FC2ブログ

時しらず

 先月だったか、若狭湾を望む鄙びた海辺の温泉へ行った。金沢からまた電車に揺られて、ある駅で下車しバスに乗って、海が見えたときはホッとした。それほどに東京からは遠いところなのだ。
ここは開高健という作家がヴェトナム戦争へ従軍記者として、九死に一生を得て帰ってきてからしばらく逗留していたと聞いた。日本海の辺境といってもいい、うらさびれた場所にその旅館はたっていた。窓の下は海で岩礁に釣り人が数人いた。釣り好きな開高さんが好みそうな場所であった。いや80人ほどのアメリカ軍がヴェトナム兵士から銃撃をうけ、生きて残った者が7人ほどの中に作家は命拾いをしたので、呑気に釣りなどする気分ではなかったであろう。消耗した神経と肉体の回復を第一に、転がりこんだにちがいない。作家は戦争から生まれるらしい。稀有なる戦場の体験を反芻し、醸成してそれを文学作品にしたてねばならない。たぶんそういう時間が人里離れた旅館の一室で日本海の冬の荒波をひたすら耳にしながら、作品の構想を練りに練ったのだろう。
 初期の「パニック」や「裸の王様」、そして私が二十代の後半に読み、活気を与えてくれた「日本三文オペラ」とは違う本格的な長編小説「輝ける闇」(これはハイデッガーの「存在と時間」にある言葉だそうだ)はこうして生まれたのだ。私個人としては「夏の闇」のほうが好みだが、なんにしろあのヴェトナム戦争を題材にして小説を書こうとしたのである。私はこの作家のエッセイを次々と読んでいた頃があった。「開口閉口」「食後の花束」「眼ある花々」「白昼白想」など、つぎに対談集「悠々として急げ」「人とこの世界」「痴的な知的な教養講座」など、そして「食卓は笑う」「ワイン手帖」、釣り談義として「フッシュ・オン」「オーパ!」など、ルポルタージュの「ずばり東京」、紀行文の「過去と未来の国々」(これと村上春樹の「ラオスにいったい何が・・・」と比べてみると面白いだろう)その他もろもろ。そうだ忘れられないのが短編小説「ロマネコンティ」「シブイ」そしてようやくにでた「花終わる闇」の途中で、まだ若くして病魔に倒れた。早い死であったが、好奇心の旺盛な、太く短く活気に満ちた人生を歩き通したのであった。
 生きた、書いた、語ったと墓碑銘に刻んでもおかしくはない。開高健の文学は私の壮年期に重なった。この期間は私も秘かに私の「冒険」と「戦争」をして、壮年の貴重な日々をうっちゃっていたのだが、それを文章にして残すことはたぶん叶うことはないであろう・・・・。
 青い空と海辺と朽ちはじめた白い旅館、それにこの宿を訪問した多くの作家たちの色紙の写真を掲げておきたい。庶民派でありながら知的で、コピーライターの走りであった。この作家を論じた評論では、山崎正和の「不機嫌な陶酔」が出色であろう。
 この旅館でたまたま食卓にでた「時しらず」という酒がことのほか美味しかったことを、酒好きな作家のために記しておきたい。


DSC05063 (2) DSC05004 (2) DSC05007 (2)
DSC05013 (2) - コピー DSC05027 (2) - コピー DSC05049 (2) DSC05072 (2) DSC05064.jpg
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード