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作家の想像力(村上春樹の場合)

 あたりまえのことだろうが、作家の想像力は作家ごとにちがう。「ラオスにいったい何があるというんですか」に収められた「大いなるメコン川の畔で」を読んで、これが村上春樹のものだとたしかに感じられものがあるので、そこにすこし立ち止まってみたい。
 ラオスなんて地図のどこにあるのか春樹同様に私もわからなかった。本の題名となった問いにたいし、それだからぼく(春樹)はこれからラオスに行くのだと、いかにも作家らしく応答している。タフな好奇心と俊敏にして豊かな感受性が春樹に備わっていることが、この短い紀行文のなかにみえてくる。これを本の題名にした編集者はそうとう目がある人だ。ここに春樹固有の特色が濃厚にでている一篇だからだ。
 もちろんフィツジェラルドを思わせる卓抜な比喩やうまい言い回しにことかくことはない。たとえば、メコン川にことよせたこんな文章にそれは見られるだろう。
「メコン川は、まるでひとつの巨大な集合的無意識みたいに、土地をえぐり、ところどころで仲間を増やしながら、大地を太く貫いている。そして深い濁りの中に自らを隠している。川を巡る風景には、豊かな自然の恵みと共に、大地への畏れがもたらす緊張が同居している。」
「世界というのはとてつもなく広いはずなのに、同時にまた、足で歩いてまわれるくらいこぢんまりとした場所でもあるのだ。」
 後者は平凡だがなかなかこうには表現できないものなのだ。世界的な作家になると、どこか肩にちからが入ってしまうところ、村上はコントロールができて、平常心を失わないのだ。それがまた人気につながっていくのだろう。
 「ラオス」の一篇には、春樹特有の想像力が動き出す独特な仕草がかいま見える気がしないだろうか。一見読者に近しい素振りの語り口ながら、けっして他人にはマネのできない独自の表現能力が発露されているのだ。よく人気の評論家が春樹の文章から盗んで自家薬籠にまでしている姿をみかけるが、(わかる人にはわかるのだが)上から目線でそれはないですよと思わず舌打ちをすることが間々ある。まあそんなことはどうでもいい。さて、さきを急ぐことにしよう。
「ルアルブラバンの街の特徴のひとつは、そこにとにかく物語が満ちていることだ。そのほとんどは宗教的な物語だ。寺院の壁にはあちこちに所狭しと、物語らしき絵が描かれている。どれも何かしら不思議な、意味ありげな絵だ。「この絵はどういう意味なのですか?」と地元の人々に尋ねると、みんなが「ああ、それはね」と、進んでその物語の由来を説明してくれる。どれもなかなか面白い話(宗教的説話)なのだが、僕がまず驚くのは、それほど数多くの物語を人々がみんなちゃんと覚えているということだ。言い換えれば、それだけお多くの物語が、人々の意識の中に集合的にストックされているということになる。その事実がまず僕を感動させる。そのようにストックされた物語を前提としてコミニティーができあがり、人々がしっかり地縁的に結びつけられいるということが。(中略)当たり前のことだが、物語を持たない宗教は存在しない。そしてそれは(そもそもは)目的や、仲介者の「解釈」を必用としない純粋な物語であるべきなのだ。なぜなら宗教というのは、規範や思惟の源泉であるのと同時に、いやそれ以前に、物語の(言い換えれば流動するイメージの)共有行為としての自生的に存在したはずのものなのだから。つまりそれが自然に、無条件に人々に共有されるということが、魂のためになにより大事なのだから。僕はルアンブランバンの街の寺院を巡りながら、そんなことをあれこれ考えてしまった。」
「僕の会ったこの街の人々は誰しもにこやかで、物腰も穏やかで、声も小さく、信仰深く、托鉢する僧に進んで食物を寄進する。動物を大事にし、街中ではたくさんの犬や猫たちがのんびりと自由に寛いでいる。たぶんストレスみないなものもないのだろう。犬たちの顔は柔和で、ほとんど吠えることもしない。その顔は心なしか微笑んでいるようにさえ見える。街角には美しいブーゲンビリアの花が、ピンク色の豊かな滝のように咲きこぼれている。」

 ラオスで村上春樹がみた風景は、もはやただの風景ではない。匂いがあり音があり肌触りがある。そこには特別な光りがあり、特別な風が吹いている。誰かの声が耳に残り、そのときの心の震えが思い出せる。ただの写真ではなく、それらの風景はそこにしかなかったものとして、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろうと、作者は取り憑かれた人間のように語り、最後にこういうのだ。
「それらの風景が具体的になにかの役にたつことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役に立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか、それが人生というものではないか。」
 ここにはたんなる紀行文の域を超えた卓越した認識がふかく届いている。作者は己のみた「詩的イマージュ」を、まるで夢をみた人のように語っているとしか思われない。ここに不吉なものや「ご用心」と声をだしたくなる評論家がでてくるのはわからなくはない。実は私にもすこしの心配はあるのだが、「懐かしいふたつの島で」や「白い道と赤いワイン」などは、読者を幸福にしてくれるいい作品がある。
 そうだ。書くとはブルターニュ人のアランがいうとおり、喜びでありそれが一冊の本をつくるということなのだからだ。この喜びを読者と共有しているかぎり心配することはないだろう。書きたいことはたくさんあるが、もうこのぐらいにしておこう。
 数枚の写真もとても素敵なものだった。


DCIM0453 (2)



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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