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小説からの序章

 ちくま日本文学全集の全50巻の中に「川端康成」がある。最近まで、この本に「山の音」が収められ解説を須賀敦子が書いていることに気づかないでいた。また解説の表題が「小説がはじまるところ」とあり、その内容にとりわけ興味が惹かれた。須賀さんが日本の小説の解説を書いているとはめずらしい。私が「山の音」を読んだのはこうした経緯があったからである。「山の音」は戦後の日本の荒廃の只中で多くの友人等を喪い、50歳を迎えた作家川端の死への意識が色濃く作品へ反映していることは明らかであろう。いやそれだけではない。川端の文章は日本の伝統文学を踏まえたもので、翻訳文化に漬かった私のあたまに容易に入りがたいものがあった。およそ川端の小説ほど西洋的な小説観から遠いものはない。
 ここで試みに比較的に筋目のある冒頭の数行を引用してみよう。
 「尾形信吾は少し眉を寄せ、少し口をあけて、なにか考えている風だった。他人には、考えていると見えないかもしれぬ。哀しんでいるように見える。
 息子の修一は気づいていたが、いつものことで気にはかけなかった。
 息子には、父がなにを考えていると言うよりも、もっと正確にわかっていた。なにかを思い出そうとしているのだ。
 父は帽子を脱いで、右指につまんだまま膝においた。修一は黙ってその帽子を取ると、電車の荷物棚にのせた。」
 これが会話の文になると次のような調子となる。長くは引用できないが、ここに出てくる一見抽象的な語彙に注目していただきたい。
「閻魔の前に出たら、われわれ部分品に罪はごぜいません、と言おうという落ちになった。人生の部分品だからね。生きているあいだだって、人生の部分品が、人生に罰せられるのは酷じゃないか。」
「でも。」
「そう。いつの時代のどんな人間が、人生の全体を生きたかというと、これも疑問だしね。・・・・(後半省略)」   
 この「人生の部分品」と「人生の全体」という語彙が、川端の会話文ではとても納まりがわるく、いったい何を言いたいのか判然としない。まず人間の「人生」を「部分品」と「全体」とに区分して、「部分品」に罪はないとか、「人生」の「全体」を生きるとかという議論を、ひそかに心を寄せている息子の嫁である菊子(俳優:原節子)と彼女を病院へ送る途中で交わす会話に持ち出す主人公の尾形信吾は、どこかにおかしなものを抱えた人間なのではないかという疑いが兆すのを抑えることはできない。
 国が敗れたということより、たとえば親しい友人の横光利一に先立たれた衝撃は川端になにものにも代え難い喪失感を与えたに相違ない。それは昭和23年1月に書かれた横光への弔辞に強く刻印さている。
「横光君
 ここに君とも、まことに君とも、生と死とに別れる時に遭った。君を敬慕し哀惜する人々は、君のなきがらを前にして、僕に長生きせよと言う。これも君が情愛の声と僕の骨に沁みる。国破れてこのかた一入木枯にさらされる僕の骨は、君という支えさえ奪われて、寒天に砕けるようである。」
 私はここまで書いてきて、とんでもない誤りをしていることに思い至ったことを告白しなければならない。それはこれまで私が書いていたことと反対のことを表明することになるだろう。 
 それは冒頭に引用した川端の文に戻って考え直すことになる。即ち、主人公の尾形信吾に添ってこの小説を読み直すことである。それは考えることがなにかを思い出すようにすることなのである。
 私は川端が30代に書いたあの有名ともいえる「末期の目」を思い出した。すると引用した会話の文への理解が広がるのだ。あの「末期の目」の想念から判断すれば、死の世界と生の世界が境をなくして隣接している幻のような世界からみると、「部分品」はそのまま「全体」となりその逆もまた真だということが不思議でなくなった。もともと「生」と「死」が交錯する場所が、川端の末期の目に見えた「人生」なのだからだ。

