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原爆の写真

 広島の原爆投下直後の写真が二枚ある。御幸橋の上で、爆心地の2キロ圏内から逃げてきた者達の写真だ。撮った者は新聞カメラマン。二枚撮って後は涙でファイダーがくもり撮る事ができなかったという。この写真もアメリカの進駐軍に没収され、七年間公開されることはなかった。アメリカは原爆による悲惨事を七年間、世界と国民から隠すことで、核兵器使用の反発を抑えることに成功したのだと、アメリカの一ジャーナリストは言った。
 今年夏、8月6日、NHKはこの二枚の写真を、このとき、現場を通りかかった31人の証言に基づいて、色彩いりの動画として復元した。「きのこ雲のしたで、何が起きたのか」というテレビ番組がそれであった。
 白黒の静止画がカラーの動画になったのは、コンピューターグラフィックというデジタル技術のおかげである。そして浮かび出てきた真実はまさに地獄さながらの光景であった。熱焼医学の専門医の話しでは、肉体を覆う肌が焼き爛れた後に表面にあらわれた内皮には、人間の痛覚神経が感じる最大の痛みが襲ったはずだという。だがこうした分析以上にこの番組をみた者に焼きつくのは、黒焦げの赤ちゃんを抱き上げて、「起きて、起きて」と泣き叫ぶ少女(たぶん赤ちゃんの姉か)の狂ったような姿が動画に再現されたところだろう。そしてまた、一人の少女が救援用のトラックに乗ろうとして軍人から「女子供はあとだ」と怒鳴られ、とぼとぼと、爆心地二キロ圏内へ歩いて戻る少女のアニメーションをみるときだ。それを証言した坪井直さん(90歳)は熱線に焼かれて御幸橋のうえにいた一人である。その坪井さんはその少女をこの橋の上から見ていたのだそうだ。そのとき二十歳であった坪井さんは広島原爆の生き証人として、その後の人生を原爆の語り部となった。テレビでよく見る顔である。坪井さんはやはりこの御幸橋の上で背中を焼かれ座っている後姿が写真に写っている。
 原爆投下の一日で13万人が死に、その中には中心地に集められた勤労動員中の中学生が多数いたことが判明した。そして、現在まで生き残った老婦人は、「どうして生き残ってしまったのだろう」と自問し、「生かされてあるのは、こうして語るためだったのだろうか」と惚けたようにつぶやいた。坪井さんはいままで見せたことはないと、ズボンを下ろして背中から尻のほうを映写機のまえにさらすのである。肉はおちて骨と皮だけの臀部がテレビの画面に写される。人間の洞を見た思いがするだろう。原爆は人間のこころの洞から生まれ、いまも世界中にさらに強力な核兵器は一万三千発もあるそうだ。坪井さんは御幸橋の上でこの世の地獄を見たのに、ばかに澄んだ目をしている。最後に、その場から立ち去る後姿をカメラのレンズは追っていく。こうして一時間の番組は終わった。
 ネットで検索したNHKの当番組の紹介記事を、参考に付記しておこう。
 「巨大なきのこ雲が上空を覆う中、その下の惨状を記録した写真が、わずか2枚だけ残っている。原爆投下の3時間後、爆心地から2キロのところにある『御幸橋』の上で撮影されたものだ。被爆70年の今年、NHKは最新の映像技術、最新の科学的知見、生き残った被爆者の証言をもとに、初めて詳細にこの写真に映っているものを分析し、鮮明な立体映像化するプロジェクトを立ち上げた。きのこ雲の下の真実に迫り、映像記録として残すためである。平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、人生の残り時間を見つめながら、「いまだ “原爆死”の凄惨を伝えきれていない」という思いを強めている。」※フランス公共放送F5との国際共同制作。
 こうしたドキュメンタリーは見る者に強い刺激を与え、目を逸らして考える余裕も失うほどだ。この点、井伏鱒二の「黒い雨」(昭和42年刊行)にはユーモアが漂い、個人の自由な想像力が働く余地があるとは、ある人の感想である。小説が出来たのは原爆投下から20数年後のことである。2011.3.11の東北の大災害が文学になるのにも、恐らくそのくらいの時の経過が必用なのかも知れないと。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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