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映画「劔岳ー点の記」

 過日、梅雨の合間、銀座で映画「剣岳ー点の記」を見た。
 若い頃、ほんの一時、山岳部にいたことがあり、1週間ほど、夏のアルプスを縦走した。朝4時に起き、眠たい目をこすりながらテントを畳み、50キロ近い荷物を背負い、夕方までただ山道、尾根、岩場を、ひたすら歩いたのだ。どこの山に登ったのか、まるで記憶にない。ただつらく、くるしかったことだけは覚えている。
 重い荷物に腰を痛め、歩行がままならないのだ。前を歩く者の靴を見逃さずについて行くのがやっとだ。一度、谷川によろけて落ちた。幸い背中のリュックがなにかに引っかかり、電灯に照らされ担ぎあげて貰ったが、手を出して私の身体を上げる仲間の顔が、一瞬真顔に引きつっていた。また、雪の斜面でのグリセードの練習中、転がり雪の斜面を数十メートルかをすべり落ちた。疲労でピッケルを斜面に打つが、滑落は止まらない。幸い雪に空いた穴ぼこに下半身が落ちて止まり、それで命拾いをしたが、全身に折れるような衝撃を受けた。 
 沢の岩場にかじりつきながら途中まで登り、下を見た瞬間、足がカタカタと笑うのをどうにも止めることができない。喉の激しい渇きにも、指示がないかぎり、水筒の水は飲めないため、岩陰の雪を人目を盗んで口にほおばったこともあった。
 まるで軍隊の行進を思わせた。腰痛がなければ、新人が越えるハードルの向こうには、登山でしか味わえない、峨々たる山脈や縹渺とした雲海、朝陽や夕陽に輝く、山々の美しい自然の風景を見られたのかも知れなかったのだが・・・。
 数千メートル級の登山から帰るとすぎに、海にでかけた。二度も飛行機を乗り継ぎ、こんどは亜熱帯にあるパラオ群島の海にダイビングに行ったのだ。眼も蒼く染まるほどの透明な海に、タンクを背負い最高深度57メートルも潜ったのである。あのとき、陸軍中野学校卒の日本のダイバーのパイオニアの人の指示どおりに、行動していなければ、私は潜水病で生きて日本に帰れなかったであろう。日本から団体の旅行客が初めて島に来たとむかし、日本の統治下にあった島民は歓待してくれたが、どうも複雑な思いを味わった。
 「パラオ松島」と日本軍が呼んだ海は、まさに珊瑚の楽園であり、群生する魚たちの竜宮を思わせた。日本の零戦投機が沈む海岸、赤錆びた戦車が無惨に放置されたペリリュー島のジャングル、この島は数千人の日本兵が玉砕した島であった。海岸で1分間の黙祷をした。
 パラオのホテル・コンチネンタルのロビーに見たゴーギャン風の絵がいかにも、亜熱帯地方の島嶼に来た感を深めてくれ、鼠そっくりの顔をした蝙蝠の鍋料理をご馳走してくれた岸川イタルさんはもうこの世の人ではない。
 鰐がいてもおかしくはない、マングローブの生い茂る暗い夜の海で泳いでいた私は、あのときが青春の最後の時であるとは夢想だにしていなかった。
 真っ黒に日焼けして帰国してすぐに、夏から秋に交際していた女性とその年の初冬に結婚したからである。ちょうど、その前年にルバング島から小野田少尉が日本へ帰還し、4月にヴェトナム戦争が終わり、天皇が初めてアメリカの土を踏んだ1975年であった。この期を逃していたら、私はずっと独身でいたかも知れなかったが、どうせ後悔するなら人並みに結婚をする人生を選んだのだ。幸運が幸いをもたらしてくれたようだ。
 映画「剣岳」から、とんだ昔話になってしまった。二十歳前後にポケットに忍ばせていた、小林秀雄訳の「地獄の季節」から、一句を引用して、私の独身生活の青春時代へおさらばをしておこう。

 季節よ、城よ。無疵なこころが何処にある!(アルチュール・ランボー)


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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