 ここで先述した須賀敦子の解説「小説のはじまるところ」に、目を転じてみたい。この短い解説には、ノーベル賞を受賞した川端が夫婦でイタリアに立ち寄り夕食のテーブルをかこんでの会話に、川端が須賀へ語ったエピソードが書き留められているので、少し長いがそれを引用したい。
「食事がすんでも、まわりの自然がうつくしくてすぐに立つ気もせず、スウェーデンの気候のこと、あるいはイタリアでどのように日本文学が読まれているかなど話しているうちに、話題が一年まえに死んだ私の夫のことにおよんだ。あまりに急なことだったものですから、と私はいった。あのことも聞いておいてほしかった、このこともいっておきたかったと、そんなふうにばかりいまも思って。
 すると川端さんは、あの大きな目で一瞬、私をにらむように見つめたかと思うと、ふいと視線をそらせ、まるで周囲の森にむかっていいきかせるように、こういわれた。それが小説なんだ。そこから小説がはじまるんです。(中略)。わたしはあのときの川端さんの言葉が気になって、おりにふれて考えた。「そこから小説がはじまるんです」。なんていう小説の虫みたいなことをいう人だろう、こちらの気持ちも知らないで、とそのときはびっくりしたが、やがてすこしずつ自分でも書くようになって、あの言葉のなかには川端文学の秘密が隠されていたことに気づいた。ふたつの世界をつなげる「雪国」のトンネルが、現実からの離反(あるいは「死」)の象徴であると同時に、小説の始まる時点であることに、あのとき、私は思い到らなかった。」
 イタリアの詩人たちを紹介する詩を愛する須賀敦子という女性の川端文学を理解しようとする、行き届いた聡明な日本語は快いばかりといってよいだろう。
 ここには上質な日本語の品のよい佇まいがある。谷崎原作の映画「細雪」をむかし見ていて、四姉妹が京都の八坂稲荷神社の境内の桜をみてのそぞろ歩きでの会話のえもいえない言葉の美しさに、思わずなみだが流れたことがあるが、それに通じるものがここにはあるのだ。それはとにかく、「山の音」にはそうした風景の描写も哀切な会話もない。川端は自分の文学を「奇術師」と呼ばれて「ほくそ笑んだ」らしいが、そうした変身の妙から伝統文化が戦争の惨禍により破壊された日本の戦後の現実を、鎌倉に住む一家庭の荒廃した構図のうちに描こうとしたらしい。
 さて、昭和二十年の中盤に書かれた「山の音」から二十数年を経た、昭和四十年代の世相を背景に田舎から出てきた一青年が、電車の棚に爆破装置を置き、死傷者を出した刑により死刑判決をうけるまでを描いた小説「風の吹き去るもみ殻」(工藤嘉晴著・牧歌舎発行)に目を移してみることにしよう。偶然にも、青年が爆発物を置いた電車は、「山の音」の尾形信吾の帽子を息子の修一が網棚に乗せた同じ横須賀線であった。昨年に自費出版されたこの小説さえ、いまから五十数年のむかしを時代背景としており、日本の戦後はここに70年が経過していることになる。
 小説「風の吹き去るもみ殻」の時代背景はミニスカートブームと東大安田講堂事件から、昭和44前後。主人公は花笠音頭で知られた山形県尾花沢から東京へでてきた中卒の若末善紀という若者である。なかなかの野心家で周囲から「何考えているか分からない『インテリ大工』」ということになっているのだ。
「生活がそれなりに安定してくることと裏腹に憤懣が募っていった。性格的には常に現状に満足出来ないものを抱えていた俺は、いつも苛々していた。」
 こうした若者が頻発する爆破事件に刺激されて猟銃を趣味にし、勤めている工務店の工事部品から爆発物を作るにいたるという筋には、特に変わった趣向があるというわけではない。作者は事件の事実に忠実になぞることにある種の義務感を覚えているかのごとくである。
 この本の帯に、「思わぬことから列車爆破事件を起こしてしまった青年の心の葛藤をその生い立ちからつぶさに追うセミ・ドキュメンタリー」とある。しかしだ。実際にあった事件を材料に作者の書いたものは、単にこの帯でいう「セミ・ドキュメンタリー」にとどまるものではなくなっている。主人公の若末善紀が事件を引き起こすまでの顛末が、ドキュメンタリーの域を遙かに越え、生々しく細部が活写されており、ここに小説家の想像力が働いていることは明瞭であろう。だが作者の筆があまりに主人公に密着くしてその細部に拘っていることから、読者の自由に掣肘を与えているの批判がでることも否定できないだろう。東京拘置所での生活が始まるまでに、およそ小説全体の5割を越える分量が若末善紀の行状に割かれているのである。それほどまで筆を割く必要が作者の方にあったとしても、たいていの読者はどこか自己中的な特異な体質を持ったこの青年の過度な描写に息をつぎたくなるのもたしかで、軽薄短小な現代読者は途中で読書を中断する可能性もあり得るだろう。特にあの高度経済成長下の昭和40年代ならいざ知らず、経済の限界が取りざたされ、世界同時不況と所得格差であえいでいる一方、情報機器からの大量な情報の波にさらされている都会生活を送る多数の読者層、例えば村上春樹的な小説の嗜好者にとっては(加藤典洋の「村上春樹は難しい」という読み方もあるが)、この小説の主人公には、即いていけないものを感じるのではないかという危惧を払拭できないのである。
 それかあらぬか、作者は壁の中での生活を始めた主人公にこう言わせている。もちろん、この文章は「上告趣意書」のことではあって、あまり変わり映えのしない前半の筋立てと、これでもかというほどに浴びせられる描写の集中砲火から、逃げ出したくなる軽薄なる読者を想定した文章ではもちろんない。
「こんな長い文章を書いたのは、5年前の〈放浪記〉以来だ。」
ここまで来て、私はこの小説の出だしの見事さに一瞬息をのんだことを想い出したのだが、その期待は延々と続く若末の「放浪記」の濁流に流されてしまったのだ。かつて小説家の太宰が苦心したという、小説の冒頭の文章を引用してみよう。
「初めは夢の中だと思った。黒い波が身を包み、軒下を塊となって通り過ぎた。」
 これはまさしく、2011年の3月11日のあの大地震と原発事故のテレビでみた映像を甦えらしてくれたのである。
 「風の吹き去るもみ殻」(以下「風」と略記させて戴きたい)の冒頭は作者の深層意識が思わず路頭したとも思われるが、あの大災害と原発の惨事は夢ではなかったのだ。川端の「山の音」(以下「山」と略記させて戴きたい)は敗戦後まじかに書かれたもので、「国破れて山河あり城春にして草木ふかし」という杜甫の漢詩を踏まえていることは既に述べたが、現在、戦後の奇跡的な復興を遂げた日本が直面しているのは、1995年の阪神淡路大震災に継いで、2011年の東北沿岸部の震災と津波による原発のメルトダウンによる天災と人災による生活と自然の破壊である。
川端が横光利一の弔辞で述べた「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」とした日本を取り巻く自然環境と東アジアの政治経済状況は、70年前の敗戦の記憶は年々に薄れゆき、東アジアの経済圏の名目GDP(中国と日本と韓国3国だけでも)の総計は、欧州とアメリカに優に匹敵している。そして、経済的にはGDPにおいて日本は中国に追い抜かれ世界3位に転落して、経済成長率は1%にも満たしていない。更に中国による南シナ海での海洋進出、北朝鮮の核開発の脅威に挟撃されている現状にある。
 小説「風」の主人公ならずとも、国民の潜在意識下の苛立ちは募り、毎日のように頻発する殺人事件に次ぐ爆破事件、小説「山」に兆した家族の崩壊と超高齢化社会での認知症患者の増加はマスメディアを賑わしている。
小説「風」の主人公が拘置所で「上告趣意書」を黙読中に、鉄窓から聞いたヘリコプターの騒音は、昭和45年11月の三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊基地への乱入と直後の割腹事件の当時の空気を取り込む小説の一技法なのであろうか。
ともかく「風」の若末善紀が、東京拘置所の中に入り「上告趣意書」を書くにつれて、全体の5割超のそれまでの青年の若末と異なる成長は目を見張るものがある。いや、前半の長い若末善紀の青春の彷徨はこの成長へのスプリングボードを作者は意図し、その準備段階としていたとしても不思議ではない。文章も無駄な力がぬけ、逃避行の疲れも手伝ったように素直な日本語となって、よりなめらかに一語ごとに粒立ってくるのがわかる。それは前半での若末の逮捕に近づくにつれて一層に顕著になっている。
そのまえに読者がごく自然に共感できるところは、若末の逃避行中で故郷の実家へ向かう道中を描いた文章だろうと思われる。ここでは若末に冬の日本海のように現れるものは、他人との共生感に相違ないからだ。ここでは「お前ってヤツはそういう男なんだよ。他人が嫌いなんだよ。特に自分という他人がサ!」と力こぶを入れる必要もなくなっている。そして最後に工務店の社長との車中での会話が若末のこの娑婆での最後となるのだが、この工務店の社長は若末の戦中に死んだ父を彷彿と思い出させる存在である。
「車は桜田門に近付いた。左手にくすみ古ぼけた警視庁の建物が現れた。近くの路上には何台もの装甲車が駐まり、正面を車止めの柵と機動隊員が固めている。建物の上には初冬の透明な空高く、微かに夕焼けの残照が残っている。(中略)若末はこの道順が好きだった。ここを通るといつも気持ちがスッキリとした。中心にいるという喜びが自然に湧き上がり、ある高揚感に包まれた。」
やがて新潟出身の社長の声が若末の耳に聞こえ出す。そしてこんな一言がその社長の口から漏れるのだ。
「『日本は昭和20年8月15日に無条件降伏した』。少し首をねじり森を見やった。『そして次の16日から生まれ変わったことになった』。眼鏡を外し、ハンカチで顔をゴシゴシ拭うと又掛け直した。
『でも変わったのは言葉だけだった。その事を思いしらされたというより、感じまいとしてひたすら走ってきた世代だよ』。背を窓に 押し付け、運転している若末に上体を向けると、序々に声を高めた。」
 そしてこの社長の口からこんな一言がもれるのだ。
「『一番ケジメをつけていないヤツがあそこにいるじゃないか』。社長は一寸首を巡らした。若末も合わせて辺りを見回したが何のことか解らなかった。車は大手町のビル街の渋滞に巻き込まれていた。」
「『今日は楽しかったよ。色々と話が出来て。明日からは現場近くだから少しは朝寝も出来るかな。・・・それじゃ、身体に気いつけてナ』。運転席に戻ってハンドルを握りしめながら、傍らに立つ若末の顔をじいっと見た。その眼差しは寂し気でもの言いたげだった。若末は後になってよく思い出した。」
 ここまでが若末が捕縛されるまでで、つぎの段階から訴訟へと入っていく。即ち東京拘置所の壁の中である。
「山」を書いた川端がノーベル文学賞を受賞したのが昭和43年10月。その川端が逗子の仕事部屋でガス自殺を図ったのが昭和47年4月のことであった。

