FC2ブログ

渡辺京二という人

 「逝きし世の面影」という本を書いた渡辺京二氏という人がいる。私はこの一書を読んで、その文章の佇まいといえ、歴史資料への目配り、公平な焦点のとり方といえ、世の中には端倪すべからざる御仁がいると一驚した。
 現在、79歳のこの熊本の老人は、今度は「黒船前夜」なる浩瀚な一書を世にだした。すでに、冒頭の一書他、「北一輝」「神風連の乱とその時代」などを読んだが、歴史の盲点を該博な知識と教養、入念なる資料の読解と鋭利にして柔軟なる分析を通じて、こちらの蒙を啓発させてくれるその明晰にして広闊なる視野に、反骨と野人の風貌をみて、畏敬の念をいだいた。地方の片隅にはこうした巨人が隠棲しているのである。この日本はまだ涸れてはいないのだと、元気をもらい、貧寒なるわが襟を正させられた次第だ。
 青年の頃に、傾倒したフランスの詩人にして知性の戦士であったポール・ヴァレリーは、生涯にわたって膨大な「カイエ」を書き残したが、行動的作家であり後にドゴール大統領の右腕として文化相になったアンドレー・マルローへあるときこう囁いたという。「あなたはどうして東洋やスペインまで行って世界中を飛び回っているのですか?」と。ヴァレリーにしてみれば、「テスト氏」の冒頭に寄せたバイエの「デカルト伝」の一節「デカルトの生活は単純であった」を、知的生活の規範とし、パリの片隅で自著の「レオナルド・ダ・ヴィンチ方法論序説」さながらに、その思考を錬磨し続けていたので、二十代で詩の筆を折り、その後、二十年間、友達の紹介で一老人の秘書の仕事へ出かける前に、早朝に起きだし妻の淹れてくれた暖かいミルクを飲んで、毎日、机にむかう生活をつづけていたのであった。
 私事となるが、三十代の初め私は「ポール・ヴァレリー研究会」を立ち上げ、この会を主宰していたことがあった。
知人・友人やその他の希望者らが、十人ほど集い、中には教育関係のある部長さんまでが参加したいとの申し出で、およそ三ヶ月に一回、ヴァレリー全集を拾い読みしていた。場所は銀座の喫茶店が主で、日比谷高校の校長に転出された部長さんのはからいで、校長室で開催したこともあった。読んできたものは、「ユーパリノス」や「ドガ、ダンス、デッサン」など、さまざまな文章である。一度だけ、フランス語の読める校長から、原文のコピーを使って「詩」を読んだこともあった。そのときは、校長先生の寄贈で卓上に葡萄酒までが用意された。都合10回の会合をもって、私はその研究会を閉じた。その後、主立った連中で、今度は、日本の古典を読む会を始めたのである。まだ若かった頃で、一年に四冊も読んだことがある。井原西鶴、与謝蕪村、本居宣長、伊勢物語、古事記、日本書紀、源治物語等々。あのような機会がなければ、日本人でありながら日本の古典を読むことはおよそなかったにちがいないのだ。その傍ら、私は詩、小説、評論の同人誌へ参加をするようになっており、一方では、海に潜るダイビング・クラブの創立に参加するなど、いまから顧みれば、実に多彩な活動をしていたものだと呆れるぐらいだ。ある同人詩のサロンには、大臣もやった政治家、元大企業の社長、高名なる作家の老嬢、情報工学で有名な東大教授の姉さん等が、世田谷の邸宅に集い、実に贅沢な会合を持っていた。妙な縁から、後に芥川賞の選考委員になる作家を招きながら、司会者である私は失礼ながらその作家の作品批評まで開陳に及び、また、芥川賞候補になった作家が神妙にしている宴席では、某有名評論家と隔意なく談話する名誉に預かり、貴重で楽しい時を過ごした。先述したサロンでは、萩原朔太郎の高弟と称する詩人の詩へ、遠慮ない感想をのべたために、その御仁を真っ赤に怒らしてしまったこともあったが、別に失礼をしたわけではもとよりない。ただ、権威を笠に着て威張り返っている空疎な御仁には、それが勤務場所だろうがどこだろうが、言いたいことを堂々というだけである。世間の常識から見れば、なんともこわいもの知らずの処世術も善用できないアホな人間だったろうと、我が身を顧みるだけである。なにもこんなことを吹聴することもないのだが・・・・。
 ずいぶんに横道にそれてしまったようだ。なんの話しをしていたのであったのか? ・・・というわけでございまして、~~~てなぐあいに、落語の志ん生ならつづけているだろうが、思いだした。渡辺京二氏のことであったのだ。
 「神風連の乱とその時代」もそうだが、氏は正史の歴史に記述されないながら、看過し得ない裏面史をあぶりだすことにかけては、一級の凄腕を持っている人である。
 今回の「黒船前夜」も日本の歴史では表にでてこない、日本の北方の歴史(「アイヌとロシアと日本の三国志」と副題にある)を解明しようとする。いったいロシアがいつごろから、日本という島国に関心を持ち始め、どのような活動を始めたのか。その結果、先住民であるアイヌとどのような関係を経てきたのか。それを日本の時代の権力者は、どのように眺めまた、黙殺しようとしてきたのか。幕藩体制での松前藩がどんな特異な治世をし、アイヌ人とはいかなる関係にあったのか、そのアイヌ人とはいかなる風習と生活を営んでいたのか、江戸時代の奉行・市井の商人にはどのような人物がどのような行動をし、それを南下するロシア人がいかに見ていたのか、ロシアの北方にはどんな人種が住み、生活をして、いかなる物資を交易の取引にしていたのか。この三国(中国まで含む)のどこで、どんな事件がどう始末されたのか等々・・・・。氏の慧眼が見落とすものはなく、その洞察と推理は委曲を尽くして、穏やかに無私である。
 特に、最後の第十章「ゴローヴィニンの幽囚」に登場させた表題のロシアの艦長とその副官リコルドの二名、それに日本船「観世丸」の持ち主高田屋嘉兵衛に、日露友好関係と国境の確定の舞台に照明をあて感動的なエピソードを添えて、日本近代をデッサンするという本書に美事な調味料を加えているのである。
 ともかく、渡辺京二氏は、三国の虚々実々にわたる外向の歴史を、まるで「三国志」さながらの筆法で、私達の眼前に展開してくれるのだ。その眼光の鋭さ、温雅な筆遣い、公平なる態度、探求の辣腕ぶり、頭の回転のよさ、明敏な勘の働き、犀利な観察は、まさに一級品のレベルのものと言って過言ではない。
 これに比較するのも野暮であるが、これまでの日本の為政者がいとも簡単に、「北方領土」の返還を口にするときの浅はかさには、呆れる程度の問題ではない。まあ、政治家にこれほどの明敏な知性と洞察力を求めるのは、その邸宅の庭の池に鯨を探すが如き桁外れな期待にすぎなかろう。
 ただこの御仁は、国あるいは一人種が、他の国または他人種と、交流をするということは、三国志ほどの興味津々の透徹した神経と無神経と、政略と闘争と駆け引きが、あったことを卓抜なる文章に盛って、わたしたちに供覧してくれただけなのであろう。
 私はただこの一老人に、遠くから敬意を払うだけである。


関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード