FC2ブログ

古代ギリシャ展

 上野の国立博物館で開催中の「古代ギリシャ展」へ行った。「ギリシャ」。それはニーチェ哲学に連れられて私の世界へ生まれた別乾坤の世界であった。プラトンやアリストテレスそれにソクラテス以前の哲学、とりわけギリシャ悲劇は私の精神の領野に新たなドラマを与えてくれた。三島由起夫がパルテノンの神殿を一目みて了解したものは、西洋文化の源泉としてのギリシャであり、彼はそこに理想の美の世界をみたにちがいない。だが恐らく「花盛りの森」を戦中に自費出版した彼は、日本人である自分の魂と肉体を逆に意識せざる得なかったのだ。近代人としての彼はシェイクスピアの「マクベス」の有名な科白「きれいは汚い。汚いはきれい」を地で行ったのだ。かくて「拒否も憎悪も闘いもない美の『民主主義的時代』を逆なでする『醜』の極限」を探って、台湾のタイガー・バーム・ガーデンをさ迷い、果ては『すべてのドイツ人に悲劇』を味合わせる運命の男の戯曲、「我が友ヒットラー」を書いた。私は一度この劇を見たことがある。バルコニーで演説を終わったヒットラーの後ろ姿から幕が上がった。戦中の日本を思わせる暗い劇であった。「政治は中庸でなくてはなりません」というイロニカルな科白で終わるこの戯曲で、三島は、日本の戦後民主主義体制に巣くう虚偽に命を持って訣別した。だが世代は遅れるが、これと対照的な作家に辻邦夫がいることを忘れるべきではない。
「たとえばパルテノンの神殿はアテネのアクロポリスの丘の上にある。それは地上の一点にある一個の大理石の構築物にすぎぬ。・・・・。にもかかわらず、それは人間にとっての極北の美であり、人間のあらゆるものが否認されても、それだけは何ものにも否み得ぬ究極の存在の基準としてわれわれの前に立ちはだかっている。高貴なもの、不滅なもの、善良なもの、光を向いたものの観念(イデー)がまさにそこから由来する、その根源の存在としてこの一個の大理石の構築物は建っている。」(「小説への序章」文庫本あとがき)
 ジリジリと照りつける夏の日光の直射を避けながら私は上野の会場へ出かけはしたが、文と武との両方へ足をかけこれに高齢も手伝って実のところ憔悴していた。また毎日のように入ってくる内外のニュースは前世紀に私が予測し予感したものばかりでうんざりとしていたのであった。すでに限界をみせている世界は正視するには耐が難いものに満ちている。私の心魂は何か晴朗で健康な光りをもったものに渇望していた。幸いにも予感は的中してくれた。それはまさしく「ギリシャ」にあったからである。
 展覧会場は年代順にコーナーで区切られ、「古代」では「スペドス型女性像」を見て私の身は軽くなった。「ミノス文明」ではクレタ島から出土した「女神像」「花形ビン」「オリーブの木のフレスコ画」の数点、それに「漁夫のフレスコ画」を眺めて、私の腸は整調に復したようだ。そして「ミュケナイ文明」へ足を入れた途端、あたかも一条の光りが差してくる思いを味わった。「ネックレス」の数点 「子供を抱く女性小像」が私の感覚を更新した。第二会場は幾何学様式からアルカイック時代へ移るのだが 「アッティカ幾何学様式アンフォラ」の均整のある黒い瓶に金色の幾何学的な装飾に目が洗われ、小さな「若者の頭部」へ視線が走っていく。ついに「クラシック時代」へ到着して「アルテミス頭部」「アリストテレス像」の前ではギリシャの充溢を遂げた都市国家が彷彿として胸に過ぎった。「古代オリンピック」へ入場するや ここでは壮健な裸身の肉体が円盤を投げ 走り幅跳びをしている現代の動画での再現を目にすることができた。なんという清潔な精神と肉体がそこに躍動していたことだろう。「オリーブの葉」の単純な美しさと「ヘラクレス像」の壮麗な逞しさ。現代のオリンピックがスポーツマン・シップの精神から離れて、国家同志のみにくい競争へと堕落していることを恥じる思いを禁じ得なかったのだ。「マケドニア王国」では「アレクサンドロス頭部」に、優美と勇壮が私の背をすっくと立たせてくれ、「抱擁するエロスとプシュケ」に私の目は惹きつけられた。「ヘレニズムとローマ」まで来ると、「アルテミス像」「ポセイドン像」「ハドリアヌス帝頭部」「アンティノウス胸像」が、私の精神に話しかけ、私の老いはじめた身体は何時の間にか青年のような快活と若さが甦ってきていることに驚いてしまったのだ。むかし読んだ「ギリシャ文明史」(アンドレ・ボナール)全3巻をまた書棚から取りだしたい誘惑に駆られ「ギリシャ文学散歩」(斉藤忍髄)も同様であった。邪悪が大手を振り、陰険な精神が横行する世界から目を背けて今こそアポロン的なものへ顔を昂然と向けるべきときがきているのである。