 「風」は後半になって知的な対話が出てくる。大まかにいえば、聖書からは「ヨブ記」と「マタイ伝」、三つ目が「マツロワヌ国」である。
ところで、川端の「山」との関連で「風」について語ろうとする本論では、こういった問題は後に触れることにして、第一に一端とりあげてみた川端の「山」にみた「人生の部分」と「人生の全体」とを復活させ、別の照明を当ててみたいのである。それというのも、「風」の後半に二審で一審の「死刑」を支持して控訴棄却をうけた若末が期限ぎりぎりに控訴して、上告趣意書所を書く段階でそれは現れるのだ。その部分を引用してみよう。
「真実の証明は俺のこの胸の中にあるじゃないかと何度も叫びたくなった。
 来る日も来る日も事実、事実と追っかけていると、目に見えるこの世界というものは所詮”半分”でしかないのではといぶかる気持ちが湧いて来た。どんなに本当らしく事実を並べても、それは俺の真実とは離れていく。」
「裁判を通じて初めて俺は世の中を知ることが出来た。その成り立ちが分かった。世の中って半分なんだ。それは最大に見積もっての話で、本当は半分の半分なのかも知れない。(中略)俺は決して自分が無実だと言っていない。ただ事実の上での罰を請うているだけだ。真実というのは全ての事実に基づいたものであるべきだろう。ただここにあるのは全部じゃない!」
 ここで若末が強調しているのは、「法廷のなかの人生」(岩波新書:佐木隆三著)のことだが、裁判の成り立ちが最大に見積もって世の中の半分からそのまた半分の事実に基づいての判断しかされないことに、若末は不条理なものを感じているのだ。しかしこれは、川端が尾形信吾に言わせている人生論と無縁というわけではない。「山」には閻魔さまが出てくるように、あの世での「裁判」でのことである。ただ若末が壁の中で感じている理不尽さは、現世の法律上の「訴訟」のことなのである。若末が述べている「すべての真実」を訴訟の場にのせるのは若末が「べきだろう」という言い回しをしていることから明らかなように、それは事実上不可能に近いのである。この辺りの問題を小説にしたのが、大岡昇平の「事件」とぃう裁判小説なのだ。大岡は「事実」と「フィクション」の関係に鋭利な拘りを持つ作家であるのは、最初の「俘虜記」にすでにその萌芽はでている。「歴史小説論」(同時代ライブラリー1990年)において、大岡は集中的にこの問題を論じている。裁判は法廷において文学と同様に真実を追究する国家制度だが、可及的に最大限の事実を俎上にのせることは理想ではあっても現実的に不可能なのである。それは所謂「ノンフィクション」という分野の小説が、その虚構性の重心を「事実」の方に相対的に置いているだけだと言ってもいい。かたや「訴訟」における「事実」は「構成要件事実を明確に主張して相手側から争われればこれを証明しなけらばならない」そのような事実だけに限定されるのである。民事でも刑事でもだいたい同じであるが、「刑事訴訟においては、被告人を処罰する方向ないしその罰をおもからしめる方向の事実については、すべて『厳格な証拠』による『合理的な疑いを超える証明』が必要とされていて、客観的な、或る意味で絶対的な証明がなされなければならない。民事訴訟の証明は、争われる程度に応じてそれを超える限度で行えばよく、その意味で相対的であり、証明の客観性も相対的な比較における『優劣の程度に対する判断の公正さ』の上に存在するだけで、それ以上に客観性を担保するものは要求されない。」のである。しかし、「刑事の裁判においては、被告人が法廷で訴因のすべてを告白して争わない場合でも、裁判所は証拠によらずに訴因をそのまま肯定することはできない。」。』(「裁判と事実認定」蓑田速夫著1996年自費出版)として、強制による自白など一定の自白を証拠から排除する法則(憲法38条2項、刑訴319条1項)を働かしているのだ。刑事が民事と比較して厳格に事実を限定するのは、その最高刑が人為によって人を殺すことから要請を受けているからに他ならない。若末が塀の中で人が変わったように知的になるのは、自由を拘束された果てにくる「死刑」が想像裡に立ち現れるからだ。作者が若末に「インテリ大工」という渾名を持たせたのは、こうした伏線を周到に張ったからだろう。
 さて、川端の小説にでてくる義父と嫁との会話は、ほんの茶飲み話ていどの日常会話と見えるが、「風」のほうは「死刑」がかかっているだけ、ラディカルな糾問口調となっている。この論法は「カエサルのものはカエサルへ返せ」という聖書の「マタイ伝」へとつながっていく問題なのだが、川端の「山」という小説のそれが壁の中の糾問と比べて、決して軽い話しだということではない。国家制度という人為によらなくても、生物としての人間にも確実に死はやってくる。川端の「山」の老境にさしかかった尾形信吾は、人間の条件では若末と同じ状況にあるのだ。壁の中の若末が「死刑制度」について一考するくだりがあるが、これもこの小説では看過できない重要な事柄だといえるだろう。

