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本という贈物

  贈ったり贈られたりする本がある。知人に贈った本を当人が読んだか。どのように読んだか知る由はほとんどない。それは私が贈られた本より、自分が内的な動機で読む本に優先権があることに対応していることだろう。だがこれには勿論例外がある。贈り主に対する関心の度合いに応じて、贈られた本への興味も変化するからだ。
 十年ほど前に贈られた文庫本を、目のいたみを堪え、最近読み終わった。現代の小説類は、まさに私が現代に生きているという厳然たる事実によって、ほとんど読まなくなっているが、これにも例外はある。いい本は私のカンが知らせてくれるのだ。過去に読み印象に残っている本を再読するほうが自分のためになることのほうが多いようだ。だが眼病で入院し、窓際のベッドから空ばかりへ顔をむけ、考えたもろもろのことが、その生々しい題名に辟易しながらも、私の関心をよみがえらせてくれた。
 友情というものは恋愛より冷静なものだが、ときにより、それは恋愛のエゴイズムを遙かに凌ぐ高尚な心情をみせてくれるらしい。そうした心情を主題にした小説が少ないことに、故人となった秋山駿という評論家は「人生の検証」で呆れてみせた。氏によれば大正時代の白樺派の作家、武者小路実篤以外に名前がうかばないらしい。恋愛に命を賭けながら、現実においてその悉くを扼殺したともいえる破滅型の一作家の作品は、教科書に載って久しいようだが、あの騒がしい話体の上を友愛は虚空を疾走しただけなのではないかと思われてならない。
 能登の七尾は「冬は住みうき」(芭蕉七部集)という辺鄙なところらしいが(西田幾多郎という哲学者が産まれた土地であることは以前のブログに書いた)、この地に思いをいだきながら、病魔に蝕まれていく妻を乗せ、車で旅をする一夫婦の妻を看取るまでの哀切な情愛を綴った小説を一読したのは、くだんの友愛の故にであった。避けがたい人生の痛恨事を扱い、そこに一片のリリシズムを添えた文章を読んで、心を動かされない人はいないだろう。
 この国での繊維産業、特に縫製業の衰退は、ある研究所にいてその実態調査と研究に携わったことがあったのでその背景はよく知っていたこともあり、この小説の夫婦の衰運は激しく変貌する時代と重なって、私に複雑な思いを強いた。第一次産業から第二次産業へ推移する過程で、例えば水俣病のように、見るも無惨な公害をもたらしたように、第二次産業から第三次産業へ産業構造が変化するに従い、人間のこころに現れる精神性の病気もまた「公害」と言ってよいと、ある思想家は述べた。GDPの7割を第三次産業で占められている現在の状況はさらに加速されていくであろう。そしてAI(人口知能)の科学の発展と技術への応用によりロボット工学等の進歩は近未来の文明の風景を一変させるだろう。少子高齢化の波が押し寄せ、ストレス過剰の現代では、毎日多様な犯罪が報道され経済の低迷と相俟って、人を暗澹とさせている。人間の命は地球より重いということばは、はるかむかしのことで、この地球における人口の増加は、この半世紀で、その人間達の重力はすでに地球の重力を越えているというのである。笑っていられるうちは幸いだ。宇宙から見れば青と白のこの美しい地球が怒りだすまで、せめて笑って暮らそうではないか。人間とゴリラの違いは、ただ人間が笑うがゴリラは笑わないというだけなのだから。 
くだんの本の話しに戻し、その文庫本の帯に書かれた一文を引いておきたい。
「読んでいるうちに自分も一緒に旅をしている気分になって、読み終えると著者が残した轍の上に、草が生え、木が生え、花が咲いているように思われる。」 (「死にゆく妻との旅路」清水久典著の帯 「現代道行考」高山文彦氏より)

 そして、二点だけ追記することを赦されたい。
 先夜 「かくも長き道のり」というNHKのテレビ番組をみた。2.26事件という80年まえの出来事をひきずり、戦後の70年を生きた事件の関係者へのインタービュに出て来た二人の老人の語りが、こころに深くしみた。反乱の将校により命を絶たれた陸軍教育総監の末娘と反乱将校の弟の二人は、被害者側と加害者側と関係は真逆ながら、1980年代に供養の場で偶然に出会って以来その人生の様相を一変させる。その二人の苦難と赦しの長い人生が、丁寧に辿られた秀一の番組であった。岡山県の宗教関係の学校だかに架けられた、短い詩が印象に残った。

   天の父さま/どんな不幸を吸っても/はくいきは/感謝でありますように/すべては恵みの/呼吸ですから

 そして父の殺害の現場を9歳で見てしまった娘は、優秀な成績からアメリカに留学し、帰国するや学校の理事長となり、旧約聖書にあることばを口にする。「なにごとにも時がある」のだと。すう息とはく息のあいだは長いけれど、恵みはかならず感謝をもたらすものだと。そう語る老婦人の品位のある、美しい微笑にこころ和まされた。

 そして二つ目は、石牟礼道子さんの「椿の海の記」という文章に衝撃をうけたことだ。この女性はあまりに水俣病という社会的な事件にくるまれて、その偉大なる文学的な達成を果たしていることがなおざりにされていることを、知っておかねばならない。万葉や古事記から現代にいたる日本語の宝蔵なる精華がこの女性の筆から流れ出ていることは、驚くべきことと言わねばならないだろう。この著者の名前を冠した日本文学全集を一巻にまとめた池澤夏樹氏によれば、「この本の世界にはヴァーチャルなものが何一つない」と特異な感想を述べている。私の突飛な印象の一端をいえば、ランボーの初期の詩をなぶって過ぎる豊穣な自然感覚が 私たちの近・現代の貧相な感性を解放するのだと。 


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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