頭を撫でさすり
母の顔のまわりを
たくさんの花で囲んでやった

まるで母の顔を花で蔽い隠くして
ただ遠く 遙か彼方へ
  遁げるかのように・・・・


(選考文)
 「母」は、一生を終えようとする母とのことばを超えた対話。それぞれの背後にあった生きざまは、なまなかでは理解しあえません。それがひとにとって最も近い存在だったはずの親子であってさえ。とはいえ、子ども、特におとこにとってにとって母親は、特別な存在であることも事実でしょう。ですが、ひとが生きるということは、きれいごとだけで済むわけがありません。そうして厳しい現実から目を逸らさずに、一篇の詩に仕上げています。(中略)とくに最終連は作者の屈折した思いが籠められていて、母の死という、よくありがちなテーマであるにもかかわらず、この詩を書かざるをえなかったこころのありようが痛切に迫ってきます。現実と夢想のあわいにあって、消えることのない屈託を丁寧に書きこんでいます。

(注記)応募時の原稿をすこし改稿したことを、ここに記しておきます。さすがに選者のH賞の詩人はこの詩の要所を見逃していな いのは、「とくに・・・・」以降の数行で掬いあげた炯眼が証明しています。これによって、作者は詩の冥利を得たと同時に蜘蛛の巣にかかった一匹の蝶さながらに、詩ということばの森に足を採られている情況がうかびあがります。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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