 人間の人生の実態を探り、それを想像の次元で異化することで、人生を更新する。これを散文の言葉をもってする方法が小説だとおおまかに把握しておこう。西洋のホメロスから東洋では日本の紫式部をはじめとし、現代にいたるまで世界中の作家がこの方法により多種多様な文学の世界を構築してきた。この世の様相とそこで生きる人間を描き、歴史の記述とは異次元の言語の錬金術的使用によって、文学はこの世界と人生とを刷新してきた。例えば、ジョージ・オーウェルという英国の一作家は、インドで警察官をしていた体験を元に、短編「絞首刑」で一人の死刑囚が刑場へ連れていかれる一場面のスケッチにより、現に生きている人間をこの世から抹殺する死刑制度の理不尽な光景を、どんな死刑廃止論よりも鮮明かつ直裁な照明を当てて見せてくれた。長いがその引用を飛ばすわけにはいかないだろう。
「絞首台までは四十ヤードばかりだった。私は前をゆく囚人の裸の茶色い背中をみつめた。彼は両腕をしばられているためにぎこちなく、しかししっかりと、けっして膝を伸ばさないインド人特有の例のピョコピョコした足どりで、歩いていた。一歩ごとにその筋肉はくっきりとその場所におさまり、剃り残した一ふさの髪が上下にゆれ、足は濡れた砂利の上にその跡を印していた。そして一度、看守たちが両肩をつかまえていたにもかかわらず、彼は路上の水たまりを避けてちょっとわきによけた。
 奇妙なことだが、私はその瞬間まで、一人の健全な、意識をもった人間を破壊するということが何を意味するか、一度も気づいていなかったのである。囚人が水たまりを避けるためにわきによけるのを見たとき、私は、一つの生命をそれが絶頂にあるときに断ち切ることの秘密、その言いようもない不正を見た。その男は死にかけていたのではない。われわれが生きているのとまったく同じように生きていた。彼のあらゆる器官が活動していた。―腸は食物を消化し、皮膚は新陳代謝し、爪はのび、組織は形成されーすべてが厳粛な愚かしさの中に営々とはたらいていた。その爪は、彼が踏落とした板の上に立ったときにも、十分の一秒の余命をもって空中を落下してゆくときにも、まだ伸びているであろう。その眼は黄色の砂利や灰色の塀を見、その脳はいまも記憶し、予見し、推理したー水たまりについてさえ推理した。彼もわれわれといっしょに歩き、同じ世界を見、聞き、感じ、理解していた一群の人間であった。それが二分後には、突然バタンといったと思うと、われわれの一人が消えてしまうー一つの精神がなくなり、一つの世界がなくなる。」(小野協一訳)
 これ以上になにを言う必要もないだろう。描写は完璧であり地の文はピッタリと一枚のコインのようにそれに添って比類がない。
死刑制度について、アルベール・カミユの「ギロチン」という本がある。残虐な犯罪に憤慨したカミユの父が、死刑執行の現場を見に出かける。しかし帰ってきた父は黙ったまま寝込み嘔吐した、そういうエピソードが冒頭に語られている。「個人の心のなかにも、また社会の風習のなかにも、死が法律の枠外へはずれない限り、永遠のやすらぎは存在しないであろう」と、カミユは論を結んでいる。これは新聞で読んだことだが、犯罪者に死刑が執行された。しかし、それが被害者の親を癒やすことはなかったという記事があった。これ以上、死刑制度について語ることはない。
 川端の「山」の尾形信吾に人生の「部分」と「全体」と言わしめたものは、死を意識しだした老人の人生への疑問と不安であろう。だが戦後70年を過ぎた今日の現代日本において、この社会の「部分」になることでようやく息を継ぎ、部分品の人生観を自己自身の全体感にまで引き寄せることに成功した例を見ることができるのである。それはまだ若々しい世代における、禍々しくも奇態な様相を描きながら、生きることの過酷な現実を踏み台にして、苦汁はあるのだが新鮮な果実のごとき作品に一抹の笑さえ盛り込んでみごとに誕生させた小説がここにある。それが、今年の夏に、第55回芥川賞を受賞した「コンビニ人間」(村田沙耶香)なのであろう。
「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。」
「朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。」
 これはどういうことなのだろう。「風」の若末善紀の姿勢はこれとは逆のベクトルで反抗的な身振りの末に、意に反して反社会的な事件を起こしてしまう。川端の「山」と工藤の「風」と村田の「コンビニ」とは、作者はもちろん描かれた時代背景も主人公も、そして小説の作為も構成もまったく別物であることは言うまでもない。「山」が戦後まじか、「風」はやがては世界一の経済力を誇る以前、そして「コンビニ」は経済成長が止まり、超高齢化社会を間近にした若い世代が、格差にあえぐまさに今の時代の小説なのである。