 さて、若い時代の辻邦夫が「小説への序章」で考察しなければならなかったのは、二十世紀に優勢となった批評による小説の危機にあった。私はやはり同じような夏の暑い日々に、分厚い単行本のこの本を読み継いでいたむかしのことを思い出していた。当時ヴァレリーに私淑していた者には「詩」から「散文」、特に「小説」へ行くべき道程が不明であった。1910年代の西欧はまずシュールリアリズムが席巻し、遅ればせながら私はすぐにこの渦中に巻き込まれた。ブルトンの「ナジア」をそうした中で読み、マックス・エルンストのシュルレアリスム的手法の絵画に親しんだのもこの頃であった。時を経て次第に「小説」が視野に入ってくるのだが 「私は『侯爵夫人が午後五時に外出した』とは書けない」というヴァレリーの言葉が、三文小説を軽蔑させた。彼の軽妙洒脱な「文学論」がどれほど私を喜ばしてくれたろう。小説が芸術的な根拠を失いつつあるのではないかという漠然たる懐疑があったから、どこか三色旗の香りに満ちすぎるこの辻邦夫の本を熱心に読んだのもそれなりの訳があったのである。リルケの「マルテの手記」は読むことはできても安直に書かれた「小説」にはどこかで忌避感が働いてならないのであった。それでもサルトルの「嘔吐」は熱心に何度も読んだ記憶がある。ここには「存在と無」のあの人間の意識構造への鋭利な分析と哲学的思索が背後を支えていたからである。私にはハイデッカーの「存在と時間」のような哲学書は私が理想とする小説に近いような気がしていた。カミユに好感をいだいていた私は「異邦人」に彼が推奨する哲学的小説をみたのだ。私は何時の間にか辻邦生の短編小説の愛読者となっていた。例えば「サラマンカの手帖から」や「見知らぬ町にて」の数編、また「美しい夏の行方」のイタリアとシチリアの紀行文はどんなにか私を幸福にしてくれたことだろう。私は辻の称揚する「祝祭としての時間」に魅惑されていったのである。
「私がこうした考え方に達し得たのは1959年夏のギリシャ旅行から帰ったあとであった。私の最初の作品はその頃ようやく形をとりはじめてきたのであった。」(「小説への序章」同)
 この辻がトーマス・マンの「ファウスト博士」の悪魔との契約を交わす芸術家の魂を知らないわけではない。それはマンの書いた「ゲーテ」を読んでいたはずの辻には明らかであったはずだ。彼は3年半のパリ留学中にノート三冊に「小説への序章」の草稿を書き、「小説は限定された全体をつくり、時間を支配し、時間を再創造する」という認識に到達していたのであった。
「トーマス・マン、プルースト、ジョイスはそれぞれ別々の道をたどりながら、すべての真の物語がわれわれを導いてくれるこの無意識的記憶の時間の神秘を見いだしていったのである」
 余談だが私は辻氏から葉書を戴いたことがある。それは「詩と神秘主義」というコリン・ウイルソンの本を探していて、辻氏に教えを請うたところ、それへの返答の葉書であった。残念ながら辻氏が紹介したこの本は日本にはなかった。氏は恐らく英国かフランスでこの本を入手したにちがいなかった。それはともかく、優れたリルケ論「薔薇の沈黙」を書いたていたが、最後の一章を残してこの本は残念ながら遺作となった。ここにはリルケ晩年のフランス語の詩集「薔薇」にある一行に、辻氏は言語芸術の核心と象徴をみたといえるだろう。

     Une rose seule, c ést toutes les rose .
    (一輪の薔薇はそれだけですべての薔薇だ)



DCIM0648 (2) DCIM0649 (2) DCIM0647 (2) DCIM0650 (2) DCIM0652 (2) DCIM0651 (2) DCIM0653 (2) DCIM0646 (2) 伝統的なクッキー
DCIM0654 (2)  音楽の神を彫金した指輪




関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード