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断想妄語(2)安全保障

 「専守防衛」という言葉が日本国憲法と一体として使われていた時期があった。たぶんそれは、1991年のあの「湾岸戦争」以前のことにちがいないだろう。世界史が、目前の出来事として自分の中へ流れこんでくる実感を懐いたのは、イラクがクエートへ侵攻しそれに対抗してアメリカを中心に多国籍軍が戦った「湾岸戦争」が最初であった。日本の当時の海部内閣は130億ドルの大金を拠出しながら自衛隊の海外派兵をしなかった。為替レートで換算すると一兆七千億円も国庫を出した末に、クエートから感謝された30カ国のリストに日本の名前が載ることはなかった。巨額のお金を負担したのだから名前なんてどうでもいいじゃないかと思う一方、なにか割り切れない気持ちが残ったのも正直なところであった。
 当時活躍中のの文学者(中上健次、高橋源一郎、柄谷行人等)が1991年2月に、次のような反戦アピールを発表したのを記憶する。

声明1
  私は日本国家が戦争に加担することに反対します。

声明2
  戦後日本の憲法には、『戦争の放棄』という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を『最終戦争』として闘った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的であれ間接的であれ、日本が戦争に加担することを望まない。われわれは、『戦争の放棄』の上で日本があらゆる国際的貢献をなすべきであると考える。
 われわれは、日本が湾岸戦争および今後ありうべき一切の戦争に加担することに反対する。

 そらから4年後、文芸評論家の加藤典洋が「敗戦後論」を発表した。その冒頭「1.戦後の起源」において、湾岸戦争の反戦署名声明に、次のような批判文を書いている。
「戦後、50年をへて、わたし達の自己欺瞞は、ここまで深い。ここにあるのは個々人の内部における歴史感覚の不在だが、その事態が五十年をへて、ここでは、本来はない歴史主体の、外にむけての捏造が生みだされているのである。」
 ここから、加藤の「平和憲法」をめぐる日本国民のねじれを説きはじめるのだが、それから20年が過ぎた現在、世界情勢の変化は著しいものがあった。今年、加藤は三冊の本を立て続けに出した。「日の沈む国から」(8月)「世界をわからないものに育てること」(9月)「言葉の降る日」(10月)である。この最後の本の中から、「終わりにー死に臨んで彼が考えたこと」の一行だけを引用しておこう。
「彼(ソクラテス)は、最後の最後まで、この『自分は知らない』の低さのうちにとどまった。それで、彼の耳には最後まで、ダイモンの声とアテナイの祭りの笛の音が、ささえのないまま、彼にとっての謎のように、聞こえ続けていた。」
 今は、その後死んだ者を含んだ過去の文学者達の声明文から離れて、偶々近々に手にした「矛盾だらけの日本の安全保障」(富澤輝・田原総一郎)から、そのほんのさわりだけを紹介してみたい。
 自衛隊出身の富澤によると、「自衛隊が今後生きる道は国連軍に参加することだけだね」との田原総一郎の一言に、林崎前海幕長と富澤氏は即座に「今時、国連軍なんてあり得ないのですよ」と反論し、同席した石塚前空幕長だけは「それも一つの道です」と言っていたとのこと(「おわりに」)で、田原からのインターヴュ形式のこの本ができたとのことである。
 ともかく、集団的自衛権と集団安全保障上の「武力行使」の意味の相違。外交の背景としての「軍隊」。原子力発電の司令塔が現在日本にないという指摘。日米同盟とトランプ大統領の登場等とこれからの日本の基本姿勢を按ずる話題には事欠かないのである。NHKの英会話のためのニュース番組を見ての情報では、1970年に発効したNPT(the Nuclear Non-Proliferayion Treaty)核不拡散条約に関して、今年、日本は123カ国の賛成側に回らずに、反対側の38カ国に回ったとのことであった。これには唯一の核兵器の被爆国がとる態度ではないとの批判がでているが、反対理由は核保有国と非核保有国との亀裂を深めるだけの決議(これには拘束力はないとのこと)には賛成できないとのことであった。現実にアメリカの核の傘(nuclear umbrella)に入っている現状を考えれば、日本の最終判断が反対となっても不思議なことではないであろう。だが少なくとも棄権(16カ国、中国を含む)をしてでも、日本はこの問題での主導権を発揮すべきなのに時代遅れではないかとの被爆者団体の批判がでるのもまた当然なことだろう。日本と対照的なのは核保有国の北朝鮮が賛成側に入っていること。また、オバマ大統領の核兵器の改良に100兆円という多額のコストが必要だとの発言があったことも紹介されていた。1996年に発効したCTBT(包括的核実験禁止条約)についても同様な状況であるらしい。核兵器が今後どのように改良されるのか定かではないが、廃絶が目標でないとすれば、現在の核兵器の利便性を強化して脅威力を高めることで抑止力をより増大させる方向の可能性が考えられるだろう。とにもかくにも、核廃絶を掲げてのプラハ演説等でノーベル平和賞を受賞したアメリカの大統領が、この改良を行う計画を口にするだけでも自己矛盾が生まれるのではないかと危ぶまれるところだが、理想と現実との空おそろしい乖離が世界の平和を宙づりにしていることは直視しておくにしくはないのである。ましてやこの日本の安全保障に矛盾が生まれないはずはないのではなかろか。そして、ふと脈絡もなく、作家の太宰治のことばが思いだされた。「牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く」(「一日の労苦」)。過剰反応はせずに各国の動きと世界の情勢をじっくりと見ること。ねじれや矛盾は可能な限り是正しながら、ギリギリのところまで痩せ我慢をしてでも堪えぬいていく一方、戦国の武将真田幸村ではないが知恵をしぼって生きていく以外に、日本の運命はないというほどの覚悟をする必要があると言ったら大袈裟だろうか。
 最後に蛇足を加えれば、古の日本の先人達から学ぶことがなければ、夏目漱石の小説ではないが、国が「亡ぶ」ことがあり得るかもしれないとは、自裁した文芸評論家の江藤淳が生前に呟いていたことだったように思われる。しかし、今日の朝、散歩を終えて近所の神社の賽銭箱の脇に、立派な紙が掲げられそこにこんな文句を読んだのである。それはある時期に日本大使を務めたフランスの詩人ポールクローデルの次のようなことばであった。
「私が断じて滅びない事を願ふ 一つの国民がある。それは日本人だ」



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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