 多少話しが広がりすぎたようなので、ここで一旦「風」に焦点を戻すことにする。
 「風の吹き去るもみ殻」(工藤嘉晴)は東京拘置所に主人公が入ってから、主人公の意識のレベルは房にいる長山等との会話を重ねるにつれて深度をましていく。「人生の半分」との認識はさらに高く深い次元のものとなっていることは注目すべきところだ。裁判の夢をみて「被告人を死刑にする」との裁判長の宣告を聞き、夢の場面が護送車へ変わったところで、事件以前の「俺がオレを見ている」という乖離感が濃度を増してくる。それにつれて、「それはとても理不尽なようでもあり、当然なことにも思える不思議な拘束感」が主人公へやってくる。この「不思議な拘束感」が主人公を夢へ誘うものである。
「『こいつはシケイだ、シケイだぞ』すると俺を取り囲んだ皆も一緒に体を左右に揺らして唱和した。・・・・これは夢だと必死に思おうとしながら目を覚ました。」
 この辺りから若末善紀の意識は、夢と現実とのあわいに浮遊する境域へと入っていくのであるが、この「体を揺らして唱和する」夢の感覚はこの小説の底に最後まで伏流水のように流れていき、終末に吹き上げるものだ。こうした意識下で若末は、連続射殺事件の長山徳夫と会話を交わし、歌を詠む鳥越やその師匠の尾原、そして隣の房にいる警官殺しの片桐との交渉をもつのである。
「人生の半分」との主人公の根本にある認識は、この小説のキーワードのように度々出てくるので、読者は否応もなく注意を振り向けざる得なくなる。房内での片桐との会話にもこれは出てくるので取り上げてみよう。
「『あの世へ鉄砲は持っていけねえだろう』、突き放すように若末は言った。
『アノヨ、アノヨっていうけどね。アンタ本当に信じてんの?』
『アノヨっていうか、生まれ変わりはあるような気がしてる』。咄嗟に出た返事だったが、相手の返事が無いので若末はそのまま続けた。」
「『お前なんかに聞くんじゃなかったよ』。バタンと窓を閉めた。だからそんな世の中って別に“全部”じゃ無いんだよ。心で呟きながら若末も観音開きの窓の取ってを引いた。いつか説明をしてやってもいいけど、どうせ分かって貰えないだろうな。」
 つぎに運動場での長山との会話にも、若末のこの言葉は繰り返される。この場面ではこの二人は人間とカイサルとの関係から神までの小難しい議論をし、そのあげくに「エネルギー保存の法則」を確かめようと、離れた距離から互いに全速力で正面から衝突するという「ジッケン」を行うことになる。しかし、それについては後に述べることにしたい。
「オメエは前に、世の中なんて所詮ゼンブじゃねえって言ってたけれど、あれはどういうことなんだ?」・・・・・・。
「ゼンブの他に未だ何かあるのか?」皮肉そうに唇を歪めながら追求して来た。
「俺の心の中にあるゼンブに比べれば、コノヨの全部は小さく狭いものに過ぎないということなんだよ」。叩きつけるように言い、そして続けた。
「外に表れているものは形を変えて永久に続いていくだろうけど、そんなものが全部だと思うから人間は間違うんだ。俺にとって、それは最大に見積もっても半分にしかならないとここに来て分かった」
「キリスト教に入信したものそのきっかけというわけか?」。考えこむ表情で長山が口を挟んだ。
 若末がキリスト教に入信したのは、訴訟で難渋し孤立無援のなかで聖書を朗読され、「ペテロの手紙」のこんな文句に牽かれたからであった。
「『このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい』。そして自分も一緒に十字を切った。・・・・・風のふきさるもみ殻のイメージは若末のなかで膨らんでいった」
こうした若末の行為を促したのは、自身が気づいているように獄中生活にほかならない。トーマスマンがどこかで言っていたように、「ものを書く人間(詩人)はどこかで牢屋にいる感覚に通じているものだ」と。
「閉じ込められると色んなことがみえてくるらしい。・・・・自己流のキリスト教だ。大工の倅イエスと俺だ」とは若末自身の表白である。若末の「自己流のキリスト教」の特徴は長山との議論によく示されている。
 長山との議論は、イエスの言葉「カイサルのものはカイサルへ」をめぐっての存在論的な対立から始まるが、若末の「キリスト教」にどこか独自なものがあるとすれば、「ただ俺には、この世の中の事はどんなに知り尽くしたとしたところで、たかだか半分だという気持ちは抜けないだろうよ。それにこんな間違いだらけの人間にどれだけの事ができるんだ? だったらこの自分、間違いなくここでこうしている自分だけを全うしたい」という「この自分」という単独者を取り出したことにある。「この自分」があって、そこにヨブの呪詛と愁嘆が、イエスの「エリ エリ レマ サマクタニ」の絶望と喉の渇きへの共感が生まれ、イエスへの愛が引き寄せられてくるので、その逆にはならないのだ。
 「唯一絶対のものとしての俺、それで十分じゃないかというよりそれしか無いんだ」という若末が実際の牢屋の中で掴んだ実存、この一点にこそこの長編小説の思想のすべてが収斂する場所だと言えるだろう。
 時代は戦前に遡るが、これは詩人の中原中也が友人の小林秀雄に同棲中の泰子を奪われ、やがては自分の子供の文也を失い、狂死するように30歳の若さで没した詩人の抒情詩が収斂する場所と同じだという私の連想がゆるされるならば、それは「命の聲」という詩集「山羊の歌」の一編がこのような地点に立って書かれ、「一つのメルヘン」という「夢」が湧出する源泉がここにあると思われるからである。まず、「命の聲」の最後の一行を書き留めておこう。これも中原中也という詩人が、若き命を燃焼し尽くした果てに掴んだ独自の実存の思想なのである。

 ゆふがた、窓の下で、身一點にかんじられれば、萬事に於いて文句はないのだ。

 牢屋にいる若末が封筒貼りや文鳥のアヤに餌をやったりしている。そうした穏やかで静かなときに、房の外から街のざやめきが聞こえてくる場面は、この小説ではとても素直な文章で綴られているところだ。私はそんなところを読んでいるとき、ふと詩人のヴェルレーヌの「叡智」という詩の数編がよみがえるような錯覚がしてならなかった。

  屋根の向こうに 空は青いよ、空は静かよ!
  屋根の向こうに 木の葉が揺れるよ。
  ・・・・・。
  神よ、神よ、あれが「人生」でございましょう
  静かに単純にあそこにあるあれが。
  あの平和なもの音は
  市(まち)の方から来ますもの。

  ―どうしたと言うのか、そんな所で、
  絶え間なく泣きつづけるお前は、
  一体どうなったのか
  お前の青春は?
                  (堀口大学譯)

  このヴェルレーヌという詩人を誰よりも親炙していたのが、中原中也であったのは申すまでもない。

 詩集「山羊の歌」の「命の聲」という詩は、中也にしては長い詩である。その最終の詩句が「ゆふがた 身一点において感じられるならば文句はないのだ」というもので、このありふれていながらも、ある種の断念と意識の集中を呼び起こす中也らしい詩句は、非凡といっていいものだ。
 中原中也という詩人は、詩について独自な思索をしていた人だ。例えば、自分が書いた詩を朗読して、聲が形成する呼吸に「呼気」と「吸気」があることに注目している。人間の命が呼吸によって維持されている事実は誰でも知っていながら、あまりに自明なことから無意識となっている。海から陸へ上陸した祖先の生物が肺呼吸を覚えるのにどれだけ長い時間を要したか誰も知らない。顎関節症で罹った医師は三木成夫をいたく尊敬していたが、上陸に失敗して海にもどったサメの解剖研究をしていると聞いたことがある。人間の呼吸は吸う息と吐く息が交互に相まって命は持続される。このあまりに自明なことを中也は詩人として意識化したのだ。なぜなら彼は自分の詩を朗読することによって、その詩句を錬成しようとしていたからだ。さらに中也の詩についての根源的な思索は、件の「命の聲」の最終句によく似た口吻をもつつぎのような断想にも印されている。

 これが「手」だと、「手」という名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。

 ソシュールの言語論や解剖学者の三木成夫の形態論の知見を学んだ現在では古いということになろうが、中也の時代では革新的な思考といえただろう。そして、「一つのメルヘン」という詩が白昼夢のごとき領域で書かれていることは、誰もが想像することに違いない。

秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

この詩の「小石の上」の「蝶」は「死」の暗喩としてこの詩に生命を賦活している。中也はよく「死を夢見る」詩人であった。フランスの詩人で哲学者のポール・ヴァレリーは、「思索において、人は暖炉にもたれかかるように『死』にもたれかかる」とどこかに書いていた。中也が「死を夢見る」のは絶望の淵からであって、詩人を「魂の労働者」だと宣明したのは中原中也であった。

 「初めは夢の中だと思った」。「風」の冒頭がこう始まり、その後につづく一文章が、あたかもあの3.11の震災による大津波を思わせることは既に指摘したことである。この小説にユングのいう集合的な無意識があるとすれば、津波によるおびただしい犠牲者の死と今なお復興が待たれる人たちの自殺者の急増であろう。ただそれが作品の表面に出てくることはもちろんない。作者は若末善紀の横須線での爆破事件による多くの死傷者をだした廉で、死刑の宣告を受け、死の予感と戦う獄中生活を余儀なくされている若末の内面と外部環境を描いているだけだ。しかし、この小説において夢が度々に噴出することは注目せざるを得ないところだろう。先に引用した長山との運動場での議論のあと、二人が全速力で向かい合って走る「ジッケン」の場面の結びでは、つぎのようなくだりを読むことになる。
「見下ろす角度で思い出した。明るい褐色のグランドとレンガ塀、鮮やかな緑の花壇に咲くチューリップやヒヤシンスの中の無邪気そうな囚人六人、看守の表情も穏やかだ。そういえばあの漆喰の落書きもSのものだったのだ。若末は了解し、了解すると夢は終わってしまった。そうしてもう夢を見たことすら想い出すことは無かった」
  若末と長山の白熱した議論の後につづく、エネルギー保存の法則を証明する衝撃的な「ジッケン」は、稚気に類した「夢」に終わる。それも「見下ろす角度で思い出される」だけで、一場の夢はもう想いだされることもないのである。この視像は「ホラホラ、これがぼくの骨」と詩った中原中也の視線と重なり、「考えることが思いだすこと」と同義のような」川端の「山」の主人公尾形信吾の思考パターンをおもいださせずにはおかないものだ。
 かくして「風」の主人公の若末は小菅に移り、巣鴨の東京拘置所での拘束生活は終わりを告げ、死刑執行の時はますます急を告げて主人公の前面に迫ってくるのである。

 さてここで、後ろを振り返るようにこれまでの論旨を改めて読んでみよう。「コンビニ」についての私の読解はあまりに大まかで、いま少し検討を加える必要があるだろう。私は先に川端の「山」と工藤の「風」との比較で、「部分」的な人生感を「全体感」にひろげることに成功していると留保をつけながらも前向きな評価をした。
 しかし、それはどうもこの小説の表層からぜんたいを単純に割り切ったものではなかったかという疑念を払拭できないのだ。なぜなら「コンビニ」そのものが「部分」なので、それを「全体」感にしようとする女性主人公「私」のけなげな努力そのものが、どこか不自然で歪んだものだという印象がぬぐえないからだ。「山」から「風」と進んできた線がここへきて、下へ曲がり折れている様子が痛々しく思われてならない。女性主人公の「私」がそれに気づいていれば、なおのことである。この小説の長所はこの「自意識」が下地にあることだといっていいだろう。
「肉体労働は、身体を壊してしまうと『使えなく』なってしまう。いくら真面目でも、がんばっていても、身体が年をとったら、私もコンビニでは使えない部品になるかもしれない」
「気がついたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べていけなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」
  こう述懐している「私」は大学を出ながらパートをしている。パートや派遣社員という非正規の労働者は、2016年の雇用統計では全雇用者の4割を超えている。彼及び彼女等は低賃金と身分差別という格差に苦しみながら働かざるを得ない状況にある。「コンビニ」に登場する白羽さんという支店長でさえ正社員とは思われない。こうした非正規の社員は、ちょっとしたことから馘首されたらお終いである。特に支店長となれば、管理職扱いで朝早くから夜遅くまで働かされる。残業代のカットは当然、穴が開いたら部下の仕事まで補わなければならない。その支店長が会社のオーナーへ不満を漏らしたことで、バイトのくせに生意気だと即日解雇された事例まであるくらいだ。小説「コンビニ」はこうした過酷ともいえる労働環境での「私」の奮闘ぶりが少し異常でさえあるのだ。
「あ、私、異物になっている。ぼんやりと私は思った。店を辞めさせられた白羽さんの姿が浮かぶ。つぎは私の番なのだろうか」
この白羽という男性が街の隅におどおどとうづくまり、身を隠しているのを見つけた「私」は詰問すると、白羽がこういう。
「僕に言わせれば、ここは機能不全世界なんだ。世界が不完全なせいで、僕は不当な扱いを受けている。・・・・この世界は異物を認めない。僕はずっとそれに苦しんできたんだ」
 この「私」と「白羽」とのやりとりはこの「コンビニ」という小説の本質に迫るとても面白いところだ。「私」は苦境にある「白羽」を自分の家に強引に連れて帰る。これからがまた笑える科白が行き交い、現代を相対化し風刺するような面白さに満ちている。
  デフレ経済で企業同士がしのぎを削っているのが現在である。「風」が1969年の東京オリンピックをまえにした右肩上がりの経済下、「コンビニ」は世界同時不況で、閉塞感の漂う時代を背景とする現実を勘案すれば、主人公の「私」と「白羽」との関係の逆転は見るに忍びないものがあることもたしかなのだが。
画家のアンリ・マテュスは「画家のノート」の中で「全体こそ唯一の理念である」と述べた。画家の目指す「全体」の理念はタブローにおける美的なる調和と統一である。「風」の若末と長山の議論の根底にはこの「理念」が政治的な理想として生きていた時代背景があった。しかし、「コンビニ」の時代においては、そうした「理念」はもはや見当たらない。グローバル化した資本主義の政治・経済は限界を前にして疲弊に喘いでいる。そのような中で、小説「コンビニ」の主人公の「私」は人生の「部分」感を自己のなかへ繰り込んで「全体」感を掴もうと、自虐的とさえともいえる努力をしている。しかも一抹のユーモアを湛えた小説に賞の選考委員の賛辞が集まるのは当然だろう。
この村田沙耶香の芥川賞となった小説を、試みに「不況下の文学」と括ってみるとしよう。すると昭和24年にできた「山」はどうなるのだろうか。批評家の中村光夫は戦争直後から講和条約が結ばれるまでの文学を「占領下の文学」と呼んだことがあった。ならば「風」を加藤典洋が「アメリカの影」の副題に「高度成長下の文学」と呼んだ一連の作品のなかに置いてもおかしくはなかろう。「山」の尾形信吾と「風」の若末善紀、そして「コンビニ」の「私」(古倉恵子)の主人公を並べて、戦後70年という時の流れに泳がして見たらどうであろうか。すこし戯事風に言ってみよう。中国大陸に座って眺めれば、ねじれた釘のような日本列島はまた寝そべった龍のようにも見えるに違いない。昨年のWHOが発表した「世界保健統計」によれば、日本人の平均寿命は83.7歳の 世界一、これは20年以上前からのことだそうである。GDPでは必ずしも国民の幸福度は測れないだろうが、平均寿命が世界一伸びている日本は健康そのものだと言ってもいいにちがいない。

 「風」には獄中の隣人片桐に、若末の人生の「部分」感について、「説明しても分かってもらえないだろう」と独りごちる場面があった。このとき、説明しようとした若末の脳裡に、唯識論と輪廻転生の大乗仏教の奥義があったのかも知れない。川端と親しく交流した三島由紀夫が、「豊穣の海」の四部作に「世界解釈」を企てる観念の観念ともいえるこの仏典の不思議な奥義を導入しようとしたことは、専門諸兄等には周知のことであろう。三島と深い交友をもった川端がまたこの仏典に通じていないはずはないだろう。若末は幾度も人生の「部分」感を述べ、果ては世界の「半分」しか知ることができないと敷衍する背景には、それなりの思考の痕跡があったはずである。そして、川端が「山」で主人公の尾形信吾に「人生の部分品」というような、川端にしてはこなれないことばを小説に使ったのにはどのような背景があったのであろうか。既に引用したところだが、再度、前後の文章を補足しておきたい。
「この横須賀線に毎日乗るだけで、いい加減おっくうだね。このあいだも、料理屋で会があって、老人の集まりだから、よくまあ何十年も、同じことをくりかえして来たものだ、うんざりするね。くたびれたね。もうそろそろお迎えが来ないか。」
 菊子は「お迎え」という言葉が、とっさに分からぬようだった。
「閻魔の前に出たら、われわれ部分品に罪はございません、と言おうという落ちになった。人生の部分品だからね。生きているあいだだって、人生の部分品が、人生に罰せられるのは酷じゃないか。」
「でも。」
「そう。いつの時代のどんな人間が、人生の全体を生きてたかというと、これも疑問だしね。たとえば、その料理屋の下足番はどうだ。客の靴を出したりしまったり、それだけが毎日だろう。部分品もそこまでゆけば、かえって楽だと、勝手なことを言う老人もいてね。・・・・」
 この「人生の全体」から「料理屋の下足番」までの間には、どうにも看過できない空白と飛躍があるのではないか。川端はこの「人生の全体」という抽象的・概念的な言葉で一体なにを言いたいのであろうか。一人の作家として川端には、東京空襲の直後にその惨状の現場を歩いて見て回った経験があった。黒焦げの累々たる死者に自分を擬してもおかしくはないだろう。偶然に生き残った川端の目に、先の戦争はどのように映ったのであろう。「人生の全体」という言葉、「部分品」という言葉との間には、川端の戦争体験が横たわっているように思われてならない。「山の音」は自然の猛威を暗示して不気味である。谷戸の多い鎌倉は海からの風に煽られて、激風が山そのものを動かす恐怖に襲われたこともあったろう。そのとき、川端の脳裡に累々たる無数の死体が甦ったとすれば、個々の人間の死の意味が「部分品」という言葉に受胎されたとしてもおかしくはない。その中には友人の横光利一もいたことだろう。自然でさえも無疵ではいられないことを、川端は戦争の体験を通じて知ったはずだ。川端にしては舌足らずな、「山」におけるこの文章に隆起しているものは、戦争へのどうにもならない「いかり」であったにちがいない。中村光夫が「占領下の文学」と呼称した「戦後文学」ではないが、江藤淳の「閉ざされた言語空間」を参考にこれを川端にまで援用するならば、川端における表現上の「擬態」とも想像されるものが、ここに路頭していると見ていいのではないか。
 工藤の「風」の主人公には、明らかにこの時代の空気への反抗心が透けてみえる。三島の自決への安易な嫌悪は、若い主人公への屈折した心情への作者の肩入れにすぎなかろう。作者が小説の材料にした「横須賀電車爆破事件」の若末善紀は、昭和43年の「父の日」に事件を起こしている。6月16日の16という数字に作者が随所にこだわっているのはその故だが、ただそれだけのことなのか定かではない。この実在の犯罪者は房内で歌を詠み、「死に至る罪」という歌集を出した真面目な青年だったとのことだが、この事件を素材にした「風」に幾度も記される「半分の自分」という言葉には、デンマークの哲学者のキルケゴールの「死に至る病」にある一章句が、現実の歌集の題名と呼応しながら、ここに照応しないではおれないものだろう。
「自己が自己自身の可能性のなかでこれこれに見えるということは、半分の真理でしかない。なぜかといえば、自己自身の可能性においては、自己はまだ自己自身から遠く離れており、あるいは、ただ半分だけ自己自身であるにすぎないからである。」
「呼吸はひとつの矛盾である。・・・・。しかし、健康な身体はこの矛盾を解いている。そして、呼吸していることに気づかない。信仰もまたそれと同じである」(「死に至る病」ゼーレン・キルケゴール)
同じように言うならば、「コンビニ」の「部品」になろうと自虐的なまでにけなげな奮闘をしている「私」(古倉恵子)は、川端に倣っての甚だ失礼な言い方をすれば「料理屋の下足番」と同類といってもおかしくはないだろう。
 これまで偶々取り上げた三つの小説において、川端の「山」は占領下の、工藤の「風」は高度経済成長下の、村田沙耶香の「コンビニ」は世界同時不況下の、それぞれの時代における、自然の呼吸を奪われた時代閉塞の息苦しい文学の特質を表現していて余りあるものだ。それはキルケゴールの「絶望」と同じように、呼吸のように意識されることはないのだが、これらの文学作品は無意識のうちに「全体性」という可能性をもとめていることは、現代世界の状況を予兆して興味深いところである。「風」が小説の冒頭から「夢」を暗示し、「夢」を希求して終わるこの小説は、想像力による文学の可能性を考えさせるものであろう。
 詩人の中原中也にとって、詩は己の実存を賭する「祈りのようなもの」(「若き詩人との対話」フランツ・カフカ)であった。

  風が立ち、浪が騒ぎ、
    無限の前に腕を振る。(「盲目の秋」)

 ルートヴィヒ・ビンスワンガーに「夢と実存」という小論がある。若き日のミシェル・フーコーはこの小論に、その数倍する難解な「序文」を寄せている。その序文の冒頭はこんな具合に始まっている。
「フッサールの『論理学研究』が一八九九年に出版され、フロイトの『夢判断』が一九00年に公刊されたという、この年代の一致は、いくら強調しておいてもよいと思う。この二つの本は、人間がおのれの意味作用を捉えなおし、その意味作用のうちでおのれ自身を捉えなおそうとする二つの努力だったからである。」
 さて、フーコーがビンスワンガーの「夢と実存」へ卓越した分析と洞察をしていることには驚くしかないが、小説家の村上春樹への川上未映子のインタービユー「みみずくは黄昏に飛びたつ」は想像力の所産である村上の小説へ肉薄して読み応えがあったことをここに記しておこう。フーコーはフッサールの研究がいかにフロイトの仕事に寄与しているかを鋭利な批判を加えつつ、「結局のところ、現象学的分析が、多様な意味志向的な構造の根底に浮かびあがらせるのは、表現行為そのものなのである」と言っている。前述した村上春樹のインターヴューがそうであるように、フーコーはフッサールのこの著作の末尾にあるつぎの一文に照応する透徹した「実存」と「夢」との豊かな関連を示唆していることはたしかなことであろう。
「夢の始まりと、覚醒のおわり、内的生活史のゆくえとは、それぞれ無限にのびている。なぜなら、われわれが、生命と夢がどこで始まるのか知らないのと同じく、われわれは人生の道程において『もっと高い意味において、「単独者」であることこと』が人間の力を超えているということについて、くりかえし想起させられるからである。」
 フーコーの「序文」には、「想像するとは、夢みているおのれを夢みることなのである」「叙情詩は季節的なものでもあり[真昼の夜]なのである」「夢こそ詩の最初の心象であり、そして詩は言語活動の原始的形式、『人類の母語』なのである」等、「実存と夢」についての宝石のような洞察が燦めいているのだが、このフーコーの「序文」から、その最後の文章を引用して、この小論を終わらせることにしよう。
「してみれば、想像力の中心に夢の意味作用を結びつけることによって、実存の基本的諸形式を復原し、実存の自由を明らかにし、実存の幸不幸を見定めることもできるであろう。けだし、実存の不幸とはつねに自己疎外[狂気]のがわに記入されるものであり、実存の幸福とは、経験的なレベルにあっては、表現の幸福ということでしかありえないからである」
 フーコーは1900年にフロイトの「夢判断」が公刊された意味を強調したが、この最後の一文の背後に、1900年に発狂したままその生涯を閉じたニーチェの影をおぼろに想起していなかったはずはなかろう。小林秀雄が友人の中原中也の最期を語ったようにである。





 



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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